琉球古武道雑記

琉球古武道に関するヨモヤマ話

第八回 立ち方その3

2006年03月10日 13時12分18秒 | Weblog
 据え腰立ちと四股立ちはその違いをしっかりと理解して行って下さい。大きな相違点は敵の方向です。四股立ちは開いた足と並行に敵が存在して自分の体の正面に位置しています。それに対して据え腰立ちは右左があり右足を相手の方向に向けた据え腰立ちを右据え腰立ち、左方向のそれを左据え腰立ちといいます。つまり据え腰立ちの時の敵の位置は、開いた両足と垂直方向にいるのです。形態的な相違点は両足つま先の向きと膝頭の向きですから、そこに留意して行って下さい。

 前回の番外で書きましたが、専守防衛の武器術の内容がまとまりました。近日アップいたします。けしてもったいつけているわけではなく、なーんだ想像した通りだった思われるものかもしれません。しかし実際に当会の会員の皆さんが稽古したところ、非常に高い効果が得られたものです。ちなみに当会の会員は小学生、女性、年配者が多く武道経験も1年前後の方がほとんどです。それでも、素手や他の器具に比べて良い結果がでましたので方向性に大過ないことが確認できました。


番外

2006年02月15日 22時26分01秒 | Weblog
 棒術の次は釵術と考えていたのですが、その前にちょっと違うことをやってみようと思っています。それは武術の効用の一つであり、また目的のひとつでありますところの護身です。それを琉球古武道の技術を使用し、しかも女性や年配者にも可能なものというこうとで考えています。以下にその概念のいくつかを紹介します。

 1.専守防衛の武器術であること。ことさら相手を傷つけるのではなく、相手が攻撃し難い状況にし害意を喪失させる。
 2.圧倒的に被害の多い刃物や鈍器等の攻撃に対して有効であること。
 3.一般家庭の家屋内など狭い場所で有効なものであること。
 4.習得に多くの年月を要さないこと。

 等です。なんとなく即席かつ安直な印象を受けるかもしれません。また生兵法は大けがの元、素人が安易に護身術を学んでもかえって危険が増すと識者の方々からお叱りを頂戴することも予想されます。しかしここ数年見ず知らずの人間が家庭内に押し入って、いきなり刃物で切りつけるなどという考えられない事件が多発しています。ちょっと前なら、護身の最大の心得は危険に遭わないようにすることと言っていましたが、普通に生活している家庭内にいきなり危険が飛び込んできて自分の身に災いが降りかかった時、生兵法は大けがのもととすましていられるかどうか、生兵法であれなんであれ抵抗しなければ生命を守ることができないとしたら、少しでも生存の可能性を広げることが出来る方法をお伝えすることも武術に関わる私たちの責務ではないかと考えました。ようやく構想の段階から実現に向けての準備段階に入りました。2月中には具体的な内容を HPにアップ出来ると思います。以上

第七回 立ち方その2

2006年02月03日 11時46分35秒 | Weblog
 琉球古武道にはいろいろな立ち方がありますが、棒術で多用されるのは、「据え腰立ち」「前屈立ち」「後屈立ち」「猫足立ち」「四股立ち」。このうち最も頻度の高い立ち方は、据え腰立ちです。据え腰立ちは打ち込みの時も突きの時もほとんど極めの形の時の立ち方といって良いと思います。初心者の内は特に姿勢を低くすることを心掛けます。何故低くするかというと、それは技を作る段階であり力を練るためです。そして中級上級と進むに連れ意識せずに低い姿勢がとれ、なおかつ楽に動けるようになることを心掛けるのです。


