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“ 嵐が吹き消した 恵みのろうそくを 再び取り上げ、それに新しい明かりを灯さなければならぬ。” 教皇ヨハネ二十三世

file.no-124 『 おまけの小林クン 』 ( 完結 )

2011-12-11 18:14:26 | 書籍

学術誌、同人誌を こよなく愛する私でも、少年ジャンプ連載中の 『 家庭教師リボーン 』 にみられるような、一般向けマンガも読みます。 公式で、二次創作ネタを連発しているような、サンデー 『 マギ 』 も、読みます。

少女マンガだって読みます。
それが 今回のレヴュー。

 『 おまけの小林クン 』 著:森生まさみ 花とゆめコミックス 白泉社

連載は、1996年から2005年まで。 コミックスも、全16巻にて完結済み。
実は、以前は読んでいたのです。
教員をやっていたくらいには、『学校』 が好きでしたので、例えば 読むモノとしましたら、N.H.クラインバウムの 『 いまを生きる 』( 1989年 ) ですとか、例えば 観るモノとしましたら、ケビン・クライン主演の映画 『 卒業の朝 』( 2002年 )―― といったモノが お気に入りです。

学校モノが好き、とは言いましても、ビーバップなんとかですとか、GTOとかいうものは、ちょっとどころではないくらいに 苦手でした。
多分 それは、アンチBLに、無理やりBLを読ませたときのような 拒絶反応だと思います。 それくらい、肌に合いませんでした。

―― 閑話休題。
『 おまけの小林クン 』 は、過去に13巻までは 読んでいました。
ですので、発行年からすると 2004年頃まではファンだったということ。
それが、読まなくなった理由には、先ずは、「 ストーリーが もたついており、なかなか進級しない! ( 連載マンガの呪いですね )」 ということ。
それに、エピソードごとの、「次回への ひっぱり」 が、大げさすぎて 読んでいてイラッとし始めたこと。
次第に 鼻につき始めた、主人公・小林大和と千尋との、「BL臭」 ( 16巻あとがきにて、作者自身が “ 恋愛関係ではない” 旨について触れていたので、狙っていたのか 無意識なのか、連載当時から そういった(ry…)。

いろいろありまして、コミックス購入は、13巻がラスト。 それ以降は、読んでいない。
書店勤務時でさえ、社員割にて購入することを思いつかなかったほどです。

      ***

過日、姪の勉強の息抜きに、シティの図書館分館に行きました折、コミックコーナーに立ち寄ったのです。
すると、そこで 『 おまけの小林クン 』 が並んでいました。

昔を思い出して、手に取ってみて、ペラペラとページをめくり―― 奥付に、ふと目が止まると、そこに。
寄贈:森生まさみ氏 の寄贈印が。

「 ―― ハァ??? 」

なぜ、以前ほどの声望は無いにしても ( 失礼 )、白泉社LaLaの古参作家が こんな辺境図書館に寄贈を?
最初は、司書が 話題作りに、ガセで 書き込んだのかと思いました( 失礼 )。

車に置いたままだったネットブックで、ググってみたところ、理解しました。
森生まさみ女史は、四国西部出身だったのですねぇ―― 知りませんでした。

極力、商品知識は得るように努力していたつもりでしたが―― 井の中の蛙でした。
素直に、ネットの利便性に 感心しました。 ご本人のブログも、検索に引っかかりましたし( ばっちり、都道府県まで―― いいのか? )
ただ、白泉社の公式サイトにある 作家本人リンク には未登録であり―― 確定ではありませんが。 そうは言っても、別人による偽造などで 利は無いので、ご本人でしょうけれど。
書いている文を読むと、だいたいどの辺にお住まいなのか分かり―― そのわりに、最寄り店舗でのサイン会などを聴いた覚えがないのは、なんとしたこと。
地元出身の作家のコーナーは作るものですが―― あったっけ? ふぅむぅ~、興味深い。

四国西部の各図書館に、それぞれ自作品を寄贈しているのか―― 販促としても、ふぅむぅ~、興味深い。
サイン会すら、木で鼻を括ったような反応を示す作家がいるのに、なかなか 熱心なことです。
もはや、関係の無い話ですけれど。

そんなこんなで、図書館でレンタルしまして、14、15、16巻を読み―― いちおう、すべて読破。
実に、7年越しの読破。

今夏発売を完遂(?) した、文庫版でも、描き下ろし 「N・G出張版」、新作サイドストーリーが収録されているとのことですが、購入は―― まぁ、いいです。 いいのか。

      ***

つまらないわけでは、ないのです。
主人公・大和の、陰のある過去設定は、味があります。
また、ヒロイン・吹雪が、小学生のような 愛くるしい容姿の大和を ベタ可愛がりをする―― いわゆるショタコン属性の設定というのも、微苦笑ではありますが、味があります。

森生女史の、過去作に 『 聖・はいぱあ警備隊 』 というモノがありますが、正直 そちらのほうが肌に合ったくらい。
“ Z ” という、汚れ役の生徒が居たりしまして、綺麗ごとばかりではないところが、全編通して好きでした。 文庫版も全巻買ったくらいでしたし。

