コツコツ歩き隊!

散策!亘理町(4) 「種まき桜」を見て、伊達成実公を祀る亘理神社をお参りする

宮城県亘理町・亘理エリア散策レポート その4(最終回・2017年4月7日実施)

ウォーキング開始!

9.種まき桜

亘理町(わたりちょう)を歩こうと思った時、それはもう亘理町観光案内サイト「ぶらっとわたり」を真剣に調べました。
詳細な観光マップが手元になかったものですから、こちらのサイトは非常に役に立ちました。
これから向かう「種まき桜」は、各種ある亘理町観光地図でも「亘理 桜十選 ~おらほの桜~」と、
「ぶらっとわたり」でしか紹介されていない桜であります。

国道6号(陸前浜街道)を渡ります。
亘理葬祭会館水仙郷があり、「原田甲斐の実母の墓 入口」と記された看板がありました。
伊達騒動では大罪人とされている原田甲斐の実母・慶月院のお墓があるようです。
亘理伊達家が内密に埋葬したと伝えられているのですが、かなり遠い所にあるので、今回は断念。
『重力ピエロ』を読み終えたので、今度は『樅ノ木は残った』(山本周五郎・作)を読んでみようかと思います。

国道6号を渡ったところは阿武隈高地の山裾であり、非常に多くの遺跡がある所です。

「種まき桜」(写真右)は尊久老稲荷神社のところにあります。
ソメイヨシノよりも早く開花し、この桜の咲く時期と稲の種もみを蒔く時期が重なることから、
この名がついたようです。
農作業の大事な目安とされました。

ソメイヨシノより早く開花するということで、もしかしたら…と思ってきたのですが、残念ながらまだ開花ならず。
(あともうちょっとでしたね。)
これもまた旅の醍醐味と思い、残念な気持ちにはなりませんでした。

さて、「種まき桜」がある「尊久老稲荷神社」。
承和9年(842)、陸奥国司として赴任する小野篁が亘理を通る際に一匹の黒狐と会い、
この地に祠を建てたのが始まりとされています。
最初、「総黒稲荷」と称していたのを伊達成実が「尊久老」と呼び換えたと伝えられています。

10.亘理神社

本来なら、尊久老稲荷神社の後に伊達成実公の霊廟へ伺う予定だったのですが、
Googleマップの印をうっかり見落としてしまいまして、亘理神社に向かいます。
皆さんはぜひ、霊廟のある大雄寺へ行ってみてください。
私は帰宅してから、行かなかったことに気づき、愕然といたしました。(涙)

この辺でぼちぼち休憩したいところ。気温も高かったため、喉が渇きました。

しかし、こういう時に限って、自販機が見つかりません。(汗)

ところで、亘理町のごみ置き場はきちんとしていますね。
ゴミ置き場がきちんとしている所は、いい所、というのが長年ウォーキングしながら学んできた私の持論でございます。

ぼちぼちしんどくなってきたところで、今年初の桜の花!
種まき桜の花は見ることはできませんでしたが、旧館公園前の桜は開花しておりました。
とてもうれしくなりました。

旧館公園内の階段を上がって亘理公園へ。亘理神社はこの公園の隣にあります。

亘理神社です。

亘理伊達家中が北海道へ移住した後に、亘理の人々が初代領主、成実公を祭神として祀り、建立しました。

江戸時代には、亘理伊達家の居館である亘理要害がありました。

話は変わりますが、北海道に渡ったその後の亘理伊達家の皆さんが、どうされたかご存知でしょうか。
北海道伊達市。この市の礎は亘理伊達家の皆さんが築かれました。
亘理伊達家・14代領主・伊達邦成は、戊辰戦争後の郷里に夢と希望をもたらすために、
北海道に渡り、開拓した功績が認められ、1892年、男爵の称号が授けられたそうです。
(なんか胸が熱くなりました。良かったです。)

11.ゴール 再び亘理駅へ

亘理神社のお参りを終えると、いよいよ旅も終わりです。

「七曲り」と呼ばれる道を通って行きます。
江戸時代、この辺りには侍屋敷が建ち並んでいたそうで、小路が曲がりくねっていることからついた名前だそうです。

喉がものすごく渇きました。こんな現象にも春の訪れを感じます。
今後は水分補給のため、水を持ち歩くようにしなければなりません。

亘理駅に到着。電車が来るまで、しばしベンチに腰をおろし休憩タイムとなりました。
いささか疲れましたが、非常に充実した旅となり、満足感で胸がいっぱいでありました。

散策マップ

参考資料


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