訪問日:平成22年4月25日(日)
出 発:阪急バス「本滝口」
到 着:阪急バス「倉垣」
大阪府豊能郡(能勢町、豊能町)。旧「豊島郡」と旧「能勢郡」が合併し、それぞれの頭文字を取って明治29年に誕生した。その後「豊」にあたる「豊中」「箕面」「池田」が市制に移行し「豊島郡」は消滅したのだが「豊能郡」の郡名はそのまま残った。旧東能勢村が町制に移行した際、豊能町となったことから、そのまま郡名に引き継がれたのかもしれないが、豊能町自体は豊島郡とは縁のない、つまり旧能勢郡である。
「能勢」。鉄道が通じなかったため大阪府下でも奇跡的に市街地化を免れ、古き日本の原風景を保っている。この地は「清和源氏」の後裔が能勢氏を名乗り、丸山城を居城として治めたと言われる。その能勢氏ゆかりの里を歩く。
ほぼ平坦な舗装道を歩く。「妙見口駅」前には売店とトイレ、「けやき資料館」には自販機とトイレがあるが、後は国道沿いに時々自販機がある程度だ。(歩行距離16キロ)
能勢電車「妙見口駅」。ここは妙見山方面への参拝、登山の基地だ。多くのハイカーたちで賑わっていた。
駅から少し南に歩いたところにバス乗り場がある。ここから「奥田橋」方面のバスに乗る。便数は少ない。東ときわ台循環やケーブル前行きのバスも出ているので乗り間違えないように。
妙見口駅前を出て約15分(350円)。「本滝口」バス停で下車。ここは「能勢、3つの伝説を訪ねる」のゴール地点でもある。バス停脇には1341年の作と言われる「野間中地蔵石仏」がある。
バスを降りて前方の野間交差点を左に進むと大きなケヤキの前に出る。「野間の大けやき」といい、樹齢1000年、けやきとしては全国4番目の巨樹で国の「天然記念物」に指定されている。すぐ横に「けやき資料館」という建物がある。
ここから田園が開けている野間西山地区に向かう。途中、炭焼き窯があった。もう使われていないのか青草に覆われている。
西山地区の奥に「日蓮宗今養寺」があった。「まんが日本昔ばなし」に出てきそうな山寺である。平安時代作で国の重要文化財に指定されていた「木造大日如来坐像」は、ここを訪れる少し前の平成22年3月、盗難にあったらしい。犯人に罰が当たっていることを祈った。
西山の集落を通り抜け道なりに進んでいくと、このあたりの郷社「野間神社」に出る。
神社を過ぎると国道477号線に出るので左折し、地黄郵便局の前を過ぎたところで脇道にそれる。豊能警察署の裏を通り、四つ辻を右に曲がると再度国道477号線に出る。道脇にはちょっとレトロな公民館や築100年を越える酒屋さんなどがある。
そして国道を渡ったところが「地黄城跡」だ。当時の大手門だろうか立派な石垣が見える。一時は没落した能勢一族を再興した23代「能勢頼次」が丸山城から移り住んだところで「地黄陣屋」とも呼ばれた。
今は町立中学校になっており、校庭の隅に城跡を伝える石碑が建っているだけだが、印南積みと呼ばれる石垣は完全な形で残っている。
城跡を出て少し北へ歩くと「真如寺」への参道に出るので山手へと登っていく。10分ほどで真如寺に着く。ここは、法華経を深く信仰した能勢頼次が開いた日蓮宗の寺院である。この寺の飛び地が妙見山上の「能勢妙見」であるが、飛び地の方が有名になってしまった。しかし、ここは関西身延霊場とも呼ばれる近畿地方唯一の日蓮宗霊場であるらしい。
地黄城跡の前まで戻り、もう一度国道を渡って村の中へと入っていく。ひげ文字で書かれた石塔が迎えてくれる。清普寺への入り口だ。
