Flour of Life

煩悩のおもむくままな日々を、だらだらと綴っております。

映画「ダンケルク」「エイリアン:コヴェナント」(9月23日)

2017-09-24 17:06:38 | 映画


クリストファー・ノーラン監督の「ダンケルク」と、リドリー・スコット監督の「エイリアン コヴェナント」を見に行きました。
どっちも洋画だから、予告も洋画だろうと油断してたら、若者向けの少女漫画原作映画の予告が始まったのでずっこけました。ど、どこにも逃げ場がねぇ…。

この2本を見に行った理由は、「ダンケルク」は史実を基にした大作戦争映画として話題になってたから、「エイリアン:コヴェナント」はあんまり興味なかったけど“リドリー・スコットのマイケル・ファスベンダー愛が爆発してる映画”と聞いてからがぜん興味がわいて、もともとは「三度目の殺人」の予定だったのを急きょ変更して見に行くことになったのです。理由なんてそんなものです。ふっ。

では、それぞれの感想。どちらもネタバレがあるのでご注意ください。

「ダンケルク」
第2次世界大戦下の1940年。フランス北端のダンケルクには、英仏連合軍の40万人の兵士が追いつめられていた。イギリス兵のトミーはなんとしても生き延びようとイギリスに向けて脱出する輸送船に忍び込もうとする。一方、海の向こうのイギリスでは、救出作戦のために民間船までもが動員され、ダンケルクへと向かっていた。そしてイギリス空軍の戦闘機もまた、脱出する見方を守るために出撃した。果たして、トミーらダンケルクの兵士たちは生き残れるのか。助けに向かった人々の運命は…

“第2次世界大戦を舞台にした戦争映画”と聞いた時から、「ハートロッカー」「アメリカン・スナイパー」等々、海外の戦争映画を見る時に私がよくやらかしてたことが発生するんじゃないかと危惧していたのですが、やはり今回も同じことが起きてしまいました。それは
登場人物の見分けがつかなくなることです。イギリス空軍のパイロットはトム・ハーディだし、海軍の偉い人はケネス・ブラナーだから、そのへんはわかるし、救出に向かった民間船は空間が切り離されてるから間違えようがないのですが、ダンケルクで助けを待ってる兵士たちは、肌の色も髪の色も着てる者もだいたい同じで、最後まで誰が誰だかよくわからないままに終わってしまいました。まあ、誰が誰だかわかってなくても、内容を理解するのに支障がないっちゃないのですが、それはそれで怖い話です。実際に亡くなった人、生き残った人にはそれぞれの名前があって家族がいて、人生があったわけですから。

映画は、ダンケルクにいる兵士たち、イギリスから救出に向かう民間船、出撃したイギリス空軍の戦闘機の3つの視点で描かれています。それぞれのパートの冒頭に、“1week”、“1day”、“1hour”というテロップが入ります。最初は何のことかわからなかったけど、これはそれぞれにとっての、この「ダンケルクの撤退」に関わった時間を指すものなのでしょう(※個人の感想です)。そう考えると、助けを待つ兵士たちと救援に向かった空軍パイロットにとって、この撤退が持つ意味、受けた影響が変わってきそうです。さらに言えば、ダンケルクに行かなかった軍の中枢にいる軍人、政治家に至ってはどうだったのやら。

クリストファー・ノーラン監督は、CGを使わず、リアルな映像にこだわっていろいろ大規模なセットを組んで撮影したそうですが、私が見に行ったシネコンではリアルとか迫力とかはよくわかりませんでした。むしろ、CG使わないせいか空爆を受けた兵士の手足があちこちにちらばらなくて、戦場の凄惨さが伝わってこなかったのが残念です。ただ、陸・海・空の3つの視点から描かれるストーリーは、地味だけど手に汗を握る展開でハラハラドキドキ、最後には落涙と、うまいことできていたと思います。

といっても、映画館内で一番すすり泣きが聞こえてきたのは、ダンケルクに民間船が救出に来たシーンでも、トムハがドイツの戦闘機を撃墜した時でもなく、民間船に乗っていた青年ジョージが死んだときでした。軍人になることを父親に止められた彼は、母国の役に立つためにせめてもの思いで乗り込んだ民間船で、まさかのことが原因で命を落としてしまいます。「ダンケルクの撤退」の成功でイギリスは歓喜に沸いたそうですが、その陰で彼のようにひっそりと犠牲になった、勇敢な民間人もいたのだろうなと思うと胸が痛みます。

