③大垣は、川舟が物資や人を運ぶ水都だったという。いまも地下から湧水が出ている。川底には水草が生えきれいだった。「住吉神社」の祠も燈台と背中合わせにあった。芭蕉はここの川舟に乗ってお伊勢参りに向かい、「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」の句で紀行文をむすんでいる。
④「奥の細道」は元禄2年(1689)3月27日から9月上旬まで、西行や能因の歌枕を追慕しての長期旅行だったとされてきた。その「紀行文」はたんなるルポではなく、文芸的な数々のフィクションや潤色があることは各方面から指摘されている通り。ただ、路通に伴われて大垣に着いたのは、「8月21日」と「記念館」の説明書きにあった。どうしてその月日が特定できたのか。帰ってから知りたくなった。
水澄むや舟歌聞きに川港 昇龍子
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ノーやん
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