大学時代、日本文学を専攻していた私は卒論で西行法師を取り上げました。卒論の出来は散々でしたが、
西行にゆかりのある人の一人として崇徳上皇について調べているうちに、大学の図書館でこの本に出会いました。
そのときはざっと斜め読みしただけだったので、感想は
「歴史の表舞台には出てこないけど、良く考えるとすごい女性だなぁ」
と思ったくらいでした。
そしてそれから月日は流れ…
今年の大河が始まって、白河法皇やら鳥羽天皇やら待賢門院璋子やらが出てきてすったもんだしてるのを
見ているうちに、古い記憶が呼び覚まされました。そういや昔璋子について書かれた本を読んだなあ、と。
大学の図書館にあった本だから、一般には手に入らないかもしれないと思いつつ、検索。
するとあっさり見つかりました。そして購入。読了。現在に至る。
というわけで感想です。いや、学術書なんだから「感想」なんて軽い言い方したらいけないのかもしれないけど。
本はまず最初に璋子の話ではなく、養父である白河法皇の話から始まりました。
大河ではもののけじみた怪僧みたいに描かれてましたが、単なるスケベ爺さんなだけではなく、
頭がキレて教養も深い、大人物だったみたいです。あと、若いころは愛妻家だったそうで、奥さん(中宮)に
先立たれたときはものすごく落ち込み、その後は后も女御も立てなかったとか。でも、その一方で側近に奉仕する
女御たちに片っ端から手を付けてもいたそうなので、一途なのか浮気者なのかよくわからない人です。
そんな法皇に時の摂政・藤原忠実は散々振り回されて苦労したそうで、そう思うと今年の大河の國村隼のおしろいが
まだらなのも、何か深い意味があるのかな、と思えてきます。
で、中宮を失くして荒んでいた白河法皇の気持ちを慰めたのが、「祇園の女御」と呼ばれた女性。彼女は身分が
さほど高くなかったので、女御とは呼ばれてるけど実際は単なる侍妾なんですが、法皇から大変な寵愛を受けて、
実質的には皇后・中宮並みの権勢を誇っていたそうです。さすが聖子ちゃん、スゲー!
ちなみにドラマに出てくる祇園の女御は元白拍子ってことになってますが、残されてる記録によると、法皇に
仕えていた蔵人・源惟清の妻だったらしいです。法皇は祇園の女御とわがものにするために、惟清に難癖をつけて
流罪にしたとかしないとか…。どうやら、白河法皇は女性に対する独占欲が強かったようです。その欲が、
後の乱世を生む原因になったかもしれないのにねぇ。
法皇の話が長くなったので、そろそろ璋子のターン。
権大納言藤原公実の娘として生まれた璋子は、まあいろいろ大人の事情があって、白河法皇の養女になりました。
母親代わりになるのは、当時法皇の寵姫として絶大なる権勢を誇っていた祇園の女御。
法皇は幼い(当時七歳)璋子を溺愛していたそうです。そりゃもう、近臣がドン引きするくらい。
最初、法皇は璋子の夫に藤原忠実の長男・忠通を考えていたそうです。しかし忠実がこれを断固拒否。
やんわりと遠回しにではありますが、「絶対無理!」を貫いておりました。その理由は、璋子の奔放な異性関係、
それと、養父である法皇と男女の関係にあったこと。今よりも性におおらかだった平安時代でも、いくら
血のつながりがないと言えども父と娘が性的関係になることは許されざることだったそうです。
いわゆる「天下人」であった法皇には、そんな俗世の倫理観など関係なかったのかもしれません。
法皇の価値観は、彼に人として、女として育てられた璋子に大きく影響を及ぼしたと思うのですが…。
鳥羽天皇のもとに入内した後の璋子は、ドラマでも少し取り上げられてましたが、最初は天皇を拒み、
