子供のころ、テレビで流れていた「岸壁の母」という歌を、何度となく耳にしました
引き揚げ船で帰って来ると信じ、我が子を迎えに桟橋へ通った母親の思いを歌ったものです
当時の私は歌の内容もよくわかっていませんでしたが
なんだか哀しい歌だなぁと印象に残っていました
今回舞鶴へ行ったので、歌の舞台になった桟橋をぜひ見てみたいと思いました
その前に引揚記念館へ行って、当時の様子などを1時間くらいかけて
館の方に説明をしてもらいながら見学しました
*引揚記念館について詳しいことはこちらに
記念館を出た後は復元された桟橋へ向かいました
(記念館から車で3分くらいのところにあります)
昭和20年(1945年)第二次世界大戦の終結にともない
当時海外に残された日本人は660万人以上とも言われ
これらの方々を速やかに帰国させなければならなくなりました。
これを「引き揚げ」といいます。
舞鶴港は、政府が指定した引き揚げ港の一つとして
昭和20年10月7日、第一船の入港から、昭和33年(1958年)9月7日の
最終船まで、実に13年間の長きにわたりその使命を果たしました。
シベリアや中国から引き揚げてきたたくさんの人々が
どんな思いで故郷日本の地を踏まれたのか・・
戦争を知らずに育った私でも熱いものがこみ上げてきます
戦争はあってはならないものだと改めて強く思いました
当時は二葉百合子さんが歌っていらしたと思うのですが
島津亜矢さんの歌を見つけたので貼っておきます
【岸壁の母】 島津亜矢
「岸壁の母」当時、よく流れていましたね。私は既にこどもではありませんでした(笑
1番の歌詞のあとに台詞が入っていたのもよく覚えていますが、舞鶴とは結び付いていませんでした。
長く辛い日々を過ごしていた母親が
当時、たくさん居たという歴史的場所だったのですね。
平和の有りがたさを感じます。
えー、だったら私も子供ではなかったかも?!
だって私はchiiさんより年上だと思うので。
ほんと、いい加減な事ばかり書いています(^-^;
「岸壁の母」を聞いていたのはずいぶん昔のような気がするのですが
舞鶴と言ったら「岸壁の母」という記憶があるのだから
そんなに子供ではなかったですね(笑)
この歌のモデルになった息子(兵隊)さんはとうとう帰ってこなかったそうです。
本当に悲しいですよね。辛い思いをした人がたくさん居たのですよね。
今の平和がいつまで続くのか、不安はありますが、
今を大切に生きること、それだけです。
コメントありがとうございました。