「『批評と臨床』(1993)のなかで、ドゥルーズはプラトン主義をふたたび狂気との関係から批判している。プラトンの『パイドロス』では、神々の言葉の吹き込みによって生じる「神的な狂気」と、神々とは関わりのない人間的な狂気である「病気としての狂気」の区分が扱われているが、前者は詩やその他の芸術作品をうみだす価値のあるものとされるのに対して、後者(てんかんや酒狂がそれにあたると考えられた)は価値のあるものとされていた。ドゥルーズは、狂気の二分法を反転させ、むしろ、神々によって支えられた前者の狂気こそが「病気としての狂気」であるとする。それは、そのような狂気は、自らが神々(=父)によって裏打ちされていることを主張し、「純粋で優勢だと自称する」狂気(すなわち思い上がった狂気)だからである。反対に、神々(=父)によって裏打ちされていない私生児的な狂気は、さまざまな支配の下でも絶えず動きまわることのできる狂気であり、この狂気こそが「健康としての狂気」なのだとドゥルーズは主張する。ここで彼が述べているのは、垂直方向のプラトニズムはプラトンがいうような「神的な狂気」ではなくむしろ「病気」に関わるものであり、そこから逃走する反-垂直方向の狂気のあり方こそが「健康」に関わるという、水平方向の精神病理学の教えではないだろうか。」(松本卓也「水平方向の精神病理学にお向けて」『atプラス30号』,p.46)
垂直方向とは「与えられる」か「与えられないか」の二者択一であり、水平方向とは、「与えられる者」と「与える者」の入れ替わりのことである。
垂直方向とは「与えられる」か「与えられないか」の二者択一であり、水平方向とは、「与えられる者」と「与える者」の入れ替わりのことである。