音楽めも、1960年代生まれの。

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アンカー。

2022-07-03 15:58:27 | その他
これはこのブログのアンカーです。続きは「-7」に。

G. E. Smith。

2016-07-05 21:34:46 | 音楽
ホール・アンド・オーツとデヴィッド・ボウイ 繋がりで。

こういうギター・ソロ、自分は好きなんですよね。(^-^)

G. E. Smith の ギター・ソロKiss On My List))。
G. E. Smith の 記事




次の展開。

2016-07-03 11:23:26 | その他
世の中について、思うところを歌う 繋がりで。

21世紀のいま、かつて人権や民主主義といったような考え方が生まれたように、ような意味での、次の展開が見えた。21世紀のいま、「善」は、哲学的に人が守るべきことは、「人に、当人の意に反することはしてはいけない」「人に、当人の意に反することをすることは許されない」ということだ(※1)。

逆に 「悪いこと」 は、と言い換えれば、相手が男だから女だからLGBTだから、イスラム教徒だからキリスト教徒だから仏教徒だから、子どもだから年寄りだから、貧しい者だから富める者だから、発展途上国だから先進国だから、という何かの属性の理由で、その意思を無視すること/一方的に何か(※2)を押し付けることだ。言い換えれば、 「『自分でないものには何をしてもいい』という 感情・考え は『悪』」 「『自分でないものには何をしてもいい』という 感情・考え 『悪』」 ということだ。

で、現実に当てはめるとどうなるかというと/どう考えるかというと、まず、テロは許せない。これは、断固拒否、阻止すべきものだ。された方(求められた方)は The end になる(ことを目論見られた)もので、いかなる理由があっても許されない。直ちに時間的猶予がないという意味で、緊急回避的に、まず第一に緊急性が高い。物理的暴力や言語的暴力(※3)といった犯罪行為も、これに準ずる。次に、それよりは対応に時間的余裕を見ても大丈夫あるいは時間をかけないと現実問題変えられないという意味で次に、相手が男だからむさぼってもいい、女だから一方的に欲求を押し付けていい、自分の国の人じゃないからこき使っていい、○○教徒だから人間扱いしなくていい、○○人種だから軽んじていい、内輪(ウチら、ウチ)じゃない(ソト)から何をしてもいい、自じゃない他には何をしてもいい、といった社会構造/社会的考えは許されない。これは、変えていかなければならないことだ。自分だけよければいい、自分だけ(納)得すれば相手は何を感じてもかまわないという考え/感情は諸悪の根源で、その当事者に犠牲を強いるのが悪ということだけでなく、それは憎悪を生み出すもので、また憎悪を利用しようとする者のエサとなるものだ(※4)。

テロや分断が試みられる情勢状況のなかで、 「他を尊重すること、それは自分が尊重を受けるのと同じように」 ということは、連帯を生む発想で、平和を目指すものだ。


※1:教育の場における指導、犯罪による法に基づく処罰の場合は別。指揮命令系統のある組織内の命令は、普遍的な価値との間に線引きがある。
※2:人が欲するもの全般。つまり注がれる愛情、払われる敬意、向けられる関心、気持ち、優越、体、物、売り上げ、労(働)力、お金、etc を要求すること。
※3:肉体や精神を傷つけるのが暴力。 また 「暴力」 には、行使者の被行使者への 「意思の強制」 という特性がある。
※4:つまり21世紀の今日的な問題だ。21世紀のいまの局面が抱える問題だ。


これに抵抗を感じる人は、自分の「得」は微塵も削るのは嫌だという人(他者に無限の要求をする人/他人も尊重するのは嫌だという人)か、なんらかの差別主義者か、憎悪に陥っている人か、憎悪を利用しようと思っている人か、のいずれかではないか。テロリストがテロを起こしているその時点の様は「自分の尊重を求める、でも他は尊重しない」、ヘイト(スピーチ)を行う人がヘイト(スピーチ)を行っているその時点の様は「自分を尊重するために、他を尊重しない」と表現出来る。それらの様/行為は「悪」で、それらは、他に不当な犠牲を強い、また、新しく憎悪を生み出すものだ。それらの様/行為があり続ければ、犠牲者は出続け、憎悪は生まれ続けるのではないか。未来に向かって、その「悪」は止めなければならない、と思う。一方「悪者」は、犠牲者に向かって、「我慢しろ」または「これは当然である」とこれからも言うだろう、歴史上そういう人はこれまでもそうだったように。相手は○○だからその意を無視していい、○○の人格なんてどうでもいい、と発想してきた人たちはいつもそうだったように。でも、「求められるほう」も人間なのです。意志があり、感情があるのです。

