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八海の日替わり話

”日々をシッカリ楽しみ大らかに生きていく!”そんな爺さんです、よろしくねー!(^^)/

白壁の町並み 柳井市 其の三

2024-04-23 | 日記
**** 30,400文字の長文ですお暇なときにどうぞ ****
乱筆乱文言葉違いなどギョサンあります怒らないでください

柳井は山口フラワーランドに出かけるくらい
”白壁の町並み”はほぼ通過してた
ハッキリ言って色々見て知ってたが
興味すらわかなかった・・これは損をした


白壁の町並み 柳井市 其の三

続きです
宝来橋から入り白壁の町並みの辻に来た
続く漆喰かべにいぶし銀の瓦の町屋が何か懐かしい
不思議な気持ちだ


***** ガイドさん説明 *****
そそり立つ三角形の破風と、塗りあげられた白壁、
厨二階に開けられた四角い二つずつの窓との対比、
それが連続している景観の美しさ
ほとんどが妻入りですが、各建物をよく見ると
少しずつ意匠が違っており、
それぞれ個性を持っている一戸一戸を際立たせるように、
そそり立つ三角形の破風(はふ)と、
塗りあげられた白壁、厨子二階に開けられた
四角い二つずつの窓との対比、
それが連続して美しい景観を成している
ほとんどが妻入りで各建物をよく見ると、
少しずつ意匠が違っており、それぞれ個性を持っている事が分かります
***********

ガイドさんの説明をレコーダーで再生しながらの
引き出した説明である (笑)

厨子二階」主に物置や使用人の寝泊まりに使われた中二階の事
 「妻入り」 横から見て屋根が八の字のように見える面(妻側)に
入り口を設置する構造

平本食堂さんを前にして通りの辻に立つ
今は観光の人が見えません・・ 

これから案内される場所
ガイドさんの左手に白壁学游館がある
開館前におこなわれた改修工事では、
曳家工法という方法で建物全体を後方に移動させ、
を復元させ、町並み整えたものである

この建物では
柳井の歴史・民俗・伝統文化に関係したものを、
テーマに沿って展示し昔の民具やなつかしい生活用具、
昔の金魚ちょうちんなどが数多く並ぶ
国木田独歩の資料展示もある
柳井の歴史について学ぶ「白壁おなんど塾」も開催されている

写真に見える様に玄関は妻面にあり通りに面している
屋根は入母屋と切妻の造りが並んでいる
見ると切妻面に隅棟の屋根が付きさらにその下が軒となり
この立体感が景観を更に美しい素晴らしいものとしている

こちらが白壁学游館です

お邪魔しまーす! (^^)/


入り口すぐに 金魚提灯の説明 
なんでも緑や青や黒系もあるそうです
ちなみに柳井税務署は緑だそうです

弘前ねぶたと柳井金魚の形・造り・デザインが
異なるのがわかりますか


こちらが弘前ねぶた金魚違いは?

胸鰭、尾びれの位置、型 鰓や口まわりの描写より本物志向かな

こちらは凄い
飾り簪、ばち型簪、玉簪(紫檀?)ですか?
アクアマリンか螺鈿装飾?に当時の鼈甲の飾り加工の
総合技術の高さを知ることが出来る品々

うやら織り機、柳井縞のもの?
木製であり木を知る職人がなせる業が込めてられている

こちらが柳井縞 織物
柳井縞友の会 ホームページでお話をどうぞ


こちらは近くの”体験場所”です


次は武闘派尊皇攘夷派の僧  月性

秋元場挽香と月性は近所だった?
申し訳ない勉強不足ばかりです 

 鳥好きは目がここに・・これカワセミの作り物?  
剥製と間違いそうです

大きな梁の下の階段上がってみたい
二階から通り町家を眺めるとどんなかな

こちらは日本の伝統食
質素に、けれど栄養はしっかり摂れる『 一汁一菜
飽食で体調不良気味のそこの方
節約を兼ねて健康食を一日一善・・違った一日一膳!
サプリや外食もだけど身体を信じてどう

時間をかければ深く当時がわかるのだろうが
見たのは1/****くらいだろうか、もっと時間をかけたい所だ

白壁学游館の東隣
柳井唯一の地酒「旭寿」の酒蔵
皿田家  琴泉酒造  銘柄 ”旭寿”(きょくじゅ)
1837(天保8)年に酒造業を始め、
以前は県内有数の造り酒屋で知られていた。
銘柄は「旭寿」。

 
通りに面する建物は1908(明治41)年建当時最新鋭の設備を導入して
最高1,300石を製造をしている

ほーっ!立派な構えです

問題を一つ
この””の貼物は何でしょうか? 覚えておいてくださいよ


こちらのお方がボランティアガイドさん
面白おかしく説明されます
ご自分は発掘調査のお手伝いにもされてます

少し東に進むと
町時代頃から、柳井川に向けて作られた石積み水路
に出会います。
今日もなお排水溝がそのまま町割と敷地を形作ってる

室町時代に作られた石積み水路
この様な水路は33本も実在しているそうだ

やや斜めにこの水路が通り「掛屋小路」に伸びている

ひっそりとした美しい小路

こちらが「かけや小路」
江戸時代に、この突き当たりにありました豪商
「かけ屋」の名が付けられたもの
柳井川へ直接通ずる唯一の通路であり先ほどの
石積み水路とともに奥に伸びているのが見られる
  
佐川家本宅の防護柵「犬矢来」(イヌヤライ)が見えてきました

少し毛色の違う二階の窓
2階の部分、洋館風ですが内部は純和風の造りす
明治の初めに造られた柳井で最初の洋館で
柳井の近代化の最初とも言われています
ここには、明治23年に有栖川宮がお泊まりになりました


ちらの佐川本宅には”消”の貼り物が二枚あります。
Secomのシールの上あたりです。
この意味は火事になった時消火に使える井戸が二本ある
という意味だそうです
分かりやすいかな AEDが2台て感じかな
その横のハートマークみたいなものは?