ただ、毒と甘味のバランスが、少しばかり 私向きではなかった―― といったところでしょうか。
コミックというのは、不思議なものです。 有り得ないような設定、物語の展開。
そして、虚実皮膜の間にこそ、物語には、面白みがある。

今に伝わる、近松門左衛門の言葉として、

“ 芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるもの也。 ( 略 )
  虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰有たものなり。”
       ( 穂積以貫 著 『難波みやげ -発端抄-』 より )

もちろん、何をもって「虚」 とし、何をもって「実」 とするというのか。
FF13、「ふぁぶらのぶぅあくりすたる」 の時も強く感じましたけれど、この匙加減を間違えると ユーザーはドン引くのではないでしょうか。

バイオハザードや マリオのような、ある意味分かりやすい筋立てがメインのものが、成功する。
坪内逍遥が、『 梓神子 』 という戯文の中で、 「 “虚妄” を形として、実というものは “理” とするべき」 という考え方を述べています。 また、その流れで、以下のようにも。

“ さりながら 真実より出たる虚の中には、実具りて、夢の中に現あり。
  ( 中略 )
  就中 演劇の改良を云ふ者 あり。
  形の実を重しとすること、理の実を重しとするよりも 甚だし。
  彼等時代物の劇を作れば、力を 専らに事実と風俗とに致し、年代の前後、言葉の品に気を焦り、調度、衣装の実ならんことを望めども、人情の実は 却りて空し。

 ( そして、
  「 立派な衣装を着た 羽柴秀吉が、織田家の幼主 三法師を抱いた場面のある、とある演劇を観たが、心に 何か残っただろうか。
   猿にも似ていた といわれる 秀吉ではなく、ただ 当時の 衣装を観れただけ。
   せっかくの 舞台演出、演技を味わえるかと思えば、太閤記のような 本を読んだのと 変わらなかったわぁ~ 」
   ―― と続けて )

  鳴物を入れ、活人踊り、耳に目に 心に訴へて、所詮物語本 読みたるとおなじくば、演劇の妙 いづれの所にかある。
  さるは 皆 形の実に泥みたる弊にあらずや。 ”
    ( 坪内逍遥 著 『 梓神子 ( 逍遥選集 第8巻所収 ) 』 春陽堂 1926年発行 より )

登場人物の衣装や性格設定、時代背景の 異様に細かすぎる設定。 ムービーや動作モーションやエフェクト効果には、異様にこだわる。
けれど、肝心の 物語を貫く “ 真理・真実 ”。 これは、おざなりなまま。

別に、過激なストーリーであってもいいと思います。 コクーン墜落ジェノサイドであってもいいだろうし、ヒロイン・ヒーロー生還など、ある意味では 無くてもいい。
ご都合主義で、その時々 自由に 結末を書き換えられるのであれば、ユーザーからすれば 興醒めではないかとも思います。
細部にはこだわるのに、本筋には こだわらない。 多くの評があるように、力の入れるところが、間違っていたのだと。

『難波みやげ』 でも、
“ とある夫人が、恋する男の姿を木像で作らせたところ、「毛のあな迄」 リアルにさせたら、逆に 気味が悪くなっちゃって、恋もさめちゃったわ~! ”
という、笑えるエピソードを紹介した後で、

“ 趣向も此ごとく、本の事に似る内に又 大まかなる所あるが、結句 芸になりて人の心のなぐさみとなる。”

―― そう書いているように、そんな程度でよいと 思います。
そして、映像や バトル・エフェクトにばかり こだわりすぎた感のあるFF13は、虚の中に実がなく、実の中には虚ばかりが目立ち、夢に見たのは 一本道のお話ばかりだったというオチ。
そして、『 おまけの小林クン 』 では、設定や 絵柄が悪いわけではない。
それなのに、物語終盤で、主人公・大和が 交通事故に遭い、
「 次の瞬間 ―― 小林クンは 私たちの前から姿を消した 」

―― そう、1ページの大コマを使って描いていて、何をどう先読みしても、死亡エンディングだと思いきや、ケロッと生還しており―― ご都合主義。 おそらくは、連載時、読者アンケートか何かで、生還希望が多かったのでしょう。
主人公が死亡のままであれば、おそらく 心に残る佳作であったろうにと思います。

実体験を活かすのが、優れた作家というものならば、「 真実より出たる虚の中には、実具りて、夢の中に現あり 」 という作品は、現代日本にては、極端に差が出るものかもしれません。
別に、愛する人との死別経験が無ければ、人の生き死にという要素を活かせない―― などと言うつもりはないのですが。

        ***

本作は、10巻くらいまでは、巧くコメディの毒を混ぜていたと思いますので、一度は読んでみると面白いと思います。
ただ、購入するとなると―― コンプリート・マニア向けか。
ここまで、いじいじ書いたということは、やはり 本作の事が好きだったのでしょうね、私も。

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