違う言い方をすれば、親切には必ずしも親切は返って来ないかもしれないけれど(受け手が意地悪だったり、ひねくれていたり、ずるかったり、求める側と求められる側でうまくコミュニケーションがとれていなかったり、etc. すれば)、意地悪には意地悪か憎しみしか返ってこない(意地悪か憎しみしか生まない)と言うこともできます。意地悪をしておいて、「自分が望む何か」が返ってくることを期待する感情が、悪の権化、悪の源泉というわけです。求める側が外見上手に入れたようにみえていても、いや、実際に生まれていたのは怒りや憎しみであったりで、望むものは手に入っていないというわけです(ただ、怒りや憎しみの発生(相手の怒りや憎しみ)を求めていたのであれば、そのやり方で手に入り得ます(※5))。言い方を換えれば、善意には必ずしも善意は返ってこないけれど、悪意には必ず悪意が返ってくる、という言い方もできます(受け手によっては、受けた悪意を他の何かに昇華する個人もいるけれども、それは例外であって、それを前提に社会を構想すべきではない)。

※5:つまり、その場合、その場合の求める者の行為は、ヘイトの源泉そのもの。

言い換えれば、人と人の関係において、求める方には節度が要る、何に対しての節度かといえば、求められる方の意思・感情・存在に対して、ということです。その反対にある哲学、思想は、自分が楽しければ(自分さえよければ)他者には何をしてもいいという考え方、思考方法、思想、気持ち、気分です。


(7月31日追記)
・1948-1953年 文部省著作教科書 民主主義 径書房 2015年8月15日 第9刷 ISBN 978-4-7705-0144-8 146~162ページ 第八章 社会生活における民主主義

 ・「民主主義は決して単なる政治上の制度ではない。それは、その根本において社会生活のあり方であり、社会生活を営むすべての人々の心の持ち方である」p.146
 ・「社会生活における」「根本の原理は、人間を個人として尊重するということである。尊重されるのは、だれだろう。それは、『わたし』であり、『あなた』である」
  「自分のかってな欲望を遂げようとする者があった場合、それでも黙っているのが正しいことであろうか」「個人の尊重」p.150
 ・「他人を自分の利己心の道具として用いるのは、人間の尊厳なねうちをふみにじる罪悪である」「民主主義は、社会生活からあらゆる意味での奴隷を駆逐しなければならない」p.152
 ・「自分であると他人であるとを問わず、すべての人間を個人として尊重する」こと。「他人の立場を重んじないで、どうして自分の立場だけを認めさせる資格があろうか
  「だから」「個人の権利を重んずると同時に、個人の責任を重んずる」p.156, 157
 ・「個人の自由の尊さを認識せず、個人の尊厳を自覚しない者は、他人の自由を侵し、他人の人格を傷つけることを意に介しない」p.161, 162
    ↓
   ところで、いまどき(2014年8月)の日本が持つ価値観って、本当に自由・人権・民主主義?

 ※ちなみに憲法だの民主主義だのに懐疑的な人向けに言えば、人々にとって、立憲主義や民主主義が「最善」かどうかは、わからないですよ。
  目下のところ、それ以外に見つからないと思われているだけで。

 ※なぜ選挙をするのか、その理由は共有出来ましたよね(2016年9月25日追記)
  自治体の首長を選挙で選ぶのは、公共の施策に大きな責任と権限を持っているポジションだからで、公費を使って「大きな人気投票」を実施している
  わけではないです。いま、東京都の豊洲移転問題が起きているから、「勉強して」なくても「難しく考え」なくても「想像力を働かせ」なくても、実感として
  認識出来ますよね。
  かなりの人にとっては意外かもしれないけど、自分にとっても衝撃的な驚きだったけど、選挙は華やかな人気投票だと考えている人がどうやらいる
  ということを、ここ3年くらいのうちに知りました。AKB48総選挙の影響か、そういう認識を持っている人がいるみたい(それも、学生さんの日常の会話
  のなかでとか何かの冗談でとかではなく、政治・経済について議論をしようという場の論者が、そういう場で、本気で表明する考えとして)。
  でも、そうではないです。選挙や民主主義に興味がない/は嫌いだ/を知らない時代だとはいっても、ちょっとびっくりな事実でした。世の中について
  「話し合う」には、そこからスタートしなきゃならないのか、この分ではおそらく、選挙だけでなく、森羅万象についてそうなのかも、という事実に接しての
  驚き。
  でも選挙については、豊洲騒動が起きたことによって、違うということが共有できましたよね、きっと。
  (ちなみにアメリカ大統領選挙は東京都知事選よりもっと盛大に行われるけど、これも、その地位が世界の人々の生活や人生に大きな影響を及ぼす
  決定をする権限/責任を持つ立場だからで、候補者や当選者をちやほやするためなのではないことは、言うまでもありません)
  
