以下は、以前、勤務していました認知症専門病院の、ある年の忘年会での職員に向けた挨拶です。その当時の雰囲気が良く出ていると思います。その頃の問題点は、多くの認知症患者さんの居られる施設では、現在でもなお、変わらぬ課題だと思います。職員の待遇とも併せ考えると深刻な問題です。
当院開院後、9ヶ月目に入りました。私が院長をお引き受けして3ヶ月が経とうとしています。みなさん、毎日本当にご苦労様です。それぞれの部署で、やってもやってもこれでよいということがない仕事量をこなしておられることと思います。日頃の疲れ、ストレスを発散できる場がもっとたくさんあれば良いのですが、今日が、そういう数少ない機会の一つになれば、と思います。
さて、私自身の率直な感想を申し上げると、いやぁ大変だなぁ、疲れるなぁ、という気分です。身体的に大変な面はもちろんあるのですが、それはいずれ改善されていくことでしょう。先の見通しがはっきりわかっている場合、多少の肉体的苦痛には耐えられるものです。大変さの中には、思い通りにいかないなぁ、良い方向への変革がなかなか進まないなぁ、というイライラ、時に無力感があります。私が院長をお引き受けしましたのと、鳩山内閣が発足いたしましたのがちょうど同じ時期でした。今回の政権交代は、明治維新以来、いやそれ以上の革命に匹敵する変革を社会にもたらすと期待されています。私も初日に、こんなことを目指すというお話の中で、革命的な変革をしなければならない、と強調しました。
従来の認知症診療では、社会生活、家庭生活を行っていく上で、きわめて不都合な症状を何とか消滅させようというところに主眼が置かれていました。患者さんを一般社会から隔絶し、暴言、暴力があれば、なんとかこれをコントロールして、従順な無抵抗の人にしてしまおうというのが、最終目標に設定されていたのです。
このために、すでに脳萎縮が進行し、全身状態の悪化もある患者さんに、大量の薬物を使用し、身体の自由を奪うということが行われてきました。
しかし、心を落ち着けてよく考えてみてください。これはいったい、誰の都合を最優先した結果の治療選択でしょうか。何十人入院していても、水を打ったように静かな病棟で、もくもくとおむつ交換をし、体位変換をする光景を想像してみてください。だれも何も不平不満を言わない、叫ばない、あちこち歩き回ってけんかをしたり、転んでケガをすることもない、まるで工場のような病棟で、モノを相手に淡々と作業する。
これは、明らかに管理する側に立った発想からの帰結です。患者さんが望むことを推し量った結果ではありません。
さまざまな教科書や専門家の講演では、患者さん本位の医療を展開しなければならない、ともう久しく以前から指摘されています。なぜなら、医療というのは本来そういうために存在しているのですし、患者さんをモノとして扱って、利潤を追求する社会には、働く人々が本当に心から満足できる幸福感はうまれないからです。
しかし、それを文字通りに実践できている場所は、ほとんどないのではないでしょうか。
私が、革命的に変革しなければならないと申し上げましたのも、そういう従来の形態に自然となってしまうのを、当院では拒否し、新しい理想の形を作らなければならないと考えるからです。
皆さんも、そう遠くない将来、病棟で療養する患者さんの一人になっていくことでしょう。そのときに、患者さんになった皆さん本位の医療が施されることを願っています。
そのためには、まず、いま目の前におられる患者さんで、何をなすべきかを真剣に考える必要があります。情けは人のためならず、です。他人にしたように自分にされるのです。
それぞれの立場で、よくよく考えてみることが必要だと思います。自分がこれまで当たり前だと思ってきたやり方をいちいち再点検してみる必要があります。これは実際には大変困難な作業です。だから革命といったわけです。Brainstormingです。頭の中をすっかり切り換えて一緒に、がんばりましょう。
古代ギリシャの七賢のひとりタレスは、何が一番難しいかと問われ、「自分を知ること」と言ったそうです。では容易なことは?と問われて、「他人に忠告すること」と答えたといいます。けだし、名言だと感じます。まずは、自分自身を知ること、そして少し変わること、次の日、また少し変わること、それが大事なことですね。
