昨年末まで、民生委員協力委員というのをしていまして、
12月に京都府舞鶴まで福祉委員の日帰り研修旅行に行きました。

赤レンガ博物館を見学したのち、舞鶴引揚記念館へ。

舞鶴港は、シベリヤなどから復員兵が帰ってくる港でした。
残された家族はそこで、息子や夫の帰りを待つのだそう。

この坂は、海に面した岸壁へと続きます。
その岸壁に立って息子の帰りを待ったというあの歌 ”岸壁の母”
「はぁ~は(母)は来まし~た、きょう~も来ぃた~」で出迎えてくれる引揚記念館です。

同行していた民生委員・福祉委員・協力委員の人たちが年配の方が多いこともあり、
記念館の資料を見ながら、いろいろ教えてくれました。
自分は戦争を知らない世代ですが、個人個人の生活が一変した戦争・・・
当時の軍、政府、報道機関などに憤りを覚えたところで何の進展もありませんが、
現代は情報を取捨選択できる時代、間違った判断や歪んだ報道に流されないよう、
そしてグローバルに物事を考えられるようにしたいなぁとあらためて思った研修でした。
(というわけで、最近フェイスブックに登録をし、世界中に100人の友達を作り、
グローバルに意見交換・・・ではなく・・・ゲームにいそしんでいます。でへへっ)
舞鶴港から訓練のため、出港する戦艦

次の日(12月3日)から日米共同訓練とかで、ちょうど出向する戦艦が撮れました。
とてもとても大きい船で迫力がありました。
2年間という短い期間ではありましたが、民生委員協力委員を通じていろいろ貴重な体験が出来ました。
これからは○○委員などという称号がなくとも奉仕の精神を忘れず、1日1日大事にして、
ほんの小さなことでも社会にお役に立てるような自分でありたいと思います。
ランキングに参加してます。
クリックありがとう、励みになります。

12月に京都府舞鶴まで福祉委員の日帰り研修旅行に行きました。


赤レンガ博物館を見学したのち、舞鶴引揚記念館へ。

舞鶴港は、シベリヤなどから復員兵が帰ってくる港でした。
残された家族はそこで、息子や夫の帰りを待つのだそう。


この坂は、海に面した岸壁へと続きます。
その岸壁に立って息子の帰りを待ったというあの歌 ”岸壁の母”
「はぁ~は(母)は来まし~た、きょう~も来ぃた~」で出迎えてくれる引揚記念館です。

同行していた民生委員・福祉委員・協力委員の人たちが年配の方が多いこともあり、
記念館の資料を見ながら、いろいろ教えてくれました。
自分は戦争を知らない世代ですが、個人個人の生活が一変した戦争・・・
当時の軍、政府、報道機関などに憤りを覚えたところで何の進展もありませんが、
現代は情報を取捨選択できる時代、間違った判断や歪んだ報道に流されないよう、
そしてグローバルに物事を考えられるようにしたいなぁとあらためて思った研修でした。
(というわけで、最近フェイスブックに登録をし、世界中に100人の友達を作り、
グローバルに意見交換・・・ではなく・・・ゲームにいそしんでいます。でへへっ)
舞鶴港から訓練のため、出港する戦艦


次の日(12月3日)から日米共同訓練とかで、ちょうど出向する戦艦が撮れました。
とてもとても大きい船で迫力がありました。
2年間という短い期間ではありましたが、民生委員協力委員を通じていろいろ貴重な体験が出来ました。
これからは○○委員などという称号がなくとも奉仕の精神を忘れず、1日1日大事にして、
ほんの小さなことでも社会にお役に立てるような自分でありたいと思います。
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