たびたび実家すなわち法皇のもとへ帰っていたそうです。しかも、その法皇のもとに帰っていた期間というのが、
璋子の月のものが終わってからまた始まるまでの間だったというのが生々しい…当時の高貴な女性は
月のものつまり物忌みの周期まで事細かく記録がのこっているので、そんなことまでわかってしまうんですね。
で、その月のものの周期と崇徳天皇が生まれた日を照らし合わせると、璋子が崇徳天皇を受胎した日が
だいたいわかってしまいます。そしてそれは璋子が法皇のもとへ戻っていた期間と被るという…。
もちろん、今更DNA検査ができるわけでもないし、真偽のほどはさだかではありません。
ただ、法皇と璋子の関係は都人の間では有名な話であり、入内してからしばらく璋子が鳥羽天皇を
頑なに拒絶していたということを考えると、疑惑の念がぬぐえません。
ちなみに、鳥羽天皇の乳母は、母・藤原光子と璋子の姉・実子という、璋子の身内2人でした。
この2人が、璋子の醜聞を徹底的にシャットアウトしていたため、鳥羽天皇は祖父である法皇と璋子の
関係を知らずに、璋子を妻として迎えてしまったそうです。かわいそ…。
璋子の夫の鳥羽天皇、というかとっくに上皇ですが、ドラマではお目目うるうるたまちゃん一途~に
されてるけど、実際はやっぱり白河法皇と血がつながっているだけあって、あちこちでお盛んだったようです。
法皇存命中は、法皇の目を畏れておとなしくしていたのに、亡くなってからは自分が一番エライわけ
ですから、もう歯止めがきかないというかなんというか。でも別に、だからといって璋子をないがしろに
していたわけではなく、中宮として、女性として敬愛していたことにはかわりはないんですけどね。
第一、2人の間には何人もの皇子皇女が生まれてますから。2人の間に生まれた子は夭折した子も何人かいたので、
2人で子どもを失った悲しみをわかちあったこともあるでしょうし。
白河法皇に対しても、上皇が一般的な男女関係における「嫉妬」の感情を持っていたかどうか。
ぶっちゃけ、相手のことが好きで結婚したわけじゃないしねぇ。自分の胤ではない子供を実子として
扱わなければいけないのは、プライドが許さなかったのではと思いますが。
そんなこんなで、一般的な夫婦とはちとズレているものの、それなりにうまくいっていた(?)鳥羽上皇と
璋子の関係にも、じわじわとひずみが生じてきます。その原因は、ドラマでもぶいぶい言わせてる得子…ではなく
藤原忠実の娘・勲子(入内後泰子と改名)。勲子の母はかつて白河法皇の寵を受けた源師子で、それゆえか法皇は
勲子を自分のもとに入侍させようとしていたそうですが、さすがに母娘が同じ男に愛されるのは気色悪いと
いうことで忠実が固辞。これだけ読んでると忠実は潔癖症みたいですが、その潔癖症が息子の頼長に変な方向に
遺伝したんでしょうかねぇ…。
というわけで、白河法皇が存命中はどこにも嫁ぐことができなかった勲子は、アラフォーになってから
やっと鳥羽上皇のもとに入内し、皇后・高陽院泰子になります。藤原摂関家の娘が、「天下人」である
鳥羽上皇の一の人の立場になったわけです。アラフォーになるまで独身だった泰子は、堅物で情緒に欠け、
女性としての魅力が乏しい人だった、といわれてますが(余計なお世話だ)、聡明な女性で、政治的な面で
活躍した人だったんだそうです。なので、今年の大河で泰子の存在がスルーされてるのはとても残念です。
堀河局が出てこなくなったら、宮中に聡明な女性がいなくなっちゃったじゃないのよさー!
