みなさま、こんばんは。残念ながらファンが一人もいない新イチローのほうです。・・・(泣)
今日はお店が休みだったのではたまた初心に帰るため軽井沢へ・・おでかけ!
ハイ、ドーン!

こちら白糸の滝です!いったことない人はぜひいってマイナスイオンをもらってきてください。
ここで私の話を・・・(いつものことですが)
今日は語るよー
もうかれこれ15年前・・・北海道より上京してきて当時は弱冠のホームシック・・・
家というより友達に会いたくて・・中々都会の仕事と生活になじめずに限界を向かえていた時に
ジモッティのともぞうに
『軽井沢がアウトレットできたばかりで楽しいらしいよ!女子高生かわいいし』
なんてことを言われ、不純な動機でいざ軽井沢 アルバイトで検索。
するとヒットしたのが配膳紹介所の軽井沢プリンスホテル、ウェイター時給1200円、住み込み!
早速応募して即採用!いざ出陣!

当時は地元の旅館や居酒屋の接客経験しかなかったものの何とかなるでしょと思って
行きました。配属はコチラ

中華レストラン?もう中華っていたらラーメンとチャーハンしか知らなかったので楽勝!となめていたのですが、
そこはやはり軽井沢!やはりプリンスホテル!
まずメニューの中国語を覚えることから始まりました。(泣)
当時はまだ手書きだったので読み書きできないとオーダーすらとりにいけない・・。
それ以外にも覚えることが山ほど・・・。なおかつ寮は古くて8人部屋で二段ベットが4つ・・。
もうすっかりかわいい女子高生のことなんか忘れてしまった日々・・。人生甘くなかった・・
ただ、お店のMGや先輩方がすごくやさしかったし、なおかつその年新入社員で同世代が多くて
すぐに仲良くなれたことは本当に救われたなと、つくづく人って大事だよねーとこれをかきながら思っています。
そうこう1ヶ月たつと大学生が夏休みでアルバイトにきたり、東京から出向でヘルプに来たり
一人また一人と増えて大所帯に!一番多い時でたしか35人くらいになったはず!一つの店でそんなにいるのはなかなかない
もうそこからは楽しい!楽しい!寮には門限が、(確か12時だったかな)あって鍵がしまっちゃうので
遊んじゃったら朝まで・・!夏だからカラオケいったり、BBQしたり
、花火したり
、肝試しなんかいろんな奴がきてわけわかんなかったなー
ほんと寝た記憶がないし共同部屋も逆によかった!
もちろん男女がそんだけいると色恋沙汰も頻繁にあり、社員の市村が乗ってたステップワゴンがラブワゴンになってもんね!
まー私は得意のフラレましたが、、。
さすがに楽しい時間はずっとはつづかず、出会いがあれば別れもあり、
夏が終わりに近づくにつれて一人、また一人と東京に帰って現実に戻っていきました。
そのたび、見送っては号泣、見送っては号泣の繰り返し。
あんなに泣いたのは後にも先にもないでしょうね!
いまやすっかり涙もかれてるし、胸が熱くなることもほぼなし。完全に魂は燃え尽きました
結局、私は長期だったので社員の市村と二人ぼっち・・。
何日間かはバーミヤンで二人でぼーっとしてたもんなー
それからはみんなに軽井沢の思い出を忘れてほしくなかったので
アルバムを作ることを決意!
写真をいっぱい撮ってあったけども、まだPCやデジカメが主流の時代ではないので
使い捨てカメラの現像と焼き増し(全部で1000枚位やったきがする)
夜中のファミレスでさみしさを紛らわしてたのか二人で一所懸命つくったもんだ!
そうこうしているうちに一番の相方だったヨシマサが戻ってきたり、またカワイイ子が
はいってきたり、まー得意のフラレましたが、、、。
充実かつ、恋じゃなくて濃い日々を過ごした軽井沢でした。
あれがなければ今の自分は絶対になかったし、忘れちゃいけないものだと思い定期的に軽井沢には行くようにしてます。
長々とどーでもいい思い出話を書きましたが、最終的になにがいいたいかというと
当時何もできなかったくせに、クソ生意気だった私をやさしく見守ってくれた諸先輩方は本当に
感謝の気持ちでいっぱいです。やよいさんありがとう!
その経験を糧に、自分も後輩には本当のやさしさで接しようと思う新イチローでした。
明日からはケイイチローにやさしくしてやろうー
でもなー顔見るとむかつくんだよなーアイツ
軽井沢シリーズは書き足りなくて第3弾まであるのでまた次回書いちゃいます
またつきあってください。
次回 『軽井沢夏物語 第2章』 ~新イチロー、さんまの弟子になる編~ 乞うご期待!
