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戦間期の思想

現代思想に係る引用と私的メモ

むしろ苦悩と挫折を、挫折の内的必然性という悲劇を見届ける

2019-06-18 12:53:45 | 現代思想
「それはある時代が終わろうとして、あらためて
その価値を総括してみようとする時に
いつも現れてくる人間だった
あらためて一人の人間が時代のすべての重荷を持ち上げ
自分の胸の深淵へ投げ入れる
彼より前の人々は悲喜哀楽に明け暮れていた
だが彼が感じるのは、ただ人生の重量であり
一切を一箇の物のようにじっと胸に抱いているということである
ただ神のみは遙かに彼の意志を超えた所にいる
だからこそその届きがたさへの壮大な敵意に燃えながら
彼は神を愛するのだ

 この詩[リルケ『時禱詩集』の「それはミケランジェロの生涯だった・・・」]はウェーバー研究者にはよく知られており、特に最初の三行は、多くのウェーバー論に、ウェーバー像の象徴としてしばしば引用されてきた。たしかに最初の三行は、時代の価値の総括者としてのウェーバーを彷彿とさせる直截な表現である。・・・・ウェーバー研究者たちがこの詩を引用するとき、きまって最初の三行に限られているのはなぜだろうか。・・・もしも最後の三行に力点をおいて読むなら、そこに現れれてくるのは「時代の価値の総合者」というイメージではなく、はるかに自分の意志を超えた神を、壮大な敵意に燃えながら愛するというアンビヴァレントな緊張に充ちた人間の姿である。」(德永恂『現代思想の断層』,pp.4-8)

若々しい英雄ダヴィデ像ばかりでなく晩年のミケランジェロは、また暗い未完の連作、いくつかのピエタ像、死んで十字架から降ろされたキリストを抱く母マリアの像を残しているという。「リルケがミケランジェロに惹かれたのは、ほかならぬこの後者の面、あるいは少なくとも前者と後者との両義的な緊張関係にあった。」ウェーバーもまたその英雄性ばかりでなく、「むしろ苦闘と挫折を、挫折の内的必然性という悲劇」(p.9)こそを見届けなければならないだろうと德永は言う。

そもそも社会的歴史的世界と無縁の「哲学」なんてあり得るのか?

2019-06-17 13:17:54 | 現代思想
 そうした政治と社会とは無縁の(無縁であるかのような)論議に哲学を閉じ込めようとしたのが、ハイデガーだった。もちろん成功しなかったことは、「学長演説」や最近刊行された「黒ノート」からもわかる。このことを木田元は意識的に無視した・・・(三島憲一「正真正銘のハイデゲリアン」河出書房新社『道の手帳 木田元』,2014年,p.58))

 古代の理性が形而上学の伝統となり、そこから技術が発生し、それが二〇世紀の悲惨を必然的にもたらしたとするハイデガーの意外と簡単な図式が、そのまま意外と簡単にさらっと継承されている・・・科学史も近代化も、実に複雑なさまざまな要素の絡み合いに発し、そこで生まれた価値や規範の潜在的な妥当性に服している[にもかかわらず]・・木田は・・・千何百年も前の世界のわけのわからない言語で表現されたものが「よく分かる」と[言ってしまう。]・・・(同,p.59)

 「分かる」ということ、ある種の人間の「見下した」態度に見られるように、その傲慢さは、自分は「分かっている」という自信と思い込みに由来するものだ。その立ち位置は彼が生きる社会的歴史的世界として規定されているにも拘わらず、彼はその制約から自由に「思い上がることができる」と主張しているのである。

 ハイデガーが「現存在」と表現した人間という存在者の根本体制に着目して「歴史」をめぐる諸問題にアプローチすることは、これまた当の人間が生きることの自己解釈・自己表現の企てから乖離した、高踏的(荒唐的?)な空論になってしまうのではないか・・・。(鹿島徹『危機における歴史の思考』,p.169)

「存在・神学」

2019-06-13 22:29:25 | 現代思想
「・・・西欧思想の地下を貫流し、その都度地表を揺るがし、場合によっては破壊してきた「断層」・・・あえてその断層、現代思想を揺るがす活断層の震源をさかのぼって、それを一語で名ざすとすれば「存在・神学」と呼べようか。」

「「存在・神学」とは、ハイデガーもしくはデリダをつうじて流布してきた表現だが、内容的には、ギリシア哲学(存在論)とキリスト教神学(救済論)、多神教と一神教、一般的には「知」と「信」とによって織りなされてきたヨーロッパ形而上学の知的伝統をさす。ヘレニズムとヘブライズムとの合体と言い換えてもいいだろう。」(德永恂『現代思想の断層』pp.236-7)

①ここでいう「存在・神学」とは、ヘレニズム的世界認識、つまりクソ社会(宮台真司)、ゴロンとしてあるだけの世界のなかで、アドルノのように「綜合」を拒否し(「否定弁証法」)、ベンヤミンとともに「中断」に留まりながらも(「静止状態での弁証法」)、それでも夕方になると、臨終の床にある皇帝が送ったという綸旨(救済の約束・「希望」)のことを、窓辺に座って夢想するカフカのことである。

皇帝が――と伝説には語られている――きみに、一介の人物、微々たる小臣、皇帝の太陽からおよそはるけさの極みに遠ざかった、目にもとまらぬ小さな影、ほかでもないそのきみに、皇帝が、崩御の床から、綸旨を送ったのだ。・・・・皇帝は使節を派遣した。使節は即刻出発した。・・・・彼は翔ぶがごとくに疾走し、やがてきみは、使節の拳がきみの門口の戸を叩く高らかな音を耳にするだろう。しかし実は・・・・いまだに彼は、中央宮殿の間から間へと、必死の思いでたどりつづけている。・・・・こうして幾千年が過ぎ去って行く。そして使者がついに、王宮の大手門からまろび出たとしても――しかしそんなことは未来永劫、起り得ようはずがない――彼の前にひろがるのはまだ、帝都の首都の眺めにすぎない、おびただしい滓がうずたかくたたみ重なる、世界の中心。誰ひとりここを突き抜けることはできない。あまつさえ、今は死者となった皇帝の綸旨をたずさえて、それが叶うはずはない。――しかしきみは、夕暮れごとにわが家の窓辺に座って、その綸旨のおもむきを夢のように思いやるのである。
(フランツカフカ『田舎医者』,円子修平訳,新潮社・カフカ全集1,1983年)


②また、キリスト教神学(救済論)といってもあくまでも救済のイメージである。なぜなら矛盾や対立の究極的な「綜合」や、早まった「宥和」に反対するアドルノからすれば、当然のことながら「最終的解決」は否定されねばならぬのだから。