村を通り抜け水田を過ぎ、山手へと歩いて行くと、なだらかな石段の上に山門が見えてきた。能勢氏一族の菩提寺「日蓮宗清普寺」。
門をくぐり左手へと進むと一族の墓所へと出る。代々の墓が並ぶ姿は壮観だ。
寺を出て左前方を仰ぐと小高い山が見える。山というより古墳の築山のようだ。ここが能勢氏が最初に居城を構えた「丸山城跡」である。田んぼの畦道を通り抜け5分ほど山道を登ると頂上に至る。今は小さな祠があるだけだ。
村を抜け国道477号線に出て北へ向かうと倉垣のバス停に出る。ここは、今回のコースの最終点であるが一旦通り過ぎる。倉垣交差の手前で右の山手を見上げると小さなお堂が見える。倉垣の「薬師堂」だ。映画に出てくるような風景だ。
さらに国道477号線を北上すると歌垣山登山口に出る。その横に「消防団の詰所」がある。映画「砂の器」の亀嵩駐在所のような建物。ここは「浄瑠璃の里を歩く」の最終地点でもある。
詰所を過ぎると「倉垣天満宮」の大きな石灯籠と鳥居が見えてきた。境内の樹齢400年といわれる大イチョウは府の「天然記念物」に指定されている。ここは「歌垣山」の麓だ。歌垣とは、昔、若い男女が集い歌を詠みながら交流を深めたという男女の出会いの場だったらしい。
参拝後、「豊能町立歌垣小学校」の脇を抜けて下っていく。学校の入り口横には、二宮金次郎の石像が。
国道477号線に出ると能勢の地酒「秋鹿酒造」がある。日本酒ファンには結構有名な蔵元だ。
さらに国道477号線を北上する。奥田橋で府道と交差するので左の山の手へ入る道へと進む。「吉野」の集落だ。ここにも法界石塔が。青空のかなたに見える峠が「ひいらぎ峠」である。
集落の真ん中を国道が貫いており、まず国道西側の集落を「ひいらぎ峠」目指して歩く。山沿いに古い農具などが置かれた納屋や石灯籠などを見ながら進んでいく。
途中、湧き水が涌いていた。この上は「釈迦ゲ嶽」といい、昔から良質の清水が湧いていることで有名なところ。
小さな野小屋の前を通ると突然「メエー」という声がした。のぞき込むと二頭のヤギ。人なつっこい。乳でも搾るのだろうか。
集落を抜け国道と合流する。ここが京都府との境「ひいらぎ峠」。昔「吉野の関」という関所があったらしい。摂丹の国境である。
ここでUターン。しばらく国道を南下し、その後、左にそれて国道東側の集落を歩く。緩やかな斜面に田園が開けている。
田んぼの真ん中に大きなお堂が見えてきた。「吉野の薬師堂」。
屋根はトタンで葺かれているが、下から見上げると立派な茅葺きが見えた。1500年中頃に建てられた「国指定文化財」である。
国道と合流し元の奥田橋に出る。吉野の集落を一周したことになる。ここからは府道に入り倉垣の水田地帯をひたすら歩く。ここは「浄瑠璃の里を歩く」コースでも歩く道だ。能勢を縦横無尽に歩くのでコースが重なるのは仕方ない。
20分ほどで「清正公前」という四つ辻に出る。「清正」とは加藤清正のことらしい。辻を左折し、すぐに脇道があるので進む。「清正公堂」と書かれた看板と鳥居がある。鳥居をくぐり急な石段を登るとお堂があった。これが加藤清正をお奉りする清正公堂だ。
少し離れたところに清正の手形といわれる手形碑がある。
清正公堂を出て左前方に「歌垣山」を見ながら進む。10分ほどで今回のゴール、先ほど通り過ぎた阪急バス「倉垣」停留所。およそ4時間10分の「歩紀」。ここからバスで約20分(490円)で能勢電車「妙見口駅」に着く。
