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サイレントストーン

ギターをもってた少年

コピーバンドの良さ・・・

2006-01-20 20:59:41 | Weblog
猫もしゃくしもオリジナル曲を作れば、
一人前だと勘違いしてるほとんどのバンドの中で、
Mr ジミーと言うコピーバンドが客を動員してる事も事実です。
本来は、そのバンドから出てくる、感性といゅうか、味がオリジナルであって、
その音で人々を振り向かせ、ワォーと感じる事ではないですか、
当たり前の事ですが・・・・・
そうです、スマイラーもそのあたりまえの事を探し求め、
暗い星のない夜を随分歩きまわりました。

若さ・・・その後

2006-01-19 18:45:00 | Weblog
27歳ごろは、ホントいろいろ悩みましたよ、自分はこれからどうなるんだろー、とかこのまま続けてはたしていいのだろーか、
今は、やるっきゃない、すがすがしいもんです。
もっとその事に早く気が付けば、近道できたのかな・・・とまあ思ってますが、
その人のいろんな場面、選択意識によって人生は変わって行きますが、
ただ偶然その場面にいたといゅこともありますよね、
僕は運よくたくさんのステキな人に助けられたので、
やっぱ、やるっきゃないとつゅぱしってます。
そのおかげて、去年は、ころりとだまされてしまいましたが、

わんぱく少年たち

2006-01-15 19:33:43 | Weblog
イメージ的にやんちゃで、つっぱていて髪の毛が長くそれでもって結構かわいく憎めないって感じ、彼らはそー、つっぱっていましたが、かわいくはなかった。
それは、デビューしても変わらなかった。でもぼくからみたら、やっぱしわんぱく少年たちでした。とにかく僕とは違って物怖じしなかった。

思い出1。。。。。
みんな少し酔っぱらってぶらぶら歩いていたら、銀座アシベが目に入った。
瀬川君が一人でずかずかと地下のアシベに入っていった。僕はいつもの調子で一番後からついて中に入ると、テンプターズがステージの上で楽器のセッテングとかしていてガチャガチャ音を出していた。彼らはまだ人気のでる前で、ピカピカの衣装に外国製の楽器、ホントピカピカって感じでした。
瀬川君はその音に負けない大きな声を彼らに発しました。
2階のテーブルから顔を出して眺めていた、当時はまだ若き田辺さんがその様子をみていました。(テンプターズを見付けてデビューさせ、当時有名なスパイダースのドラマーの方)瀬川君は田辺さんにオレたちのバンドを聞いてくれ、音を出していいかとか、なんかごちゃごちゃいってる様子でした。彼は苦笑いしながらOKいいよみたいなそぶりでした。フジオやろーぜ、その声と同時に野村君、吉田君たちはぞろぞろとステージに向かいはじめました。僕は後ずさりの気分で、チロちゃん(瀬川君のあだ名)オレみてるよと言いました。フジオ君は彼らのギター335の使い方にまごついてる感じで、ベースの吉田君はぜんぜん平気な顔していました、ぎこちなくローリングストーズのTime is on my side が始まりました。その後違った形で、同じ場所で同じ曲をわんぱく少年たちが演奏するなんてだれも思っていませんでした。


オケラマンション 1920年

2006-01-14 20:26:56 | Weblog
当時だれともなくオケラマンションと呼んでいた。
なるほど、名前のいらいを感じさせていた。
そこに瀬川君たちは住んでいた。 
わんぱく少年たち・・・・
先輩の紹介でその中から出てきた彼は寸足らずのパンツにビーチサンダル、
えー、、、、一瞬、ステージの時もビーチサンダルだったのかなーあの時は客がいっぱい
いたし、異様な活気があり、だいたいそんな事より彼の英語のイントネーションとギターだけで他のことは目に入らなかった。
僕はつねにカッコだけは一人前で、黒のジーンズに当時はやっていた黒のブーツを履いて、スリーコードぐらいしか引けない、ひ弱な僕は、何を話したか今は覚えてないけど、
彼独特の雰囲気と自信に満ちあふれてる風貌は今も変わってません。OK

自転車に乗って

2006-01-13 20:31:08 | Weblog
遠い昔、新宿に喫茶店ともライブハウスともつかない2階の狭い場所で、瀬川君の歌とギター「ピンと針」を聞きました。
あの驚きは、僕の人生を変えてくれました。みんなどこかで驚きや感動で自分の方向をみつけるのでしょう。。。。。
ただあの当時にグレコのアンプとギターを持っていましたから、富士夫君があいつを入れようぜ、ギターもアンプもそれにファズBOXももってるんだからと瀬川君をそそのかしました。ほんといい時代でした。ミックもキースも若かった。