コラム「ひびき」  ☆☆お堀端クリニック☆☆

小田原市お堀端通りにある神経内科クリニックです。
折に触れて、ちょっとした話題、雑感を発信いたします。

じゃ、どうする

2017年01月30日 | コラム
作 佐野洋子

物忘れによるトラブルが
増えてきたような気がする。

昨夜、テレビがこわれた。
いくらリモコンを押しても
テレビがつかないのだ。
ボーッとリモコンを見ると、
電話を持っていた。

あれは一年位前だった。
冷蔵庫をあけてぞっとした。
洗ったコーヒーカップが
三つ並んで置いてあった。

ゴタゴタした
プラスチックの箱をかき回すと、
「えーっ、こんなもの、
そう云えば持っていたんだあ」
というものが次から次へと出てくる。
はさみなんか、
いくつ買ったかわからない。
突然神かくしにあった様になる。

このごろ私は、家の中で
ボーッと立ち止まっている事が、
日に十回以上ある。

何かをとりに行こうと思って
立ち上がり、ニ、三歩あるくと、
何をとりに行こうとしているか
わからなくなっているのだ。

新しい名前など、全部忘れる。
仕事のファックスや手紙なども、
ほとんど忘れる。

先方から、
「先日お手紙差し上げた〇〇ですが」
と云われても、
何だかさっぱりわからない。
「それ何だっけ?」と
聞くより外ない。すでに私は
社会的に抹殺されているだろう。

アライさんはひどく記憶力のいい人で、
「アライさんは学者になれるね」と時々思う。
そのアライさんが
「同じ話を同じ人にしないようにしている」
と云うのでますます感心したが、
子供の時十円盗んで山の木に
しばりつけられたという話を、
私は何度も聞いている。
そのたびに面白いのだが、
あのアライさんでさえ
物忘れが多少はあるのだ。

ああ、他人が物忘れをすると
どうして私は
こんなに嬉しいのだろう。

「昨夜のごはんが
何だったか忘れなければ大丈夫」
と云う人がいるが、思い出すのに
すごく時間がかかる。

人からもらったものも、
あげたものもすぐ忘れる。

マリちゃんところに、
もらった漬物を
半分持っていったら、
「ヤダ、これ私が
あげたものよ」
と云われた。

私はストーブで煮た花豆を
いろんな友達に送っているが、
「ねー洋子さん、
前の花豆まだ食い終わってないよ」
と云われて、あわてふためいた。

皆年相応にもの忘れするが、
私はひどくはないか。
じゃどうする、どうにもならん。

そして
しこたまアルツハイマーの本を
買い込んで来て、
おびえと恐怖と好奇心で、
実に熱心に読む。

読んでどうする、
どうにもならん。

それを次から次へと
友達に送る。

「洋子さん、アハハ、あなた同じ本
また送ってきてるよ」

どうする?
どうにもならん。

大物

2017年01月26日 | コラム
あるコンビニで研修中の若い女性。中年男性客が、アンパンと牛乳パックをレジに持って来た。研修生は、それらを袋に入れて、会計をしようとする。すかさず、指導係の店長が背後から、何か言うことあるだろう、とうながす。

研修中の女子、「これから、張り込みですか?」

正解は、ストローをつけますか、らしい。

坂の上の雲

2017年01月04日 | コラム
司馬遼太郎 作

まことに小さな国が
開化期を迎えようとしている。

小さなといえば、
明治初年の日本ほど小さな国は
なかったであろう。

産業といえば農業しかなく、
人材といえば三百年の間、
読書階級であった旧士族しかなかった。

明治維新によって、
日本人は初めて近代的な
「国家」というものを持った。
誰もが「国民」になった。

不慣れながら「国民」になった日本人たちは、
日本史上の最初の体験者として
その新鮮さに昂揚した。

この痛々しいばかりの昂揚が分からなければ、
この段階の歴史は分からない。

社会のどういう階層のどういう家の子でも、
ある一定の資格を取るために必要な
記憶力と根気さえあれば、
博士にも官吏にも軍人にも教師にもなりえた。

この時代の明るさは、
こういう楽天主義から来ている。

今から思えば実に滑稽なことに、
米と絹の他に主要産業のないこの国家の連中が
ヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした。
陸軍も同様である。

財政の成り立つはずがない。
が、ともかくも近代国家をつくりあげようというのは、
もともと維新成立の大目的であったし、
維新後の新国民達の少年のような希望であった。

この物語は、その小さな国がヨーロッパにおける
最も古い大国の一つロシアと対決し、
どのように振る舞ったかという物語である。

主人公は、あるいはこの時代の
小さな日本ということになるかもしれない。
ともかくも、我々は
三人の人物のあとを追わねばならない。

四国は伊予松山に、三人の男がいた。

この古い城下町に生まれた秋山真之は、
日露戦争が起こるにあたって
勝利は不可能に近いといわれた
バルチック艦隊を滅ぼすにいたる作戦を立て、
それを実施した。

その兄の秋山好古は、
日本の騎兵を育成し、
史上最強の騎兵といわれる
コサック師団を破るという奇蹟を遂げた。

もう一人は、俳句、短歌といった
日本の古い短詩型に
新風を入れてその中興の祖となった
俳人、正岡子規である。

彼らは明治という時代人の体質で、
前をのみ見つめながら歩く。
登って行く坂の上の青い天に
もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、
それのみを見つめて坂を登って行くであろう。