出 発:阪急バス「本滝口」
到 着:阪急バス「倉垣」
大阪府豊能郡(能勢町、豊能町)。旧「豊島郡」と旧「能勢郡」が合併し、それぞれの頭文字を取って明治29年に誕生した。その後「豊」にあたる「豊中」「箕面」「池田」が市制に移行し「豊島郡」は消滅したのだが「豊能郡」の郡名はそのまま残った。旧東能勢村が町制に移行した際、豊能町となったことから、そのまま郡名に引き継がれたのかもしれないが、豊能町自体は豊島郡とは縁のない、つまり旧能勢郡である。
「能勢」。鉄道が通じなかったため大阪府下でも奇跡的に市街地化を免れ、古き日本の原風景を保っている。この地は「清和源氏」の後裔が能勢氏を名乗り、丸山城を居城として治めたと言われる。その能勢氏ゆかりの里を歩く。
ほぼ平坦な舗装道を歩く。「妙見口駅」前には売店とトイレ、「けやき資料館」には自販機とトイレがあるが、後は国道沿いに時々自販機がある程度だ。(歩行距離16キロ)
能勢電車「妙見口駅」。ここは妙見山方面への参拝、登山の基地だ。多くのハイカーたちで賑わっていた。
駅から少し南に歩いたところにバス乗り場がある。ここから「奥田橋」方面のバスに乗る。便数は少ない。東ときわ台循環やケーブル前行きのバスも出ているので乗り間違えないように。
妙見口駅前を出て約15分(350円)。「本滝口」バス停で下車。ここは「能勢、3つの伝説を訪ねる」のゴール地点でもある。バス停脇には1341年の作と言われる「野間中地蔵石仏」がある。
バスを降りて前方の野間交差点を左に進むと大きなケヤキの前に出る。「野間の大けやき」といい、樹齢1000年、けやきとしては全国4番目の巨樹で国の「天然記念物」に指定されている。すぐ横に「けやき資料館」という建物がある。
ここから田園が開けている野間西山地区に向かう。途中、炭焼き窯があった。もう使われていないのか青草に覆われている。
西山地区の奥に「日蓮宗今養寺」があった。「まんが日本昔ばなし」に出てきそうな山寺である。平安時代作で国の重要文化財に指定されていた「木造大日如来坐像」は、ここを訪れる少し前の平成22年3月、盗難にあったらしい。犯人に罰が当たっていることを祈った。
西山の集落を通り抜け道なりに進んでいくと、このあたりの郷社「野間神社」に出る。
神社を過ぎると国道477号線に出るので左折し、地黄郵便局の前を過ぎたところで脇道にそれる。豊能警察署の裏を通り、四つ辻を右に曲がると再度国道477号線に出る。道脇にはちょっとレトロな公民館や築100年を越える酒屋さんなどがある。
そして国道を渡ったところが「地黄城跡」だ。当時の大手門だろうか立派な石垣が見える。一時は没落した能勢一族を再興した23代「能勢頼次」が丸山城から移り住んだところで「地黄陣屋」とも呼ばれた。
今は町立中学校になっており、校庭の隅に城跡を伝える石碑が建っているだけだが、印南積みと呼ばれる石垣は完全な形で残っている。
城跡を出て少し北へ歩くと「真如寺」への参道に出るので山手へと登っていく。10分ほどで真如寺に着く。ここは、法華経を深く信仰した能勢頼次が開いた日蓮宗の寺院である。この寺の飛び地が妙見山上の「能勢妙見」であるが、飛び地の方が有名になってしまった。しかし、ここは関西身延霊場とも呼ばれる近畿地方唯一の日蓮宗霊場であるらしい。
地黄城跡の前まで戻り、もう一度国道を渡って村の中へと入っていく。ひげ文字で書かれた石塔が迎えてくれる。清普寺への入り口だ。
