音楽めも、1960年代生まれの。

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2016年5月 広島 オバマ米大統領 演説。

2016-05-28 05:31:52 | その他
President Obama Participates in a Wreath Laying Ceremony(The White House)
2016年5月 広島にて オバマ米大統領 スピーチ全文(英語)
2016年5月 広島にて オバマ米大統領 スピーチ全文(日本語)


・出だし。

71 years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed.
71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。


・結語。

That is a future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.
この未来こそ、私たちが選択する未来です。未来において広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として知られることでしょう。


・想像力。

our thoughts, our imagination, our language, our tool making, our ability
私たちの考え、想像力、言語、道具の製作、私たちの能力
imagine the moment the bomb fell
原爆が落とされた時に思いを馳せています
Some day the voices of the Hibakusha will no longer be with us to bear witness. But the memory of the morning of August 6, 1945 must never fade. That memory allows us to fight complacency. It fuels our moral imagination, it allows us to change.
いつの日か、被爆者の声も消えていくことになるでしょう。しかし「1945年8月6日の苦しみ」というものは、決して消えるものではありません。その記憶に拠って、私たちは慢心と戦わなければなりません。私たちの道徳的な想像力をかきたてるものとなるでしょう。そして、私たちに変化を促すものとなります。
perhaps above all reimagine our connection to one another as members of one human race
なによりも、私たちは互いのつながりを再び認識する必要があります。


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(5月31日追記)
オバマ大統領(1961年8月4日-)の広島訪問とトランプ
 「オバマ大統領と彼を支えるミレニアル世代と呼ばれる若者の動向」
 ・ミレニアル世代 - Google 検索
  「「ミレニアル世代」とは、2000年以降に成人、あるいは社会人になる世代を指す言葉です。ミレニアル(Millennial)は、英語で「千年紀の」という意味。
   おもに米国で1980~2000年頃に生まれた若者を「ミレニアル世代」「新千年紀世代」と呼び、それ以前の世代とは異なる特性を持つと注目されています」
 ・ミレニアル世代とは - 日本語表現辞典 Weblio辞書
  「米国で、1980年代半ばから2003年の間に生まれた世代を指す語。「M世代」とも言う。
   いわゆるデジタルネイティブであり、社会のあり方を変容させる世代として注目されている」

    ・ミレニアル世代の日米の価値観の違い?なぜなら、日本では、オバマ大統領は若者より年寄に支持する人が多い気がする←ネーミング by ohtoboke123
      >世代論でみると、2008年オバマ大統領が誕生したことで、今後40年間はよりリベラルな時代になる
       二重の意味でそれ本当?(1)アメリカの今後40年間はリベラルって本当?(2)日米の同世代って同じ?
       アメリカではミレニアル世代はリベラルというけれど、日本の若い人リベラル好き?日本では逆で、リベラルは嫌いという人が大勢になっている、と思う。
      >日米で影響力の強い世代が異なっていることは興味深い事実です
       アメリカでは、ミレニアル世代が社会や政治に関心を持っているけれど、日本では持っていないから、ということだと思う。
      (※「正しい」かどうかなんて考えたくもない、というのが日本では主流だと思う。)


「まるで押し売り」。

2016-05-28 04:57:28 | その他
「Windows 10」へのアップグレード攻勢がますます激化 ユーザーからは怒りの声も(AP通信 日本語翻訳 ITmedia ニュース) - Y!ニュース1)。(※1※2

押し付けられるものには、森羅万象、一様に共通するこの↑圧迫感を感じますよね、しまいには憤慨する(憤慨を感じる)類いの。一方、自分で選んだものには、森羅万象、一様に共通する納得感があります。

この記事の筆者も書いているとおり、Windows10がいいかどうか(押し付けられる「もの」が「いいもの」かどうか)は、この感情にとって、いちばん大事なことではないですよね。「意思で選択するstep」を奪われる(人格を無視される)ことがなわけで(※)。Windows10がいいかどうか(押し付けられるその「もの」がいいものかどうか)は、その次に大事。意思で選択するstepのなかにおいて、大事(10が気に入ったからこれにしようとか、10は悪くないんだけど7を使っていてこれを気に入っているから要らないとか、嫌いだ気に入らない、とか)。

こういう気持ちの動きは、老若男女いっしょでしょうね、「人間だもの」。


※人はそうされたとき、たとえ何らかのものを手にしたとしても、何かを得た満足感ではなくその反対、何か大事なものを奪われた気持ちになる。あるいは、奪われた気持ちが残る。でもそうする方は、「いいじゃないか、減るもんじゃなし」と言うんですよね、いつの時代でも、どこの場所でも(←そういうタイプの人に普遍的な思考方法でしょうね、老若男女を問わない)。

一時期のMicrosoftさんは「いい企業」のイメージがあったのだけど、急にまた「嫌な感じ」になりました。いったい、何があったんだろう?まあ、PCのOSの利用者には、Microsoftさん内部にどういう事情が発生したのかは、関係ないし、どうでもいいことではありますが。内部は預かり知らないことだけど、 外から描写すれば、 「選んでもらえないことは受け入れられない」 ということなんでしょうね。でも、「選ぶ」んだから選ばないこともあるわけで、それを受け入れられないというのは、 「独りよがり」 な希望・願望・欲望 なわけで。それがもたらす 「嫌な感じ」 は、こういう感じ。

From the 1979 album "X-Static"。

2016-05-16 04:02:15 | 音楽
再び。Daryl Hall & John Oatesのアルバム。Produced by David Foster
クレジットは、ダリル・ホールとサラ・アレン
Who Said The World Was Fair - Daryl Hall & John Oates
Woman Comes and Goes - Daryl Hall & John Oates
All You Want Is Heaven - Daryl Hall & John Oates
Portable Radio - Daryl Hall & John Oates
Wait for Me - Daryl Hall & John Oates

