ノーやん日記パート2

清明

 いまどき「清明」といってもなんのこっちゃという人が大勢だろう。ぼくもその一人だ。陰暦三月の節で、春分の日から15日目をいう。中国ではお墓を清掃して祭る日という。日本でのしきたりは知らない。ただ、雑草も生えあがってくる頃という点は似通っているのかもしれない。 
清明や翠微(すいび)に岐(わか)る駅路(うまやみち) 青々
の句がある。
 春の野山を歩きたくなるころでもある。
 千里の桜は満開の気配だ。土曜日は万博公園へ家族連れで花見をしよう。
 お昼の弁当を持って出かけた。自宅から歩いて中央口まで小1時間だ。入場者が長い列をつくっていた。太陽の塔から東側一帯が桜並木になっている。万博後に植樹したものだが、あれから38年になる。枝も伸び見事な咲きっぷりだ。桜の下は、家族づれ、グループ、アベックがぎっしりシートを敷いて弁当をひろげ談笑している。芝生やアホウドリ号の上で子どもたちが駆け回っている。フォークダンスをする高齢女性グループもいる。「写真ボランティア」のゼッケンをつけたリタイヤ風の男性が、グループやアベックの記念写真のシャッター押しをやっていた。
 でも、桜といえば、やはり吉野だろう。歴史の深さが違う。なぜか、千里万博記念公園の桜の見事さに満喫しつつも、「吉野の中千本、奥千本も見たいなあ」と思わずつぶやいた。西行は60代の半ばごろ
願はくば花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ
と詠んだ。なんとなくその心がわかる歳になった。万博公園の桜はよく整備され手ごろでよいが、歴史と自然の吉野の山桜にも心が動く。ひねくれ根性のせいだろうか。
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