『黒マリア流転―天正使節千々石ミゲル異聞』

太東岬近くの飯縄寺に秘蔵の黒マリア像を知った作者は、なぜこの辺境に日本に唯一のマリア像があるかと考え小説の着想を得た。

『黒マリア流転ー天正少年使節千々石ミゲル異聞』第4稿終了

2018-03-05 | 連載小説
『黒マリア流転ー天正少年使節千々石ミゲル異聞』
  第4稿終了
 小説の推敲作業は、いつになってもキリがないのですなぁ!
 桃の節句が終わっても小説の方は、終わらないのですから諦めが肝心だと言い聞かせて、本日出版社へ送りました。この社は、良心的で厳しい目を編集者がお持ちですから前回の『命燃ゆー養珠院お万の方』と同じ出版社にしようと考えました。
 後は、出版条件だけですが。
 黒マリア像は、我が国にには1体だけの貴重な像です。ケルト民族の守護神ですからピレネー地域にはかなり祀られていますが、日本には鑑定者もいないし定評となる確証もないのです。しかも天正の少年使節、特に千々石ミゲルもまた詳しくは解らないことだらけなのです。
 ミゲルの墓碑が発見されたと言うニュースは地元ではありましたが、その信憑性も明確ではないようです。小説名に「異聞」を加えたのはそういうわけです。
 いずれにしても当時のヨーロッパでは、東洋からの訪問者として大歓迎を受けたようですからもう少し日本歴史にもきちんと位置付けてほしいものです。
 何しろ岩倉具視一行の帰国報告会で日本人は、少年使節の数奇な運命を初めて知ったのですからやむを得ませんが。そういう意味では、今私が在住にしている房総の御宿にも岩倉使節の報告会で知られるようになったスペイン船サン・フランシスコ号漂着とドン・ロドリゴの「日本見聞録」の話がありますから遥か昔の大航海時代のことは、日本歴史でもっと扱ってほしいものです。
 ともあれ今度の小説は、なるべく良い時期に出版しようと考えていますから読者諸氏のご支援をお願いいたします。

ミゲルの遺書

2018-03-04 | 連載小説
  マリア様の台座の下の遺書
 村人たちは、道善坊様の大切になさっていたマリア像を祀る場所を考えて、岬の南側の大川のほとりにある寺院に預かってもらうことにした。ただ、役人にマリア様だと知られてはならないので慈母観音様とした。飯縄山で修業なさった行者の物だと言うので住職も快く秘仏として引き取って下さった。この像を運ぶときに台座の下から書付が出て来たので、住職に読み解いていただいた。それは、こうでした。

我は、未だ少年の頃にヴァリヤーノ巡察使様に選ばれ、遥か彼方の西洋まで派遣されたのです。憧れの羅馬法皇に謁見を賜り、洗礼も受け、貴族に列せられました。また、この世のすべての国々の中で最強の西班牙国のフェリペ王にもお会いし、優しゅうしていただきました。
我らは、国を出づる時は、織田信長公からも祝福され、胸膨らみ、意気揚々と船に乗ったのですが、八年もの歳月を経て、ようよう日の本に帰れば、二十数か国の切支丹を信仰する諸大名が信仰を変えていて、三十余万人を数えていた厚き信仰の同志も、豊臣秀吉の切支丹禁教令によって、ほとんど壊滅させられておりました。
その訳は、日の本の国を切支丹の国にする目的であるから危険な信仰を禁止してしまおうと言う秀吉の浅慮がもとです。しかも厳しゅう転向を迫り、拷問にも従わない者は処刑してしまうか、国外に追放してしまうかと言う非道なものでした。この迫害は、徳川の世においても改まず、我は法華経に転向し、ついには修験道の道に進み、心の内と外とを使い分ける苦渋の選択をしたのです。
思うに仏の道の「極楽」も、切支丹の道の「天国」も来世の幸いを祈り願うことにおいては違いは御座らぬが、我らのデウスの神の教えは、この世の国づくりを如何にするかも述べられているのです。日の本の国は、数百年に及ぶ領土争いの戦国乱世によって、国土は荒廃され、無辜の民を路頭に迷わせ、人々の博愛の心をも破壊してしまったのです。
願わくば、この日の本を天主様のもとに諸人が互いに助け合う夢の国となることを祈るばかりであります。我は、天国へと先立ちまするが、島原に残して来た妻子もマリア様の御加護のもとにこの世をパラダイスとするために尽くされよ。我は、天国にてこの世の愛に満ち満ちた姿を祈り、見届けたく思うのです。