問題2 これです!

調べてみてくださいませ・・(笑)


さて、佐川本宅を後にして
重要文化財「国森家住宅」です
 前身は守田家(室屋)で、1768(明和5)年の大火後
間もなく本瓦葺家屋として建てられた。
 1803(享和3)年から油商を営み、豪商となった

北のミセが写真と成っていますが
柳井川までの敷地ですから正にウナギの寝床みたいです


 柳井津を代表する白壁の土蔵造りで、
1974(昭和49)年国の重要文化財に指定された。
 1983~1984(昭和58~59)年に半解体修理された。
主屋は通りの南側にあり、北面し入母屋造り2階建・本瓦葺の土蔵造り
   前面と西側に庇を葺きおろしている。 
屁ではなく庇(ひさし)です(笑)

入口は道路に面して妻入りで内部は右西側に裏側まで通じる
土間があり、東側に部屋を設けている。

土間の正面には大戸をはめ部屋前面の
”ミセ”は内側に跳ね上げる形式の板戸(ブチョウ)で仕切って、
外側へ”ミセ”を開放するしかけとなっている。

このブチョウは阿波の方言 らしく吊り下げの板塀の様なもので
急雨の場合に、これを取付けて軒や庇を延長 に用いた様子がある
商家のミセとは、作業場や商品の陳列、接客の場としており、
商売の種類によって畳敷や板敷、土間造りがあるようだ


防護柵で「犬矢来」(イヌヤライ)も見えてる
ミセです

ミセの中の様子







10枚引き戸の鴨井 大黒柱に匹敵しそうな大きさ
敷居はコンクリート土間にVレールがありました


国森家の東側に隣接している袋になってるウナギの空き地
何が建ってたのかな?

美が近くに  軒瓦 数珠掛け三つ巴
これを和釘で止めています


屋根を見ますと
家を火災から護るという願いが込められ雲付鬼瓦は、
雲は雨を呼ぶというものに変化したとあります

ご近所に「鬼の顔」を向けるのは申し訳ない
というところから、鬼は敬遠され、
代わりに商売繁盛の恵比寿様や鶴亀、
火除けの願いから「水」と刻まれた鬼瓦など
「縁起物」という瓦が備え付けられるように
  なったと言われています 分からんけど・・

姫路城などと一緒で破風も漆喰を塗られてる
時代の完ぺきに近い屋根の防火仕様です

先ほどの問題2見たいな”調べて”ですが

ご存じの方も多いと思いますが
猪目”というもので💕ではありません
縄文時代の剣の鍔にもある古い魔除けだそうです
災い除けで山火事の時に一番先に逃げるのはイノシシと
いわれるのが始まりだとか
この中に(箱)にお札を入れておくという事でした。
確かにイノシシは山・谷・藪などものともせずに走り抜け
力強く筋肉隆々の素早い奴です 
素手なら人間など牙でグサッで
勝負がついてしまいます。
ということで
猪目でした。



30,324文字で
またまた長々と失礼しました
悪い癖ですね
此処まで来るのに下書きしていたのですが
上書を3回も忘れて失望し自暴自棄になりたかったのですが
ぼーっとしてました(笑)

やっとここにこぎつけました
次回は面白い構造の醤油蔵です
伝統の醤油樽の危機を迎えています

お付き合いありがとうございました
ではまた


あっ!だれかさん
扁桃腺炎早く治してくださいよ






















こちらお方がボランティアガイドさん
面白おかしく説明されます
ご自分も発掘調査のお手伝いに参加されてますよ









重要文化財「国森家住宅」に参りました
 前身は守田家(室屋)で、1768(明和5)年の大火後
間もなく本瓦葺家屋として建てられた。
 1803(享和3)年から油商を営み、豪商となっている。


北のミセが写真と成っていますが
柳井川までの敷地ですから正にウナギの寝床みたいです




 柳井津を代表する白壁の土蔵造りで、
1974(昭和49)年国の重要文化財に指定された。
 1983~1984(昭和58~59)年に半解体修理された。
主屋は通りの南側にあり、北面し入母屋造り2階建・本瓦葺の土蔵造り
   前面と西側に庇を葺きおろしている。 
屁ではなく庇(ひさし)です(笑)


入口は道路に面して妻入りで内部は右西側に裏側まで通じる
土間があり、東側に部屋を設けている。


土間の正面には大戸をはめ部屋前面の
ミセは内側に跳ね上げる形式の板戸(ブチョウ)で仕切って、
外側へミセを開放するしかけとなっている。


このブチョウは阿波の方言 らしく吊り下げの板塀の様なもので
急雨の場合に、これを取付けて軒や庇を延長 に用いた様子がある
商家のミセとは、作業場や商品の陳列、接客の場としており、
商売の種類によって畳敷や板敷、土間造りがあるようだ


防護柵で「犬矢来」(イヌヤライ)も見えてる
ミセです





電話四番と見えますよ四番です 
あっ!”消”の文字の張物を覚えていてください





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