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思い出が宝物

舞鶴引揚記念館と「岸壁の母」の桟橋へ

2023-05-03 15:25:30 | 旅行

 

 

子供のころ、テレビで流れていた「岸壁の母」という歌を、何度となく耳にしました

引き揚げ船で帰って来ると信じ、我が子を迎えに桟橋へ通った母親の思いを歌ったものです

当時の私は歌の内容もよくわかっていませんでしたが

なんだか哀しい歌だなぁと印象に残っていました

 

今回舞鶴へ行ったので、歌の舞台になった桟橋をぜひ見てみたいと思いました

その前に引揚記念館へ行って、当時の様子などを1時間くらいかけて

館の方に説明をしてもらいながら見学しました

 

 

*引揚記念館について詳しいことはこちらに

 

 

記念館を出た後は復元された桟橋へ向かいました

(記念館から車で3分くらいのところにあります)

 

 

 

 

 

 

昭和20年(1945年)第二次世界大戦の終結にともない

当時海外に残された日本人は660万人以上とも言われ

これらの方々を速やかに帰国させなければならなくなりました。

これを「引き揚げ」といいます。

舞鶴港は、政府が指定した引き揚げ港の一つとして

昭和20年10月7日、第一船の入港から、昭和33年(1958年)9月7日の

最終船まで、実に13年間の長きにわたりその使命を果たしました。

 

 

シベリアや中国から引き揚げてきたたくさんの人々が

どんな思いで故郷日本の地を踏まれたのか・・

戦争を知らずに育った私でも熱いものがこみ上げてきます

戦争はあってはならないものだと改めて強く思いました

 

 

 

当時は二葉百合子さんが歌っていらしたと思うのですが

島津亜矢さんの歌を見つけたので貼っておきます

 

 

【岸壁の母】 島津亜矢 

 

 

 

 


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2 コメント

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Unknown (chii)
2023-05-04 15:01:24
こんにちは。

「岸壁の母」当時、よく流れていましたね。私は既にこどもではありませんでした(笑
1番の歌詞のあとに台詞が入っていたのもよく覚えていますが、舞鶴とは結び付いていませんでした。
長く辛い日々を過ごしていた母親が
当時、たくさん居たという歴史的場所だったのですね。
平和の有りがたさを感じます。
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chiiさんへ (ao)
2023-05-04 16:24:34
こんにちは♪

えー、だったら私も子供ではなかったかも?!
だって私はchiiさんより年上だと思うので。
ほんと、いい加減な事ばかり書いています(^-^;
「岸壁の母」を聞いていたのはずいぶん昔のような気がするのですが
舞鶴と言ったら「岸壁の母」という記憶があるのだから
そんなに子供ではなかったですね(笑)

この歌のモデルになった息子(兵隊)さんはとうとう帰ってこなかったそうです。
本当に悲しいですよね。辛い思いをした人がたくさん居たのですよね。
今の平和がいつまで続くのか、不安はありますが、
今を大切に生きること、それだけです。

コメントありがとうございました。
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