鶯の初音と巨大イチゴ

2018-03-02 | エッセー番外編
今、鶯の初音を聞きましたよ。身の縮こまる厳冬のピリオドのしるしの春一番の大嵐が襲って来て、やっと春になりました。小鳥は、待ちかねた春の訪れをすぐに感じ取るのでしょう。
 うぐいすの初音を耳にリハビリの歩行訓練リズム良し  三佐夫
房総は、果物の本場ですから何でもありますよ。
珍しい白と黒のイチゴが採れる農園が一の宮町にあると言うので出かけました。この日は、白はありましたが黒はありませんでした。白は赤いイチゴよりも甘いので感心しました。帰りの車内は、甘い香りが充満して、実に快いものです。
さらにびっくりしたのは、巨大イチゴがありましたぞ。写真を掲載しますが、一つ食べればよいぐらいの大きさです。
大いなるイチゴ驚く老夫婦   三佐夫

小説追加原稿

2018-03-01 | 連載小説
☆十夜 
 危険が身に迫っているのを我も肌で感じてから、数年がたちました。女房のおしまは、「早う身をどこぞへとお隠しになされませ。子どもたちは、必ず立派に育てて、千々石家を守りますからご安心下され」と、毎日毎晩涙ながらに言うのです。
無慈悲な禁教令が、この地にもじわじわと迫って来たのです。逃亡するか、命をかけて捕まるまで家族と共に生きるか、悩む日々が続きました。
おしまが、涙ながらに言うのです。
「港に年に1度の北国へ行く船が着きますからその船で禁教令が緩むまで、北の国へお逃げ下され。あなた様をお救いする機会は、今をおいては御座りませぬ」
我は、とうとう可愛い子どもたちや女房を置き去りにして、この大好きな島原から離れなければならぬ時が参りました。
「しばし遠くに行って来るゆえ達者で過ごせよ。子どもたちは、天を敬う強く優しき人に育てて下されよ」
妻と子には笑顔を見せて別れ申した。
その夜、闇に紛れて港に向かい、墨染の衣を身にまとい、托鉢僧の姿で蝦夷地に向かう船に乗り込みました。
いつになったら帰るかは見当が尽きませぬが、必ずやデウス様が呼び寄せて下さるに違いないのです。
この船には、いろいろの商売の方が乗り込んでおりましたから我も疑われずに船中の客となりました。初めに念ごろとなったお方は、蝦夷地に昆布と塩鮭・干し鰊、それに膃肭臍の毛皮などを買いに行く商人でした。すべて物々交換の土地ですから本土でも貴重な南方の離島奄美の黒砂糖粉を持って行き、北方の品々と交換するのだそうです。
次に知り合うたのは、万病に効能のある薬を売り歩く僧侶姿の祈祷師でした。「出羽三山と信濃の飯縄神社で数十年も修業をした格式の高いお方」と船長が言うておりました。
数日が経つと、この祈祷師が我に話しかけて来ましたが、どうも隠れ切支丹の我の経歴を見抜いているようでしたから始めは気を許せぬ日々でした。
ある日、このお方が我に真剣なお顔で尋ねられました。
「旅の御坊様。そなたはいずこへ行かれまするか?」
「み仏の有難き教えを広めるための旅ゆえ、特別のあてはありませぬ。里から里へと有難き法華経を唱え、托鉢し、名もなき社寺や茅屋に宿を乞い、雨露をしのぎ、日の本の国の隅々まで歩む覚悟でござる」
「左様ならば、輪島の港で下船し、先ずは信濃の国の飯縄の社を訪ねるとよかろう。能登の輪島からは塩の商人たちが千国を経て信濃の松本まで往来しており、怪しまれることも道に迷うこともなかろう」
「それは、有難きことにござりまする」
「愚僧も飯縄の地で修業し、生きる力を鴉天狗様から授かり申した。彼の地には、かつて千日太夫と言う高僧がおられて、飯縄大権現を敬い修行を重ね、飯縄の秘法を会得したのです。愚僧も千日太夫様にあやかって山野を鳥獣のように駆け巡る秘法を学び、さらに薬草や木石の効き目を学び、人々に医術を施せるようになり申した。
