大切な何かを伝えようと言語力を必要とするとき、たいていが何かを不十分とする。言語力に捕らえられた対象への感覚、仕草や態度や視覚での感覚、言い方やトーンでの経験的聴覚での感覚、そして経験的、史的思考感覚での感覚がシステムとして作動するからである。
言語によってなされる言明の妥当性は、応用力で効果の上がることによって示される。だが、たとえそれが言明の妥当性を裏付けるようなものであっても、ある種の幻術が含まれている。つまり、観察の視点を規定している執着の潜在的な概念があり、観察できるものとできないものがあり、観察の視点の有効性によって正当化されるものしえないものができあがり、概念によって説明、理解、生産されるものとされないものとが規定されている。このことは歴史にみられるような不明な出来事への不明なアクセスを概念操作により追及することで歴史を揺るがし、時には変え新たな問題を生産している。知ることを欲す人間の根本的な問題により幻術を生産しつづけているのである。その結果、テコ入れに似た十分に定義された概念を基盤とした、正当化が可能となるような規制が必要となった。
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