東京でいくつかのの展覧会を観た後、まだ自分のなかに充足感がないことに気づき、さて、どうしようかと思い巡らしていると、そうだ、こういうときこそ国近(東京国立近代美術館)に行こうと閃き一目散に竹橋に向かった。
ゴーギャン展は先日観ていたので、充実の常設だけで良いと当初は考えていたのだが、チケット売り場に来ていいものは何度でも観るもんだ!と思い再度ゴーギャン展のものも購入した。
相変わらずの混雑振りのため、通行人その壱となり足早にゴーギャン展を通り過ぎた。そして、4階の常設展から順次観て行った。今村 紫紅、速水御舟、愛謳、国吉 康生と好きな作家が並ぶ。そして次に足を運んだとき、なんとまあ、徳岡 神泉の「赤松」があるではないか!確か、前回のときは無かったような気がするのだが。ともあれ、驚いた、そしてやっぱり凄い。100号ぐらいのなかに3本の木の幹が描かれているだけのシンプルな構図。しっくりとした色調のその絵はジャンルとしては日本がに括られるのだろうが、そんなものは飛び越えた自由な新しい抽象画のようであった。品があり美しい。今日はコレで充分だと思えた一瞬だった。
ゴーギャン展は先日観ていたので、充実の常設だけで良いと当初は考えていたのだが、チケット売り場に来ていいものは何度でも観るもんだ!と思い再度ゴーギャン展のものも購入した。
相変わらずの混雑振りのため、通行人その壱となり足早にゴーギャン展を通り過ぎた。そして、4階の常設展から順次観て行った。今村 紫紅、速水御舟、愛謳、国吉 康生と好きな作家が並ぶ。そして次に足を運んだとき、なんとまあ、徳岡 神泉の「赤松」があるではないか!確か、前回のときは無かったような気がするのだが。ともあれ、驚いた、そしてやっぱり凄い。100号ぐらいのなかに3本の木の幹が描かれているだけのシンプルな構図。しっくりとした色調のその絵はジャンルとしては日本がに括られるのだろうが、そんなものは飛び越えた自由な新しい抽象画のようであった。品があり美しい。今日はコレで充分だと思えた一瞬だった。