最も厳しく辛い修行は、七日七晩も横にならず眠らず、五穀も口にせず、山中で採れる飯砂(いいずな)と峰々の絞り水だけで険しい山々を上り降りし、ひたすらに さーんげさんげ(懺悔懺悔)、ろっこんしょうじょう(六根清浄)の掛け念仏を唱え続け、鴉天狗様のように空を飛ぶ力を得たのでした。
懺悔とは、今まで生きて来たすべての過ちを神に告白し謝罪することです。
六根清浄の六根とは、体に備わる眼・耳・鼻・舌・身・意を言うのです。掛け念仏をひたすらに唱えることで身も心も清浄になります。
飯砂は、山中の猪や鹿などの獣たちが冬になると探して食らう砂粒のような物です。これは、はるかの昔、生い茂った草や木の実が地中で砂粒のようになった物です。獣たちは、その埋もれている場所を探しては飢えを凌ぎます。里人も飢饉の年には獣たちの掘り跡を探し、飯砂を食らうのです。飯縄神社の社名も元は山中に埋もれた飯砂から生まれたのですぞ」
祈祷師の修行の体験談は、船が輪島の港に着くまで続きました。その神秘の修験の話を聞くに連れ、我も山中で修業をし、デウスの神の信仰をひそかに広めたく思いました。
 船は行く先々の港に寄り、客を乗せたり降ろしたりして、後は風まかせ潮まかせ。周防の浜田に寄り、境港から若狭へ。船上には、役人の監視の目は届かないので、しばしの休養にはなりました。皆の衆が寝静まると、隠し持っているマリア様を取り出して、潮騒に紛れて千々石に残した家族たちの健康と、これからの道中の安全を必ず祈る日々でした。
能登輪島の港で慣れ親しんだ客たちと別れて、塩の道と言う千国街道を信濃へと向かいました。ここからは、陸地の旅ですから隠れ切支丹取り締まりの目が厳しく一刻たりとも油断はできませぬ。信濃の国やその先の甲斐の国は深い山々に囲まれ、海がないので塩が貴重で高価に売れます。塩商人の往来が多いのは、そのためですし、取り締まりの目を紛らすのには好都合でした。
 目指す飯縄の社に着くと、すぐに船でお会いした祈祷師の紹介して下さった御師(おし)を宿坊に訪ね、修験道の行者になるためのお願いをしたのですが、飯縄社主からの修験入門の許可をいただくには歳月がかかりました。精進潔斎をし、飯縄・戸隠の山々を巡り修行をいたしました。鴉天狗様のように白狐に乗って山々の上を飛び回るのは出来ませぬが、険しき峰々を獣のように走ることぐらいは出来るようになりました。また、祈祷の霊力でもって、人々の病を救えるようにもなりました。それは若き頃に西洋で覚えた医術と飯縄で身につけた修験の道のお蔭です。
 ある夜、信仰する飯縄の神が夢枕に立ち、我に告げたのです。
「日出る東の方、上総の地に身の丈を越す荒波の常に立つ岬あり、太東の岬と言う。ゆえに里人たちは、不毛の地に苦しみおれば、直ちに旅立たれよ。そなたは、すでに飯縄の法を体得し、里人を救う霊力を得たり」
 我は飯縄の地に別れを告げ、甲斐の国より和田の峠を越え、上野、下野の国を経て、常陸と下総の国ざかいの
大いなる川を下り、怒涛逆巻く南北に長き砂浜に出て、網を引き魚を獲る里人に浜の名を尋ねると「九十九
里浜」と言う。神の御加護か、道にも迷わず取り締まりの役人にも会わずにただひたすらに歩み、目指す九十九里浜の南端太東岬に着き申した。

大きくはばたけー山王幼稚園卒園

2018-02-27 | エッセー番外編
毎年、春には卒園と入園の案内が来るのだが、なかなか出席できない。園歌作詞者で理事で申し訳ないので時々お祝いの言葉を送ります。
  お祝い
はばたけ 大空へ
 山王の子どもたちよ
四月からは 小学生
 よく学び かしこく なぁれ
 体をきたえ たくましく なぁれ
山王の空は
 たかくて ひろいぞ