蕪村銅像が置かれた淀川神社から東へ数百メートル歩く。「ここらに蕪村通り商店街ってごぞんじありませんか」「さあ」。心細くなってきた。お店の人に訪ねる。「蕪村の商店街いうのんは?」「この奥を入ったところや」。商店街というてもアーケードもない。しばらく行くとなるほど「蕪村通り商店街」があった(写真上)。松の内だからか琴の音が流れている。街灯の柱になにやら貼り紙がしてある。蕪村の俳句や。「しら梅に 明る夜/ばかりとなりにけり」(写真下)。正月5日―シャッター通りのようにがらんとしている。“うき我をさびしがらせよかんこ鳥”やなあ。蕪村の句がずらっと街灯に貼ってあるだけ。通り抜けて“なんでここが蕪村通りやねん”。つぶやく。
ネットを見ると、この商店街、2010年の12月25日から毎年、蕪村踊りを実施しているそうな。最近は8月に時期を変えているようだが。どんなようすか知りたいなあ。蕪村踊りとは奇抜な発想。又平自画賛のように赤烏帽子でも被って踊るのかな。それはともかく商店街の灯が消えんようがんばっておくんなはれ。首を傾げて天満橋までバスで帰る。お昼を回っていた。腹減った。なんばまで出てホルモン焼き屋でテッチャンとツラを食う。
蕪村句碑は、都島区役所前をはじめまだ数か所ある。いっぺんに全部回るのは疲れる。毛馬も大東も天六・京橋・天満橋からちょっと外れていてぶらっといけるところやない。さらに言えば蕪村の足跡は、大阪には何も遺されていない。生地は川底。ただ、いま句碑があるだけ。画・俳蹟のほとんどは京都やないか。京の居住地、島原・角屋、洛東・金福寺、丹後宮津・見性寺など。
ぼくは歩いていないが、江戸日本橋石町の「夜半亭」、下総結城、下館などにも残る画・俳蹟があるのでは。遠く奥州、讃岐と蕪村の足跡は広範囲。休み処、交通の便も考えてほしいな。関東方面は別として京都・大阪・兵庫の範囲の蕪村切符なんかできるといいな。そんなアイデアマンおらんかなもし。
赤烏帽子又平ぶらり里下り 昇竜子
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ノーやん
fm
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