  


世の中について、思うところを歌う。

2016-06-26 16:28:12 | 音楽
男性の気持ち2 繋がりで。

デヴィッド・ボウイもホール・アンド・オーツも、「社会派」として/だから好きになったわけじゃない。音楽がカッコよくて、見た目がイケてて、好きになった。で、彼らの楽曲のなかには、恋から愛までの唄から、こういう歌(社会についての歌)↓まで、彼らが関心を持ったことについて、自分の気持ちについて、彼らの周りの現実について、思ったことを歌っていたんですね。

David Bowie - Fashion12)。
Daryl Hall & John Oates - Possession Obsession12)。 - たとえば、“LOVE LOVE LOVE this song.”

素直にというか、恐れずにというか、固定観念に縛られないでというか、嘘偽りのない気持ちというか、自身の有利不利を計算に入れないでというか、入れる前の気持ちというか、を歌えたのは、勇気があったのか、自立していたのか…。

おじさん。

2016-06-25 02:57:02 | その他
男性の気持ち繋がりで。

おじさんはなんでシーハーしたり鼻毛抜いたり平気で人前で出来るんだろうと思っていたけれど、自分がおじさんになって、わかった。そうしているときは、つきまとわれないのだった。

色気とは無縁の雰囲気を醸し出していれば(自分はいま色気を出していませんよ(状況が許せば/うまくいけば誰かとどうにかなろう、誰かをどうにかしようとは思ってはいない状況ですよいま只今は)、と明確に意思表示していれば or こいつは「喰えない奴」で、駆け引きを仕掛けても乗ってくる奴じゃないな、と思わせておけば)、つきまとわれないのだ、ということがわかった。

ただ、この「色気」というやつが問題で、身なりを整えたり気に入った服を着たりすることが、必ずしも、直ちにイコール他人の気を引こうとしているわけではない、というところ。そういうことと無縁ということはたぶんあり得ないけど、でも直截的には、自分が自分であるためにそうしている、もっと有り体に言えば、自分が恥ずかしくないためにそうしている、というところがあるので、やっぱり最初の、おじさんてシーハーしたり鼻毛抜いたりよく出来るな、というところにループする?

※仕事でも、立場が上にいくほど、上から下から右から左から互いに相容れないものが押し寄せてくる。そういうとき、こいつは喰えない奴だと思わせておけば、言っても始まらない、言ってもムダだ、と「余計なもの」が押し寄せて来ない。「いい顔」をしていると、拾わなくていいものまで押し寄せてくるから、プレートとプレートの狭間みたいなところで、押し寄せてくるエネルギーを小さくする効果があるのだった。ただ、それでチームなり組織なりが目的に向かってうまく機能するか、雰囲気がよくなるかといったら、それは別問題。処世術なんでしょうね、「要らないもの」が寄ってこないための。個人のキャパシティを超えて潰されないための。邪魔されないで(他者の意志または本能からの欲求による邪魔を受けないで)、まっすぐ歩けるようにするための。


異性に向かって時と場合による断りを入れているわけですから、この種の気持ちを述べると、女性が述べると男性に、男性が述べると女性に受けが悪くなる、また、女性が述べると女性に、男性が述べると男性に嫉妬をかう側面はあるけれども、これは「ヘイト(相手に横柄に不遜に振る舞って自分の尊厳を保ちたい気持ち)」ではなくその逆、自分にも尊厳があるんですよ(人間には誰にも尊厳があるんですよ、意思(人格)を無視しないで)、という気持ちです。こちらから誰かのところへわざわざ出向いて行って悪く言いたいのではなく、求められる方も人間ですよ、物じゃありません、気持ち/意思が在るのですから、それを無視して付き纏わないで(しがみつかないで)ください、と言っているのですから、受け入れてもらう(我慢してもらう)しかないです。いや受け入れない、という人もいるわけですけども(丁寧な断りの態度/ことばを理解できない(理解したくない?)人が増えたから、ふつうの人が切れることが増えた?)。
いついかなる時も延々と要望を聞けという消費者がいるような時代背景もあるかもしれませんが、お互い様という言葉とか、TPOという言葉は今は死語?お客様は「神様」かもしれませんが、無限の要求をする「客」の存在とか、供する者は奴隷ではありません、ということを言わざるを得ない、というような時代背景も関係してる?あるいは逆に、この記事の主題のことが、時代をそうしている可能性もある?