田舎に戻って改めて感じるコト。
「2人以上集まれば、群れて近所、他人、TV芸能等の不幸な噂話、悪口にしか能(脳)が活発に働かない。」
コレを批判と受け取る人もいるでしょうが、私は客観的に事実を述べているだけです。 嘘だと思う方は田舎のおっさん、おばさん連中の話を聞いてください。 近所の噂話と悪口しか言っていません。
だから、私のように独自の分野の独学研究やって、肉食わないマクロバイオティクスなんてやっていると浮いて興味本位・悪口・噂・批判の対象になってしまいます。 まー帰ってくる前からこうなる事は分かってはいたのですが、それにしてもムダに疲れる。 だから最後までココには帰りたくなかった。
不思議なのが、病院に行ってばかりの人がほとんど病院に行ったことがない私にアレコレ指示するのです。 少しぐらい肉を食ったほうが健康に良いとか、甘いもの、砂糖も取った方が良いとか、酒も多少なら薬だとか。 そこまで食べたいモノを我慢しても、交通事故とかで死ぬこともあるんだから、一回の人生欲望のままに生きた方がトク、だとか。
確かに、その人が健康で全く病気もせずに、Positive Thinkingで、ケイシー・リーディングや大森先生ぐらいの智慧を授けてくれるのならそれに従いますが、酒飲んで、病院行って、他人の悪口ぐらいしか言わない、だとそのアドバイスに従えと言っても不可能でしょう。
私は、好き嫌いに関わらず良いモノはよい、悪いモノはわるいと、判断するようにしています。 コレは私の尊敬する大森英桜先生やケイシー・リーディングから学んだ精神です。
自分独自の人生(生き方・考え方)の美学というモノを一度も考えた事がない集まり。
何回生まれ変わっても、神の前に堂々と出せる生き方というモノを一度も考えた事が無い。
理想を描かせるようなまともな本を一度も読んだ事がない。
そんな連中が子供にまともな教育なんてできるはずもありません。 いい大学に入れ、金持ちになれ、か、他人の不幸な噂話・悪口の仕方を教えるぐらいが関の山でしょう。
ですが、それらの人々も可哀想といえば可哀想ではあります。 真の無限の可能性が拡がる世界を知らず田舎の果てで朽ち果てていく。 東京も欲に塗れ、お金無しには何も出来ない世界ではありますが、間違いなく様々な分野で一流の人材が集まる街ではありました。
一度ソレらの ”一流” のモノや考えを識ってしまうと、それ以下に堕とすコトは本能が反発します。 「そっちへ行くな! お前は人から何と言われようと信じたこの道を行け!」 と囁きます。
故にひとりで歩み続けるしかありません。 しかし、その独立独歩の土台は、今までの経験や智慧から完全に固められています。 だから再びこの地辺境の地に戻されたのでしょう。
群れず、馴れ合わず、ひとり己の信じた道(未知)を貫き通す!
さて、カルく呟いたところで、そろそろ本題に入りたいと思います。
約20年前に出遭っていたにも関わらず、その時の読解力では無理と判断されたのか、15年の月日が流れてやっと表に出てきたひふみ神示ですが、こちらは数字(数秘学)で降ろされた預言・哲学書です。 神示の中にもその事が述べられています。
高度な天人同士の会話は数字のみでなされることが多い、と。
ここで、現在採り上げている “3” という数字を題材にした帖を引用して数秘学というモノを考えてみたいと思います。
と思いましたが、これから出かけるので、
続く・・・