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身近な自然や社会との関わりを通して、マイペースで、新たな自分探しに挑戦しながら、セカンドライフ、スローライフを楽しむ。

歌碑、医生教習所記念碑、沖縄観光名所、顕彰碑…波上、旭ヶ丘公園

2014-07-19 | 歴史

 那覇港港湾では、「波の上ビーチ、スポーツ・アクティビティエリア、ファミリーエリア、ダイビング・シュノーケルエリア、多目的エリア、三重城小舟溜」などの「那覇市唯一の複合型海浜公園」「大型旅客船バース」建設工事等が進められています。

 「波上宮鳥居」をくぐると、左手に、「波上(ナンミン)」の説明板があります。それによると、波上が、「球陽八景」の一つとして、「筍崖夕照」と題して描かれ、名高い景勝地であったこと、月見の景勝地であるとともに、逢瀬の場所であったことがわかります。

 階段を上っていくと、左手に、「折口信夫(釈超空)先生之歌碑」ありました。「参集殿」前には、「医生教習所記念碑」「再建の辞」があり、教習所発祥の意義とその功績を後世に伝えるために記念碑が設立された経緯が記されています。

 波上宮境内には、「手水舎」「休憩所」「世持神社仮宮・浮島神社仮宮」などもあり、外国人の参拝者もいました。丘を上り、旭ヶ丘公園方面に行くと、「沖縄観光名所・波の上」の石碑が設置されています。展望台の近くから、澄んだ笛の音が聞こえてきました。そこには、座って目を閉じ、横笛を吹いている男性の姿がありました。園内には、「小桜の塔」「海鳴りの像」「戦没新聞人の碑」以外に、「神木榕樹」等があり、「沖縄芝居顕彰」「野村流始祖先師顕彰碑」等の顕彰碑もありました。

 丘を下りビーチ側に行くと、「あとから来る君たちへ」と書かれた石碑があります。その先は、波上ビーチへと続いています。

01-0430 波上宮

02-0430 波上宮

03-0430 波上宮

04-0412 波上宮年間恒例祭祀

05-0430 波上(ナンミン)

06-0430 波上(ナンミン)

「波上(ナンミン)…指定年月日:平成18年10月10日 波上は、人々から信仰の場として崇められ、景勝地としても親しまれてきました。 海に突き出した琉球石灰岩の崖には、沖縄貝塚後期から歴史時代初期の場所である『波上洞穴遺跡』が存在し、波上宮社殿造営工事の際には、沖縄貝塚時代後期並びに14~16世紀の遺跡が確認されています。 『おもろさうし』(1531年~1623年)にも謡われ、波上宮画立地する以前から信仰の場であったことをうかがわせる陽石や石垣の存在が認められています。 『琉球神道記』(17世紀)、『琉球国由来記』(1713年)などに波上宮(祭神は、伊弉冉尊いざなみのみこと・速玉男尊はやたまおのみこと・事解男尊ことさかのおのみこと)の縁起が記載されており、護国寺(本尊は、阿弥陀如来・薬師如来・千手観世音菩薩)とともに人々の尊崇を集め、王府の行事にも位置づけられるほどに重要な場所でした。 また、景勝地としての波上は、1663年(崇禎6)年に尚清王の冊封正使として来琉した杜三策の従客だった胡靖が著した『杜天使冊封琉球真奇観(とてんしさっぽうりゅうきゅうしんきかん)』をはじめ、たびたび冊封使録に登場しています。 18世紀の中葉、当地を訪れた冊封正使周煌(しゅうこう)が著した『琉球国志略』(1757年)に掲載されている『球陽八景』の一つとして、『筍崖夕照(しゅんがいせきしょう)』と題して描かれ、名高い景勝地であったことがわかります。 また、琉歌には、 『でかよう思童波之上のぼて 月見し遊ば十五夜だいもの』『昔波之上に無蔵とながめたる 面影や今も月に見ゆさ』 などと詠われ、そこが月見の景勝地であるとともに、逢瀬の場所であったこともわかります。 第2次世界大戦により、波上は戦災を受け、わずかに鳥居を残すのみになってしまいました。戦後、波上宮、護国寺は再建されましたが、周囲の海岸線の埋め立てが急速に進められる中、往時の姿が偲ばれます。 設置 2008年3月 那覇市教育委員会」

07-0430 折口信夫先生之歌碑

08-0430 折口信夫先生之歌碑

09-0430 折口信夫先生之歌碑

10-0430 折口信夫先生之歌碑

「折口信夫(釈超空)先生之歌碑…那覇(なは)の江(え)に はらめきすぐる夕立(ゆうだち)は さびしき船(ふね)をまねく濡(ぬら)しぬ 釈超空 釈超空折口信夫先生(明治二十年二月十一日生)国文学・民俗学者 大正十年 十二年 昭和十年の計三回来沖さる。 釈超空第四歌集【遠やまびこ】『那覇の江』の一連五首の一首である。」

11-0412 参集殿

12-0430 医生教習所記念碑

13-0430 再建の辞

「再建の辞…沖縄県医生教習所記念碑は、昭和三年当教習所出身の有志により、教習所発祥の意義とその功績を後世に伝えるべく東恩納寛惇先生の撰を得て石に刻み、波上宮境内に建立されました。 しかし、碑は戦渦による被害は免れたものの七十年もの永い年月にわたり、烈しい潮風に晒され、文字が剥落し碑文の判読も困難なうえ、倒壊の危険があることから、沖縄県医師会会員並びに関係各位のご協力を得て、ここに再建いたしました。 平成十一年七月吉日 沖縄県医師会」

14-0430

15-0412

16-0412 手水舎

17-0412 波上宮

18-0412 神の教

「神の教…いつもにこにこ感謝(かんしゃ)の気持(きも)ち 家(いえ)もあかれば 身もひかる 生(い)きている事(こと)は、自分(じぶん)ひとりの力(ちから)ではない。天地(てんち)に充ちみちた神様のおかげ、社会(しゃかい)の人々の情けの賜物(たまもの)である。感謝(かんしゃ)せねばならぬ。感謝(かんしゃ)の心が湧(わ)いた時、身も心も明(あか)るくなる。其の思(おも)いの消(き)える時、不平(ふへい)、不満(ふまん)で心が闇(くら)くなり、世の中が狭(せま)くなります。」

19-0412

20-0412 波上宮

21-0412 波上宮社務所

22-0412 明治天皇銅像

23-0412 昭和天皇のおことば

24-0412 世持神社仮宮、浮島神社仮宮

25-0412 シーサー

26-0412 シーサー

27-0412 波上宮

28-0412

29-0412 ビーチ・展望台へ

30-0412 沖縄観光名所・波の上

31-0412 沖縄観光名所・波の上

32-0412 展望台

33-0412 笛を吹く人

34-0412 小桜の塔へ

35-0412 奉納 神木榕樹

36-0412 沖縄芝居顕彰

37-0412 野村流始祖先師顕彰碑

38-0412 野村流始祖先師顕彰碑

39-0430

40-0412 あとから来る君たちへ

41-0412 あとから来る君たちへ

42-0412 那覇港港湾施設総合案内

43-0412 波の上ビーチ

44-0412 波の上ビーチ


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