「大樹芯喩経」というお経があるらしい
いつごろどのような経緯でできたお経なのか門外漢の僕には及びもつかないが以下の内容がある
「樹木の芯を求めて林に入ったものが、枝や葉を得て芯を得たように思うならば、誠に愚かなことである
人の身の上に迫る生と老と病と死と、愁い、悲しみ、苦しみ、悩みを離れたいと望んで道を求める。これが芯である
それが、わずかな尊敬と名誉とを得て満足して心がおごり、自分をほめて他をそしるのは、枝葉を得ただけに過ぎないのに芯を得たと思うようなものである
また、自分の心がいくらか静まり安定を得たとして、それに満足して心が高ぶり、自分をほめて他をそしるのは、木の肉を得て芯を得たと思うようなものである。これらのものはみなすべて、気がゆるんで怠り、ふたたび苦しみを招くに至るであろう」
今日も田舎深く狭い道を分け入り、一軒家の農家を通り過ぎる
紅葉は人に見せるものでは決してありません
自分なりに「朱成(しゅぜい)」と呼んでいる域に達することは希求していたとしても、その気持ちを放棄していてはじめて得られると思うのです
幾度もこの細道の寂れを心に刻み込むのは人生の妙義であって感謝に堪えません
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