pray@311

2014-03-11 | others
遡ること約10年前の9月に30年ぶりの大型台風が島を直撃した。最大瞬間風速74.1メートル毎時に達した。
県道の電柱を削ぎ倒し、トラックやバスまでをも転倒させ、港に停泊した船も転覆させもした。
他にもショーウインドウの窓ガラスを破り、ビニールハウスや巨大看板はおろかショッピングモールやガソリンスタンドの屋根すら吹き飛ばし多大な傷跡を与え島は一時壊滅的な状態に陥った。台風は島の岬に聳え立つ3基の風力発電機のうち一基のプロペラを落とし、一基は根元からへし折った。
その後、台風は韓国に到達し痛ましいことに韓国において死者行方不明者が129名といった過去最高の莫大な被害をもたらしてしまった。
それは島では人災は少なくすんだが台風がいかに脅威だったかを物語っていた。
数年前に沖縄本島に設置された風力発電機のニュースをたまたま観ていた。
すると、宮古島の巨大台風での教訓をもとに検証し耐久性を強めたものだとキャスターが説明していた。
他に市内では大型台風に薙ぎ倒されないようにと電柱がなくなり電線が地中に埋まる工事も既に施された区域もある。
災害の教訓はそうして活かされていくのであるのだなと感心した。
だが、その後311の後に強烈に気付いたことが別にあった。
それは風力発電所の近隣の製塩工場が台風後も稼動し、その前に広がる海のもずく養殖所で船が操業していること。その海岸で俺が釣りが出来るということだった。

台風被害と地震・津波被害における復興は異なるだろうが、島で地中電線や強度や耐久性を極めた風力発電機が設置されたように被災経験からの回避策が盛り込まれ徐々に整備されていくのであろう。
そうして復興へ前進するなかで、やはり311以降に気付いたことが何よりの足かせとなるのだと感じた。

事実、三年を経ても仮設住宅で暮らす方々や故郷へ戻ろうか戻るまいか苦渋の選択に悩む方々が多くおられることがこの時期に特集される報道の断片から知ることが出来る。
(凝視できずに思わずチャンネルを変えてしまう・・・というか消してしまうこともあった)
人間は考える葦である・・
こんなやるせない日くらいは人間の端くれなりに考えてみるのだと暗闇でブログに書き殴ってみる。
前からずっと頭の中にあるのは都市集中による地方の過疎化と高齢化を逆手にとる居住地と仕事を両立するマッチング的な地方における振興策。
例えば国有地、大企業や大地主他の未使用の保有地、過疎化による民間の空地や空家、公共施設の使用頻度が少ないもの等価ないし同面積で交換したらどうだろうか。
以前に借家だった方は空き家や居住の少ない団地なども活用できるのかな・・。
より放射能汚染区域から日本海側、関東、北海道側へ故郷よりなるたけ近しい場所へ近隣住民と被爆汚染区域の民族移動を成していく。
近しい場所といっても結果、日本中隈無く移動しないと収まらない数なのかもしれないですけど・・
(生まれ育った同場所じゃないと嫌だという人もいるだろうけど・・)
この時点では土地と土地の物々交換(国と民間の資産における名義交換)で国の総資産もあまり減退せず、活きる復興予算が疲弊しない抑止が働き、次の段階へいける気がする。
ここで仮設などではなく家を中古なり新築し支給できれば良いがおそらくそこまでは不可能だろう。
そこで仕事だ。
311以前より地方の高齢化及び都市への流出により過疎衰退する社会問題はあった。
そういった地方の人口密度を埋め、同時に後継人不足と問題視された第一次産業から先ずは国家予算を注入し規模を拡張し雇用増員しで嘗て漁業を営んでいたものは漁業を陸を隔てた日本海側で、同じように被ばく線量の少ない農地で同じように農業者は農業を営む。
税制優遇他特区制度なる国策や経団連などの力ある団体の働きかけで半ば強引に海外にある日本企業の工場などを地方の人口増の新興都市に誘致し第二次産業の雇用を図り被災前の仕事内容とマッチングしていく。自ずとこの二つの部門が発展すれば第三次産業は多岐に栄えるだろう。
住の確保も被災者個人の家の購入や建築費用は保証分も考慮し、他にも長期の無利子に限りなく近く、新たな仕事の出来高でストレスなく返済できるようにここにも柔軟な特別措置が施される。
その他、地方振興発展の為にそういった専門性に長けた社会学者等が英知を出し合って考案し政治が束ね国策として多面的に施策を成していけばよいのではないだろうか。

