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教科書やマニアルにはない考え方。

これはいずれ本を書くためのメモみたいなものなので、理解不能・誤字脱字でいっぱいです(^▽^;)

私から、大切な者へ・・・・「説明」

2014年12月11日 | 日記

説明は、言語がなくては成立しない

方法だということは、分かるかな?

そしてその方法は、言語に指示的な意味を含ませなければ

方法として成立しない、というのも分かるかな?

実際そうなんだよ(^^)

 

お前たちもと~ちゃんも含めて

地位、財産、健康、権力、マスコミ、宗教などの何らかの

不平等を受け入れてある説明に納得するんだ。

でも、それによって成り立っているのが

今見えるこの世界と情報を通して知る世界と、

この暮らしの特徴なんだ。

これは事実だよ。

 

例えばね。

と~ちゃんの言うことは

確証のあるものだと思えるのは

お前が何らかの不平等(例えば権力、文化など)を受け入れ

中心的な物事として納得できるからなんだ。

でも、情報を通して知る世界があると

平等かも知れない言語に困惑しちゃうんだよ。

それが、怒りや悲しみ(また別の感情)となり

苦しみの葛藤という分散しようのない体験になるんだ。

そのこと自体は

今わからなくても、いつか分かるよ(^^)

 

そしていつか必ず、自分の背もたれとなるような

説明を探す・・・・。

決してそこで権力や文化を

楯にしちゃいけないよ!

後ろを預けるものだから

楯にしちゃだめさ(^^)

 

その背もたれは、

実は大切なことなんだよ(^^)

 

説明と指示的言語が生むのは「制度」。

自身が楯にして逃げるための

「説明と指示!」

それは言い訳。

 

背もたれは、拠りどころのある

他のものがある、

または、いくつかの世界を広げる「協調」の中にあるんだ。

それは、自身だけではないから

守ることも、背中を押すこともできる存在なんだ。

そしてそれを、自身が取り入れることなんだ。

 

 

ただ、と~ちゃんが言いたいことは、

不平等の中で暮らせる方法だけを

追求することの良さがわからないと言うこと

それだけだよ(^^)

 

 


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