第六回 立ち方その1

2006年01月23日 23時50分13秒 | Weblog
 立ち方を覚える時に、基になるのは自分の足のサイズです。厳密に言えば、各人体格に応じた歩幅を堅持するための目安になるのが足のサイズだと思います。最も一般的な四股立ちや前屈立ちを作る場合、初心者が写真の形を真似ても自分の歩幅は決まりにくいものです。おそらく真似てみた立ち方は負担の少ない楽な立ち方になっているでしょう。もちろん楽に立つというのは悪いことではないのですが、それは次の段階の話で始めは体が悲鳴を上げるぐらいきつくないといけません。それがきつくなくなったとき始めて楽に立つことができるようになります。楽に立つとは手抜き(?)して立つというのではなくきつい姿勢でも、楽であると言うことです。楽に立てるようになると、歩幅の広い、一見居着いているような立ち方でも流れるように動けるようになります。そのための第一歩として、自分の体のモノサシを使用して自分の体に合った立ち方を覚えるようにします。そのモノサシの一つが、足のサイズであり、肩幅であり、腰から股下迄の寸法なのです。

第五回 膝の抜きと倒れ込み

2006年01月16日 23時00分20秒 | Weblog
 古武道の体の使い方で非常に特徴的なことは、膝を抜く動作ではないでしょうか。この動作は重力による自由落下による「力の発動」や重量が瞬間的に無になる「浮く」状態を作り出す動作だと言われています。勿論延々と力が加わり続けたり、体が浮き続けると言うことではなく、あくまでも瞬間的ということです。さらに膝の抜きから体の倒れ込みによる威力の伝達も同時に行います。こちらもバッタリ大きくと倒れるのではなく僅かに重心が移動する程度なのですが、その移動距離が短い故の移動時間の早さが生まれます。いわゆる小さな動作で大きな力ということがいえます。いずれにせよ筋力にことさら依存しない「技」を創るためには避けて通れない動作だといえます。 
 最近では日本古武道の体の使い方を各方面に応用する動きがあって、大変参考になったり、再確認したりすることが多いのですが、中でも腰を回さない、捻らない、うねらないということがよく言われています。特に琉球古武道の兄弟ともいえる大方の沖縄古流唐手でも帯が振れてはダメと言われるほど腰を回さないことが求められます。チョット考えると、大きく腰を回してその力を拳や武器に乗せたほうが威力が得られるのではなかろうかと思われますが、その方法は採りません。但し、琉球古武道のある修行段階において腰を振ることが求められることは事実です。それも含めて、腰を振る意味と振ってはいけない意味もいずれお話申し上げます。以上

第四回 足先の方向と膝の向き

2006年01月09日 12時12分58秒 | Weblog
 琉球古武道では攻撃する時の前足爪先を真っすぐ相手に向けるとされています。特に直線運動である「突き」の場合は、棒でも、釵でも、鉄甲でも例外ではありません。これは「膝の抜きによる倒れ込み」の“力の方向”を相手に向けて誘導するためです。そしてそのためには膝頭の向きを相手に向けることが重要です。膝頭の方向が定まれば自ずと爪先の方向も決まってきます。
 膝の抜きに関しては次回にまわします。
 年末年始のバタバタで1週抜けてしまいました。今年はできる限り金曜日夜のアップ心掛けようと考えています。本年もよろしくお願いいたします。

第三回 棒の振り

2005年12月25日 00時09分02秒 | Weblog
さて、棒の攻撃には主に打ちと突きがあります。どちらも動作としては簡単なもので、おそらく出来ない人はいないでしょう。ところが「術」ということになると、単純なだけになかなか難しく奥が深いと言う人が多いです。私も大変好きな武器なのですが、いや~苦労してます。特に「振り」ですが、良く会長や本部長が「練習不足は振りに出る」といわれるように油断のならないものです。棒の基本の振りで注意することはこめかみに振り上げた握りで打ち込み、前方に延ばした握りで引き手を使い棒を回転させながら45度の角度で相手に袈裟懸けに打ち込むことだけです。これだけの動作に皆さん苦労し稽古を続けているのです。たかが振りなんだからどう振ったてよかりそうなものですが今いった手順を守って行います。その理由の一つとしては、棒の威力を増すことがあげられます。棒は言うまでもなく、刃物と違って当たっただけでは切れることはありません。そこでその棒に強大な威力を与えるために振りの練習をするのです。しかも始めは大きな動作で稽古し、最後にはわずかな動きで同様の力を得るという「術」にたどり着くことを目的として行います。須く武道は威力を力で得るのではなく術によって得るべきであるとの考えに基づいているのでしょう。

