氷川丸
皆様ご存じの、長らく、横浜港に横付けされていました元日本郵船の貨客船、外国航路で知られた船です。私の父親は戦前、戦後この船のコックとして勤務していました。一番遠い帰港地はボストンと聞いていました。
それでアメリカ滞在の合間、ボストンに参りました。野外音楽堂、ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学などを訪れることが出来ました。後にインディー・ジョーンズの映画に出てきたような教室風景そのものです。
今では日本でも当たり前のように、早朝、ジョギングしておりますが、40年前にその景色を見た日本人の一青年のことを考えて下さい。まるで異様な世界が目の前で起きているのです。まさか後になって、それが当たり前になろうとは、予想だにしませんでした。
ボストンでの想い出は数多くありまが、初期の移民の人たちが、最も大事にしていたモットー「勤勉」は、刻まれていた像とともに今でも脳裏に焼きつています。
https://youtu.be/JNQvdzAbEz0
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