ああ、いいですなあ。好きです。(゜-゜)

突然知らない人から絡まれるという被害。

2016-05-08 14:02:52 | その他
自分の欲望を他人に押し付ける人、自分の怨みを他人で晴らす人について歩きスマホの「当たり屋」ハラスメントの正体 の続きで。

突然知らない人から絡まれるという被害を受けている
>「突然知らない人から絡まれる」、「『ちょっと絡んだだけじゃん』と思うかもしれないけれど」「みんな『そのぐらいのことで』と思っているけれど、『そのぐらいのこと』だって迷惑だから止めてほしい」。
そうですよね、「突然知らない人から絡まれる」というのは、やっぱり「被害」ですよね。

>「性暴力のことは犯人の持つ欲望をエンターテインメントとして描いたり、復讐のカタルシスを味わうためのものとしてしか描かれていなかった」。でも「被害者目線で描いてくれて本当に良かった」。
本当によかった。 男→女 も 女→男 も 男→男 も 女→女 も一緒ですよね。老若男女問わず(注)、さらに性に関することに限らず、する方の一方的な欲望や復讐のカタルシスを求める行為、される方が拒否していても離れようとしてもそれを無視してつきまとう行為は、「片方向な一方的な求め」だから、あるいは「拒否されているのに求め(てい)る」から、“絡む”という形になるわけだけど、これは迷惑で、立派な「加害」だと自分も思います。

被害者が「言ってはいけないこと」なんじゃないかとか「恥ずかし」くて「誰にも言えない」ということになる社会は 「正しく」 なくて、
「『私は不当なことをされた』と言える」社会が 「正しい ですよね、と自分も思います。

“被害を訴え出ない者も
 被害を忘れなさいと諭す者も
 被害の発生を知らない者も
 現行法の生易しさも
 みんな性犯罪者の味方だ”

共感します。その先何もなくても、「絡まれる」ということ自体が、耐え難い、受け入れられないことです。差別に類するような「酷い」ことには、昔から、それはお前が我慢しろ、と言いのける人が居たわけだけれど。


※迷惑:「《名ノナ・ス自》他人のことで、煩わしくいやな目にあうこと」「ある行為がもとで、他の人が」「不快を感じ」「ること」
※性暴力:性に由来する欲望を、相手の感情・意思・人格を無視して押し付ける行為、無理強いする行為。
※暴力:何かを得るために人を「説得する」魅力・能力・道理が足りていなくて説得できない者が、他人にこれを強制すること。
 ※※何か:注がれる愛情、払われる敬意、向けられる関心、優越、体、物、売り上げ、お金、etc、人が「欲する」もの全般。
※性犯罪者:性に由来する欲望を、相手の感情・意思・人格を無視して押し付ける者、無理強いする者。求められた方が受け入れていれば(嫌がってなければ)、犯罪ではないですよね(むしろ楽しいことかも)。一方的な思いを押し付けられて、受けた方の気持ち・意思が無視されているところが犯罪なわけで。
注:性に関することに限らず、見ず知らずの他人に邪魔をしたり絡んだりすることで満足を得る(=嫉妬や復讐の発露)人っていますよね、男 → 男、女 → 女でも。



人が誰かに“絡む”理由は、要求(願望・欲望)を押し付けている(無理強いしている)、何かの復讐をしている(憂さ晴らしをしている)、嫉妬している(相手に何かをしないではいられない)、等ですが、どれにしても、絡まれた側の「知ったことではない」( ←なんであなたの面倒を見なきゃならないんだ?という気持になる。そういう意味では、ちゃんと自立して欲しい。一人前になって欲しい。他人に迷惑をかけないで欲しい。甘えないで欲しい。と思う)。

人間関係のある者同士の間でなら、嫉妬したりされたりは「当たり前」のことでしょうけれども、見ず知らずの生身の人間へ復讐しないではいられない感情となると、それはもう、ほとんど怨みか呪いに近い感情、あるいは(世の中への=思い通りにならない他人への=自分の希望通りでない自分自身への=「自分が希望する自分>現実の自分」のときに抱く)恨みか呪いそのものなのではないか。

物理的に絡むのではなく、視線で絡みつく人もいますよね。よく、ただ歩いていて、なんでもなく周りを見ながら歩いているとき、案内板などを見て情報を探しているようなとき、その視線の途中または延長線上に居る人が突然、なんで俺を見るのだ?!/なぜ私を見るのよ?!と言い出す、自意識過剰なのか、あるいはそういう瞬間を離さないで掴まえないと見てくれる人がいないからなんじゃないか?あるいは、そうまでしてその相手に固執する、と思わず思ってしまう、そう思わせる執拗さ、執念を感じさせる人がいますが(眼をつぶって歩かなきゃいけないの?と思わせる人。また、劇場で観劇していたら、いくつか前の席の人が、なんでこっちを見るのよ!!と振る舞っているのを目撃したことがありますが、そりゃいくらなんでも道理に無理がある(・・;)。観劇で席に着いたら、前を向いて「見て」いるのは当たり前でしょう)、そういうのと違って、また立場が逆で、表向き力が抜けたような目で、でも目の底には深い恨みを湛えたような目で、じーっとこちらを凝視する人がいますよね。物理的にはなんにもしていなくても、またそこが彼ら/彼女らの「言い訳」になっているのかもしれませんが、見知らぬ人を凝視するというのは、立派な「絡みつき」です。また、先の話の、じーっと見るわけでもないに「なぜ見る?!」と言いがかりをつけ、なんくせをつけるのも。