第二回 守・破・離と稽古

2005年12月17日 14時37分55秒 | Weblog
 昔から技芸の修行段階を示すものとして守・破・離という考え方があります。
 守とは師匠の言葉を信じ、その教えを頑なに守り道統を受け継ぐこと。破とは、その師匠からお前には全てを伝えた、もう教えることはないよと言わしめてのち、その教えを元に創意工夫を重ね真に自分の技というものを模索する段階。即ち師匠から受け継いだ道統の殻を打ち破ること。離とはそうした修行の末に、いつしか技は単なる動作を越え、その心は何ものにも囚われず、囚われないという心すらなくなるという段階……。こんな話どこかで聞いた事がありませんか。そうです、中島敦先生描くところの「名人伝」(忘れてしまった方は読み返してみては?)に書かれています。昔読んだときはひどく荒唐無稽でひょっとするとこの作者はそういう世界のことを揶揄してるんじゃなかろうかなどと感じたものですが、どうもそうではないようだと言うことが最近何となく見えてきたような気がします。もとより「離」の境地は分かろうはずもないのですが、少なくとも「守」の大切さということが実感できてきました。何をいまさらと思われるかもしれませんが、若い時分はついつい自分の勝手な思いつきで動き、いま考えると回り道をしたなと思うことが少なくありません。結局稽古はあせらずじっくりとやることが一番確実な道だと言うことなんですね。
 以前、師匠からこんなことを言われました。「稽古はね そりゃぁ毎日やるんだが、その進歩なんてものはなかなか目には見えねぇよ、5年10年と続けてふっと後を振り返ったら、随分と(遠くへ)来たもんだって初めて判かるもんだよ。いまの人はどうも性急になって チョット出来ないと自分は才能がないとか、向いてないとか言うけどそんなもんじゃないよ。」と。なるほどと思いました。チョットやって出来るようなことは何も稽古する事もないわけで、ちっとやそっとで出来ないから稽古を続けるんですね。

第一回 礼

2005年12月10日 00時38分14秒 | Weblog
 武道は礼に始まり礼に終わるといわれますが、琉球古武道では特に仁・義・礼と言うことを重要に考えています。琉球古武道は武器術です。道理をわきまえ人を慈しみ尊ぶ心がなければ、単に術を用い、人を傷つけるだけの凶器となってしまいます。沖縄で興った空手古武道は護身のために発達しました。つまり敵が攻撃してこなければ、こちらから仕掛けることはしないという大前提です。その護身で最も重要なことは他人とトラブルを起さないということでしょう。そのためには他人を慈しみ、尊重し礼を尽すことが肝要だと考えます。そしてそれを形にあらわすことが礼法といえるのではないでしょうか。

何故礼が必要なのか?
 武術とは、極論すれば人殺しのための技術です。つまり武とは抜き身の刀剣のようで、それのみでは凶器と同じです。礼とはその刀身に、鞘をあつらえるようなもの。もっと言えば、こよりで鞘と柄を固定して簡単に抜けないようにするものなのです。人の命を奪う力をもった野獣が「人間」であるために必要なもの。それが「礼」だと思います。このことが、武道は礼に始まり礼に終わるといわれている所以ではないでしょうか。
 
 既に言い尽くされた事で甚だ恐縮ですが、武器術を学ぶ私たちは上記のことを建前論やきれい事で片づけることなく、実践していかなければならないと思います

初めてのブログ

2005年12月06日 23時46分31秒 | Weblog
はじめまして。沖武会を主宰しておりますものとして、本日12月6日より書かせていただきます。このブログでは、講座で説明している事柄の、特に口伝や理合等について触れていきたと考えています。
さて、1月の発送に向け教材のほぼ8割が完成しましたが、いかにせ自作自演で全ての作業をやってまいりましたもので企画立案から2年の歳月を要してしまいました。それだけに多少自画自賛になるかもしれませんが、内容はかなり濃いものになったと自負しています。但しデザインやレイアウトはかなり野暮ったいかも……。質実剛健でいきます。興味のある方は、案内書を請求して下さい。近々、PDFをダウンロード出来るようにいたしますが、それまでは郵送となります。