なぜか、桂米朝師匠の笑学を知りたくなって図書館で「桂米朝私の履歴書」(日経ビジネス人文庫)と「桂米朝集成第一巻上方落語1」(岩波書店)を借りてきて読み始めた。まだ読み終えていないので感想を記すには至らないが、「私の履歴書」の前口上を読んで驚いた。なんと20冊近い本を出しておられるという。すごい。学者先生だ。口伝口承の世界で古典を現代に生き返らせる道を説き、書き記し、口演して、上方落語を復興させはった。人間国宝。
この本の冒頭に「おかしいことがあるんやったら、アハハーと大きな口あけて笑いなはれ。鼻の先でせせら笑いという、それぐらいいあかんものはない。口あけて笑わいでもええことなら笑いなはんな」という大ネタ「百年目」のクダリを書いておられる。
笑いにはくすぐり笑いもあり、大口笑いばかりとは限らない。しかしぼくは、いつのまにか、せせら笑いの悪いくせがついてしまっている。相手はたいがい「チンは国家なり」みたいな顔して威張り散らす大企業家や御用学者・政治家たちだが、それはせせら笑う相手ではない。尊大ぶりを笑い飛ばし((笑いのめし)、真顔で糾すべき相手だ。読み始めでごちゃごちゃ理屈を言うのは失礼になるので控えるが、笑いも時代とともに変化する社会的現象。米朝師匠の著作から学んで健康な「闘争的な笑い」ということを考えてみたい。
今朝秋の雨のわづかに立ち濡る丶 ひろし
花圃のもの剪りまじえつつたのしけれ 帆影郎
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