清明や翠微(すいび)に岐(わか)る駅路(うまやみち) 青々
の句がある。
春の野山を歩きたくなるころでもある。
千里の桜は満開の気配だ。土曜日は万博公園へ家族連れで花見をしよう。
お昼の弁当を持って出かけた。自宅から歩いて中央口まで小1時間だ。入場者が長い列をつくっていた。太陽の塔から東側一帯が桜並木になっている。万博後に植樹したものだが、あれから38年になる。枝も伸び見事な咲きっぷりだ。桜の下は、家族づれ、グループ、アベックがぎっしりシートを敷いて弁当をひろげ談笑している。芝生やアホウドリ号の上で子どもたちが駆け回っている。フォークダンスをする高齢女性グループもいる。「写真ボランティア」のゼッケンをつけたリタイヤ風の男性が、グループやアベックの記念写真のシャッター押しをやっていた。
でも、桜といえば、やはり吉野だろう。歴史の深さが違う。なぜか、千里万博記念公園の桜の見事さに満喫しつつも、「吉野の中千本、奥千本も見たいなあ」と思わずつぶやいた。西行は60代の半ばごろ
願はくば花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ
と詠んだ。なんとなくその心がわかる歳になった。万博公園の桜はよく整備され手ごろでよいが、歴史と自然の吉野の山桜にも心が動く。ひねくれ根性のせいだろうか。
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