映画の中で、ダンケルクから一緒に脱出しようとするフランス兵を、イギリス兵が「お前たちは来るな」と拒絶する場面がありました。実際には、救出された33万人のうちフランス兵は14万人ほどいたそうなので、イギリス兵のみ救出すると決まっていたわけではなさそうなのですが、ここ最近の日本国内での隣国に対するヘイトスピーチや政治家の差別的発言などのニュースから考えると、もし日本がこの時のイギリスと同じ立場になったら…と想像したらぞっとします。

史実についての予備知識を持たないまま見たので、兵士の見分け以外にもよくわからないところはあったのですが、そういう人を置き去りにしないだけの説得力のある映画でした。ただ、戦場に民間船を動員したというのは究極の非常事態で、オリンピックのスタッフをボランティアという名のタダ働きで賄おうとするどっかの政治家がこれを見たら、「素晴らしい!我が国の国民も見習うべき!」とか言い出しそうで心配です。

余談ですが、映画の影響で今朝はパンにいつもは塗らないイチゴジャムを塗って食べました。飲み物はもちろん紅茶だぜ。


「エイリアン:コヴェナント」
宇宙移住計画を実行するために、地球を旅立ったコヴェナント号。しかし、航行中にアクシデントに襲われ、船長らが命を落とす。残されたクルーは修復作業を行うが、ある惑星から謎の電波を受信し、航路を変更してその惑星に向かうことになった。
小型船で惑星に着陸した彼らは、そこが目的地の星よりもはるかに地球と環境が似ていることに気づき喜ぶが、やがて一人が体調の異変を訴え、小型船に連れて戻る。医療スペースで治療中、激しくのたうち回る彼の背中から、エイリアンの幼体が飛び出し、クルーたちはパニックに陥るが…


一応、公式サイトにあったあらすじっぽいものを上に書いてみましたが、平たく言うと聞いた話通りの“リドリー・スコットのマイケル・ファスベンダー愛が爆発してる映画”でした。映画の冒頭からファスベンダー、目深にフードを被ったファスベンダー、マントをはためかせながら走るファスベンダー、縦笛を吹くファスベンダーとファスベンダー…途中から、彼以外の登場人物はすべてモブに見えてきました。というか実質モブです。主人公のはずのリプリーもといダニエルズですらモブです。公式サイトのキャラクター紹介を見ても、ほとんどのキャラが「こんな人いたっけ?」と忘却の彼方です。ファスベンダーの役はウォルターとデイヴィッドという2体のアンドロイドなので、他の登場人物(=人間)よりも印象が強いのは当然ですが、この映画を振り返ってももうファスベンダーのことしか思い出せないのは、やっぱり監督のファスベンダー愛にあてられてたせいだと思います。せっかくだから、順番が逆だけどこの映画の前日譚である「プロメテウス」を見ようかな、と考えているのですが、これ以上自分の中のファスベンダー濃度を濃くするのは危険な気もしています。

ファスベンダー以外で覚えていることを必死にかき集めると、コヴェナント号のクルーたちは、急に行き先を変更しようとするし、何が起きるかわからない惑星に来たというのに防除服も着ずに超カジュアルな装いだし、空気に何が含まれてるかわからないのにタバコを吸うわポイ捨てするわ、アンドロイドのウォルター以外は皆テラスハウスみたいなリア充カップル(※テラスハウス見たことありません)で、人類の存亡を賭けた(多分)宇宙船のクルーというより、懐かしのホラー映画に出てくる、「ドライブに出かけたら道に迷って、恐怖の館に忍び込んでえらい目に遭う大学生カップルたち」みたいでした。もともとそれを狙っているのかもしれませんが。

エイリアンシリーズは結構好きなので、人間の背中を突き破って出てくる場面では、「来るぞ、来るぞー」とわくわくしながら見ていました。クライマックスあたりに出てくる、生まれたての小鹿のようにぷるぷるしながら立ち上がるのを見た時は、エイリアンを培養してきたデイヴィッドの気持ちが少しわかりました。痛そうだから襲われたくはないけど。

リドリー・スコット監督がこの映画で言いたいのは「ところで俺のファスベンダーを見てくれ」ということだから(断定)、エイリアンのビジュアルがはっきり映る場面と、VSエイリアンの戦闘シーンが少なかったのはちょっと残念でした。あと、出てくる人間が感情的であまり賢明に見えない人ばかりで、ここ最近公開されてる宇宙船が舞台の映画に比べて、全体的な雰囲気が古臭いのも気になりました。あんなに優秀なアンドロイドがいるのにねぇ。

次こそは「三度目の殺人」を見に行こうと思います。このままじゃ、見る見る詐欺で逮捕されちゃう!


コメントを投稿