村を通り抜け水田を過ぎ、山手へと歩いて行くと、なだらかな石段の上に山門が見えてきた。能勢氏一族の菩提寺「日蓮宗清普寺」。
門をくぐり左手へと進むと一族の墓所へと出る。代々の墓が並ぶ姿は壮観だ。
寺を出て左前方を仰ぐと小高い山が見える。山というより古墳の築山のようだ。ここが能勢氏が最初に居城を構えた「丸山城跡」である。田んぼの畦道を通り抜け5分ほど山道を登ると頂上に至る。今は小さな祠があるだけだ。
村を抜け国道477号線に出て北へ向かうと倉垣のバス停に出る。ここは、今回のコースの最終点であるが一旦通り過ぎる。倉垣交差の手前で右の山手を見上げると小さなお堂が見える。倉垣の「薬師堂」だ。映画に出てくるような風景だ。
さらに国道477号線を北上すると歌垣山登山口に出る。その横に「消防団の詰所」がある。映画「砂の器」の亀嵩駐在所のような建物。ここは「浄瑠璃の里を歩く」の最終地点でもある。
詰所を過ぎると「倉垣天満宮」の大きな石灯籠と鳥居が見えてきた。境内の樹齢400年といわれる大イチョウは府の「天然記念物」に指定されている。ここは「歌垣山」の麓だ。歌垣とは、昔、若い男女が集い歌を詠みながら交流を深めたという男女の出会いの場だったらしい。
参拝後、「豊能町立歌垣小学校」の脇を抜けて下っていく。学校の入り口横には、二宮金次郎の石像が。
国道477号線に出ると能勢の地酒「秋鹿酒造」がある。日本酒ファンには結構有名な蔵元だ。
さらに国道477号線を北上する。奥田橋で府道と交差するので左の山の手へ入る道へと進む。「吉野」の集落だ。ここにも法界石塔が。青空のかなたに見える峠が「ひいらぎ峠」である。
集落の真ん中を国道が貫いており、まず国道西側の集落を「ひいらぎ峠」目指して歩く。山沿いに古い農具などが置かれた納屋や石灯籠などを見ながら進んでいく。
途中、湧き水が涌いていた。この上は「釈迦ゲ嶽」といい、昔から良質の清水が湧いていることで有名なところ。
小さな野小屋の前を通ると突然「メエー」という声がした。のぞき込むと二頭のヤギ。人なつっこい。乳でも搾るのだろうか。
集落を抜け国道と合流する。ここが京都府との境「ひいらぎ峠」。昔「吉野の関」という関所があったらしい。摂丹の国境である。
ここでUターン。しばらく国道を南下し、その後、左にそれて国道東側の集落を歩く。緩やかな斜面に田園が開けている。
田んぼの真ん中に大きなお堂が見えてきた。「吉野の薬師堂」。
屋根はトタンで葺かれているが、下から見上げると立派な茅葺きが見えた。1500年中頃に建てられた「国指定文化財」である。
国道と合流し元の奥田橋に出る。吉野の集落を一周したことになる。ここからは府道に入り倉垣の水田地帯をひたすら歩く。ここは「浄瑠璃の里を歩く」コースでも歩く道だ。能勢を縦横無尽に歩くのでコースが重なるのは仕方ない。
20分ほどで「清正公前」という四つ辻に出る。「清正」とは加藤清正のことらしい。辻を左折し、すぐに脇道があるので進む。「清正公堂」と書かれた看板と鳥居がある。鳥居をくぐり急な石段を登るとお堂があった。これが加藤清正をお奉りする清正公堂だ。
少し離れたところに清正の手形といわれる手形碑がある。
清正公堂を出て左前方に「歌垣山」を見ながら進む。10分ほどで今回のゴール、先ほど通り過ぎた阪急バス「倉垣」停留所。およそ4時間10分の「歩紀」。ここからバスで約20分(490円)で能勢電車「妙見口駅」に着く。