興奮してピノコが乗り移ってしまいました。軌道修正。
それまでずっと鳥羽上皇の唯一の后だった璋子にとって、泰子が目障りなのは当然のこと。
プライドを傷つけられて気が滅入り、思い悩んでいたとか。白河法皇の養女になってからずっと、幸運に恵まれた
人生を歩んできただけに、ショックが大きかったんでしょうかね。とはいえ、鳥羽上皇にとって泰子の立后は
摂関家への義理立てみたいなもんだったから、別に璋子に飽きたとか女性的魅力を感じなくなったとか言うわけ
ではないので、この時点ではまだまだ上皇と璋子の関係は大丈夫だったんはないでしょうか。
その均衡がどどーんと崩れるのは、大河ドラマをご覧の皆さんがご存知の微服門院・得子が登場した時から。
鳥羽上皇に見初められた頃、得子はまだ十七歳(え?)。ぴっちぴちです。
長年苦楽を共にして連れ添ってきた璋子も、得子の若さには敵わなかったようで。まったく男ってやつは…。
得子が上皇のもとに入侍した頃、崇徳天皇はまだ十六歳(え?)でした。若い天皇は、父親(一応)が
うら若い女にうつつをぬかし、自分の母親を泣かせていることに腹が立ったんでしょうか、得子の一族の
職を奪い、領地を没収しするなど、厳しい処分を下しました。どうだまいったか。リアル崇徳はドラマみたいに
やられっぱなしではないのです。
その後、璋子の身内の人間が得子を呪詛したという事件が起きますが、この本にはドラマみたいに得子が
裏で糸を引いていた、というのではなく、時の関白・藤原忠通が首謀者であったのではと書かれています。
忠通は崇徳天皇の皇后・聖子の父親であり、得子が産んだ近衛天皇にも、自分の養女を女御にしたり、その他
もろもろの点でやり手だったようです。ドラマでは弟のインパクトが強すぎて空気になってますが。
忠通や藤原摂関家のドロドロした話は、璋子とは直接関係ないので割愛しますが、呪詛事件で璋子は完全な
「敗北」を感じて、とうとう出家を決意します。その後は比較的穏やかに暮らしていたようですが、久安元年、
1145年に待賢門院璋子は45年の生涯を閉じました。
璋子の死は、ドラマではアレーな関係になった佐藤義清=西行法師にも深い悲しみをもたらし、西行は
彼女の死を悼んで陸奥へ修行の旅に出た、とかなんとか。ドラマでの2人の関係はやりすぎ感があったけど、
やはり西行にとって璋子は特別な存在だったようですね。それはおそらく男女の色恋とかではなく、
白河法皇のもとで深い教養と信仰心を身に着けた璋子への、憧れと敬意だったのだと思います。
けして首絞めたりするんじゃなくて。
本を読んで、待賢門院璋子という人の人生を振り返ってみると、変な言い方ですが
「この人はリアル紫の上だったのかなー」
なんて思いました。幼いころから父と慕っていた人と男女の関係になり、当代一の権力者の妻として
栄華を誇るも、自分の実家よりも位の高い家の娘が現れ、立場をおびやかされ…そして最後は出家。
細かいところを比較するとそんなに似てないでしょうけどね。でも、彼女の産んだ皇子たちが、
歴史を揺るがす争乱の中心人物だったことを考えると、待賢門院璋子という人は、物語に出てくる
主人公よりも人を惹きつけるものがあり、誰かが描いたシナリオよりも数奇な運命のもとに生まれた
人だったんだなあ、としみじみ思いました。
…というか、「源氏物語」って結構リアルな話だったんだなって感心しましたよ!マジで!!
今度マンガとかじゃなくてちゃんとした現代語訳を読んでみようかな~。
あと、読んでて思ったのが、法皇や上皇や璋子がやたら寺立てたり仏像作ったり熊野詣に行ったりしてるのを
読んで、「こんなに金使ってて大丈夫かな~」と心配してたら、やっぱり財政逼迫させてたみたいで。
そのしわよせで当時の京の都は荒廃してたんだろうなぁ、と思うとロマンもへったくれもありません。
ドラマで頼長がムキー!ってなって怒ってる気持ちがよくわかりました。うん。
(ちなみにこの本でも頼長は両刀として紹介されてました…)
さて、これで待賢門院璋子についてみっちり知識がつきましたが、どうやら大河ドラマのたまちゃんは
次回第12話で退場されるみたいです。あぁ~残念。宮中のドロドロシーンが減るのかと思うと、
ちょっぴりさみしいです。(そればっかりでも困るんだけどさ)
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