言うたら何やけど・・・

時には呟き、時にはぼやき、時には嘆き。気が向いた時に、ぼちぼちと更新してます。

梅雨入り☔️

2024-06-21 12:47:00 | 日記
近畿地方も、やっと今日梅雨入りしたようです。
今日の未明頃、雨音で目が覚めて、
窓から外を見たらかなり強く降っていた☔️ので、
いよいよかなーっと思ったら、11:00に
気象台から梅雨入りの発表が。
平年より15日、昨年より23日も遅い梅雨入りになりました。
これからおよそ1か月ほど、雨の季節に☂️。
雨降りは憂鬱だけど、かと言って降らなかったら水不足💦や野菜🥦🥬の高騰などで、
それはそれでまた困りもの。
大雨で、災害にならないように、
適度に降って欲しいものです。
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黄昏時

2024-06-12 18:09:00 | 日記
黄昏時の、淀川の堤防から。





日中の暑さと打って変わって、風が気持ちいいです。
大阪空港✈️に着陸するであろう飛行機も。
ちょっと雲☁️がかかってるけど、
梅雨入り前の黄昏時です。
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大阪市内で、渡船の旅🚢

2024-06-10 18:57:00 | 旅行
大阪市内にも、渡船があるのをご存知でしょうか?
現在、大阪市内には大阪市が運営する渡船場が8か所あるようで、そのいずれもが無料🆓で利用出来るとの事。
※ただし、利用出来るのは歩行者🚶と自転車🚲のみで、当然の事ながら車🚗とバイク🏍️はNGです。

今回、その中でも海遊館のある天保山(大阪市港区)と、対岸のUSJのある桜島(大阪市此花区)を結ぶ天保山渡船に乗ってきました。



大観覧車と、日本で2番目に低い山で知られる天保山の、すぐ近くに乗り場があります。
(仙台市にある日和山が、現在では日本一低い山になっているそうです。訂正します🙇)
渡船乗り場の上に架かっているのは、阪神高速湾岸線の天保山大橋です。

日中は30分おきに出船してます。
乗り場は、こんな感じ。



いざ、乗船し出航❗️






大観覧車と海遊館を、水の上から見ることが出来ます。
潮風が心地良い。
大体3分ほどで対岸へ。
その距離、およそ400メートルとか。
乗船券も運賃も要らないので、時間が来たら船に乗り込んで出発というかたちです。

でも、なぜ大阪に今でも渡船があるのか?
昔から、水の都とか八百八橋と言われた大阪。
特に湾岸部においては、大型船の航路になっているところもあったりして、橋を架けるにしてもかなり高い位置に架ける事になり、歩行者の側からすれば大変です。
そこで、橋の代わりに船が運行されている訳です。
なので、橋🟰道路の一部という事で、無料なんですね。
(『大阪市 渡船』で検索すると、大阪市による詳しい説明が載ってます。)

ちょっとした船旅気分が味わえます。
特にこの天保山渡船、
海遊館とUSJを行き来するのに便利です。






折り返し、対岸へと向かって行きました🖐️


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母の日

2024-05-12 17:07:00 | 日記
きょうは母の日ですが、
昨日のブログでアップした様に、
最寂の母の日となってしまいました。
親父が亡くなってから19年。
それから母との2人暮らしとなり、
それまでも、それからもいろんな思い出があって、
そのどれもが懐かしくて、
思い出しただけでなんか目頭が熱くなってきます。
まともな親孝行も出来ぬまま逝ってしまった母。
考えてみれば、道を踏み外す事も無く
平凡で質素だけど、まともに生きている事が、
最大の親孝行なんでしょうか。
親孝行 したい時には 親は無し
亡くなってからわかる、親の有り難さ。
本当に、その通りです。
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母親が、千の風に

2024-05-11 20:22:00 | 日記
きょう5月11日 午後1時3分
私の、たった一人の母親が千の風になりました。
3月までは、普通に会話も出来る状態でしたが、
4月頃から寝たきりになり、発話も出来ず
呼びかけに頷く程度まで弱り切ってしまい、
きょう、とうとう力尽きたようです。
84歳でした。
5月2日が母の誕生日でしたが、誕生日を迎えて1週間ほどで亡くなってしまいました。
きょうの明け方、病院から電話があり、
意識が無く、血圧も下がり呼吸も途切れ途切れになっているので、病院に来て欲しいとの内容でした。
私は勤務があったので、勤務明け1時に病院に着いて、息を引き取ったかたちになってしまいました。
死因は、末期腎不全と老衰でした。

怒ると怖かったけど、穏やかで茶目っ気のある母でした。
私は母に似てるようで、会う人会う人に瓜二つと言われたり。
中学生の時に大喧嘩をして、家出して知り合いの家に行って母親を困らせたり(この時、母は心当たりのあるところに電話をかけまくっていた様でした)
枚挙にいとまがないほど、たくさんの思い出があります。
おととい、母に面会に行き、何を話すでも無く顔を見て、帰るわなと話しかけて頷いていたのが最期になりました。

頑張り屋の母親でした。
まともな親孝行もしてあげれず、苦労ばかりかけた、ダメな息子だったと思います。
思い出に残っているのが、料理の出来ない私が母の為に卵焼きを焼いたのですが、美味しいと言ってくれたのが、嬉しかったです。

今までありがとう。
お疲れ様、ゆっくり休んで、父親とまた口喧嘩してください。
僕はこちらで、何とか頑張っていくからね。
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