やがて石棺で覆われた廃炉を中心に放置された広大な無人の土地が国有地と化した状態で残る。
自然循環させ、その他科学技術の先端技術を惜しみなく投入し除染を即し、野菜や機械ではなくエネルギーを産出する。
風車のように風力発電機が幾千も聳え、黒いビニールで覆われた畑地かとおもいきや太陽光のパネルが幾重にも連なるなんて光景にしてしまう。
無人の海には潮流発電所やら洋上風力発電所が浮かぶなんて311から3年目に想い描いた科学と自然の融合した理想の森を想い描いて終わろう。
ブログを去年の今頃に始めたのでこの記事が一年の区切りだし破綻していようが子供じみていようがこのまま載せてしまおう。

映画、禁じられた遊びのラストシーンで羊飼いの少年が戦場で母親を殺され悲しみに暮れる迷子の少女の為に何故か教会や墓場の十字架を盗み風車小屋の中にぶっ刺して飾る。
その様子を森の仙人のように小屋に棲むフクロウが寡黙に見守っている。
映画を観たときにもう既に18才は超えていたが、物語りとはいえこの少年の優しさの示し方に魅かれた。(教会の牧師や親は愚か者と思っただろうが神様はどう思ったのだろうか?)
この少年の如く十字架に見立てた頑丈な風車をあの惨事で犠牲になられた方の数だけ暫くは住めそうもない地に立ててみてはどうだろうか?そんな膨大な数は無理なら親なき孤児になってしまった子の数だけでも先ずはいかがなものだろうか・・
やがては、その十字架は慰霊の塔だけでなくエネルギーの余剰を産み震災と津波で親を亡くした子などの稼ぎ手とはならないだろうか・・
まるで親のように成人し就職するまで十字架は風に廻ってエネルギーを収穫し子を育みやがて老朽化し役目を果たす・・
千の風になってって歌もあるくらいだからさ・・
10年前に島が台風に見舞われた時に島外から応援に駆けつけ電柱を次々にぶったてて補修していった機動力や英雄の勇姿は今も忘れられず敬意を払っている。廃炉の処理や管理が大変なのは察しますが、同時にそういった舵取りをし償いと弔いはいかがなものだろうか?原子力を稼動し補償を賄うより被害者もその方がまだましなのではないだろうか?
大元が舵を切れば自ずと技術提供している大手も一気に束なって技術革新の方向を変えられる。
長きに渡り化け物を管理し続けた技術力は新たな方向性に活かされるのではないだろうか?
とはいえ、世界基準がとか、未だに何故か10年前と変わらずに三基しか建ってない風車の意図する現実もあるがアイスランドのような100%自然エネルギーで賄っている国もあるのも現実。確かにあの国のような地熱はないが技術力がある。
世界がどういった方向へ向かっていようが唯一被爆国であることと311の教訓を習わしとする刃のない刀で峰打ちし続ける侍を突っ張ってみるってのも悪くないと思う。
今日は三度目の3月11日・・上記したこととはまるで別な方法でも何でも良いが祈るだけの十字架がそろそろ廻り始めることを願う。









2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
なし! (つなき)
2014-03-11 08:14:55
小川さんが昨日俺の夢に出て来てメッチャ怒られました!正夢にならなければ良いが!笑では、免許更新して来ます!
返信する
Unknown (ogawa)
2014-03-11 20:04:30
(笑)何じゃその夢は
ガーラ釣った夢にして!
返信する

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。