この辺で、私の挨拶はおしまいとし、みなさん、楽しんでください。
当院開院後、9ヶ月目に入りました。私が院長をお引き受けして3ヶ月が経とうとしています。みなさん、毎日本当にご苦労様です。それぞれの部署で、やってもやってもこれでよいということがない仕事量をこなしておられることと思います。日頃の疲れ、ストレスを発散できる場がもっとたくさんあれば良いのですが、今日が、そういう数少ない機会の一つになれば、と思います。
さて、私自身の率直な感想を申し上げると、いやぁ大変だなぁ、疲れるなぁ、という気分です。身体的に大変な面はもちろんあるのですが、それはいずれ改善されていくことでしょう。先の見通しがはっきりわかっている場合、多少の肉体的苦痛には耐えられるものです。大変さの中には、思い通りにいかないなぁ、良い方向への変革がなかなか進まないなぁ、というイライラ、時に無力感があります。私が院長をお引き受けしましたのと、鳩山内閣が発足いたしましたのがちょうど同じ時期でした。今回の政権交代は、明治維新以来、いやそれ以上の革命に匹敵する変革を社会にもたらすと期待されています。私も初日に、こんなことを目指すというお話の中で、革命的な変革をしなければならない、と強調しました。
従来の認知症診療では、社会生活、家庭生活を行っていく上で、きわめて不都合な症状を何とか消滅させようというところに主眼が置かれていました。患者さんを一般社会から隔絶し、暴言、暴力があれば、なんとかこれをコントロールして、従順な無抵抗の人にしてしまおうというのが、最終目標に設定されていたのです。
このために、すでに脳萎縮が進行し、全身状態の悪化もある患者さんに、大量の薬物を使用し、身体の自由を奪うということが行われてきました。
しかし、心を落ち着けてよく考えてみてください。これはいったい、誰の都合を最優先した結果の治療選択でしょうか。何十人入院していても、水を打ったように静かな病棟で、もくもくとおむつ交換をし、体位変換をする光景を想像してみてください。だれも何も不平不満を言わない、叫ばない、あちこち歩き回ってけんかをしたり、転んでケガをすることもない、まるで工場のような病棟で、モノを相手に淡々と作業する。
これは、明らかに管理する側に立った発想からの帰結です。患者さんが望むことを推し量った結果ではありません。
さまざまな教科書や専門家の講演では、患者さん本位の医療を展開しなければならない、ともう久しく以前から指摘されています。なぜなら、医療というのは本来そういうために存在しているのですし、患者さんをモノとして扱って、利潤を追求する社会には、働く人々が本当に心から満足できる幸福感はうまれないからです。
しかし、それを文字通りに実践できている場所は、ほとんどないのではないでしょうか。
私が、革命的に変革しなければならないと申し上げましたのも、そういう従来の形態に自然となってしまうのを、当院では拒否し、新しい理想の形を作らなければならないと考えるからです。
皆さんも、そう遠くない将来、病棟で療養する患者さんの一人になっていくことでしょう。そのときに、患者さんになった皆さん本位の医療が施されることを願っています。
そのためには、まず、いま目の前におられる患者さんで、何をなすべきかを真剣に考える必要があります。情けは人のためならず、です。他人にしたように自分にされるのです。
それぞれの立場で、よくよく考えてみることが必要だと思います。自分がこれまで当たり前だと思ってきたやり方をいちいち再点検してみる必要があります。これは実際には大変困難な作業です。だから革命といったわけです。Brainstormingです。頭の中をすっかり切り換えて一緒に、がんばりましょう。
古代ギリシャの七賢のひとりタレスは、何が一番難しいかと問われ、「自分を知ること」と言ったそうです。では容易なことは?と問われて、「他人に忠告すること」と答えたといいます。けだし、名言だと感じます。まずは、自分自身を知ること、そして少し変わること、次の日、また少し変わること、それが大事なことですね。
この辺で、私の挨拶はおしまいとし、みなさん、楽しんでください。