ある若者とよく話をしていますが、私は、日本では、セクシュアルマイノリティへの差別・偏見が、社会に存在するという仮定がそもそも疑問なんです。
実際、そのような経験をした当事者は、服装などが可視化される生き方を選択されているトランスの方を除いては少ないと言うことです。それは、カムアウトしている方が少ないからに他なりません。
しかし、それが社会の中にある差別・偏見だけが問題だと考えるのは、無理があるとも思います。
カムアウトして受け入れられないという経験をされた方は、それが何に由来しているのか分析しなければならないでしょう。全てがセクシュアリティの問題だけではないこともあるのではないかと思います。
つまり、セクシュアリティだけではなく、「どう生きているか」、「どう生きようとしているか」が、斟酌されたとすれば、それは、単に差別・偏見では片付けてはいけないのだと私は思います。
私は、かねてから、
「学生はできる限りカムアウトしない方がいい」
と考えています。それは、経済的に自立できていないのが大きな要因です。だから、学生がカムアウトすると異性愛者である親が子の将来が心配になるのもある意味理解できるのです。
親によるセクシュアリティへの否定は、息子、娘への愛情である場合も多いのではないでしょうか?息子や娘が、将来どう生きるのかが心配になる親御さんたちは多いと思いますし、最悪の場合、拗れてしまって経済的な支援を打ち切られては、生活自体に支障をきたす恐れもある訳ですね。
過去にそんな事例も出会いましたし、特に、HIV感染とのダブルカムアウトは、慎重であって欲しいと思います。
差別・偏見は、自分の中にある。
というのは、私を含めて多くの人たちに言えることだと思います。それに気づき、向かい合うためには、自己肯定観の下に育まれる社会、家庭が必要なんだろうと思います。
そして、啓発が大事なんだと思います。
来週末は、神戸まつりのおまつりパレードに、LGBTの仲間とその理解者が参加します。色々な思いや経験を持ち寄り、それが過去のセクシュアリティに否定的な生き方を選択せざるを得ない仲間の生き方に前向きな変化が芽生えるものになれば、この市民まつりへの参加には、人生の中でも大きな意義があるのだろうと思います。
自分らしく生きにくい市民社会があります。
しかし、それを変えていこうとする仲間がいます。そして、その仲間の大志は、
「市民とともに」
という優れて友好的な姿勢です。日本各地の先輩のパレードのコンセプトには少ない観点です。
差別・偏見は、各人の心の中にもあります。
ある意味、「市民まつりに参加したら、自分がLGBTだとカムアウトするようなもの」かもしれませんが、神戸の地で、一生一回の大事な人生や時間を自分らしく生きることを目指してもいいのではないかと思います。
市民社会を変えるのは、志のある少数の人たちからである訳で、そんな若者たちが、神戸に育っていることを私は陰ながら嬉しく思います。(HIV陽性者の支援をしている私は、これらの活動の主たるメンバーではなく、サポーターの一人です)
もちろん、参加せず沿道からご覧頂いてもいいと思います。LGBTのコミュニティ活動ではない、市民全体を巻き込んだ草の根の活動である神戸の「ふれんどりーマーチ」と、毎月開催される市民との対話の場である「虹茶房」に、大きな期待が膨らんでいます。
私も神戸市民社会に生きるゲイの一人として、155万人の神戸市民とともに、この日は、まつりを祝い楽しみたいと思います。
神戸に生きるLGBTにとっては、神戸まつりは、自分自身のセクシュアリティを肯定的に見出す桧舞台なのかもしれませんね。
17日(日)の午後は、ぜひ、神戸にお越し下さい。お待ちしています。
http://www.f-kobe.org/
実際、そのような経験をした当事者は、服装などが可視化される生き方を選択されているトランスの方を除いては少ないと言うことです。それは、カムアウトしている方が少ないからに他なりません。
しかし、それが社会の中にある差別・偏見だけが問題だと考えるのは、無理があるとも思います。
カムアウトして受け入れられないという経験をされた方は、それが何に由来しているのか分析しなければならないでしょう。全てがセクシュアリティの問題だけではないこともあるのではないかと思います。
つまり、セクシュアリティだけではなく、「どう生きているか」、「どう生きようとしているか」が、斟酌されたとすれば、それは、単に差別・偏見では片付けてはいけないのだと私は思います。
私は、かねてから、
「学生はできる限りカムアウトしない方がいい」
と考えています。それは、経済的に自立できていないのが大きな要因です。だから、学生がカムアウトすると異性愛者である親が子の将来が心配になるのもある意味理解できるのです。
親によるセクシュアリティへの否定は、息子、娘への愛情である場合も多いのではないでしょうか?息子や娘が、将来どう生きるのかが心配になる親御さんたちは多いと思いますし、最悪の場合、拗れてしまって経済的な支援を打ち切られては、生活自体に支障をきたす恐れもある訳ですね。
過去にそんな事例も出会いましたし、特に、HIV感染とのダブルカムアウトは、慎重であって欲しいと思います。
差別・偏見は、自分の中にある。
というのは、私を含めて多くの人たちに言えることだと思います。それに気づき、向かい合うためには、自己肯定観の下に育まれる社会、家庭が必要なんだろうと思います。
そして、啓発が大事なんだと思います。
来週末は、神戸まつりのおまつりパレードに、LGBTの仲間とその理解者が参加します。色々な思いや経験を持ち寄り、それが過去のセクシュアリティに否定的な生き方を選択せざるを得ない仲間の生き方に前向きな変化が芽生えるものになれば、この市民まつりへの参加には、人生の中でも大きな意義があるのだろうと思います。
自分らしく生きにくい市民社会があります。
しかし、それを変えていこうとする仲間がいます。そして、その仲間の大志は、
「市民とともに」
という優れて友好的な姿勢です。日本各地の先輩のパレードのコンセプトには少ない観点です。
差別・偏見は、各人の心の中にもあります。
ある意味、「市民まつりに参加したら、自分がLGBTだとカムアウトするようなもの」かもしれませんが、神戸の地で、一生一回の大事な人生や時間を自分らしく生きることを目指してもいいのではないかと思います。
市民社会を変えるのは、志のある少数の人たちからである訳で、そんな若者たちが、神戸に育っていることを私は陰ながら嬉しく思います。(HIV陽性者の支援をしている私は、これらの活動の主たるメンバーではなく、サポーターの一人です)
もちろん、参加せず沿道からご覧頂いてもいいと思います。LGBTのコミュニティ活動ではない、市民全体を巻き込んだ草の根の活動である神戸の「ふれんどりーマーチ」と、毎月開催される市民との対話の場である「虹茶房」に、大きな期待が膨らんでいます。
私も神戸市民社会に生きるゲイの一人として、155万人の神戸市民とともに、この日は、まつりを祝い楽しみたいと思います。
神戸に生きるLGBTにとっては、神戸まつりは、自分自身のセクシュアリティを肯定的に見出す桧舞台なのかもしれませんね。
17日(日)の午後は、ぜひ、神戸にお越し下さい。お待ちしています。
http://www.f-kobe.org/