日航機墜落事故から37年、昨日のニュースはそれ一色でした。
日航123便(JA8119)御巣鷹山墜落事故
このJA8119号機(すべての飛行機には機番がつけられています。)
1985 年 8 月 12 日 午後 6 時 12 分 大阪空港を目指して羽田空港を飛び立った日本航空 123 便(ボーイング 747 SRー100 型 JA 8119 号機)
離陸 12 分後の 6 時 24 分 35 秒、機体後方で(R5&L5ドア付近)
パーンという異常な音が発生して 垂直尾翼が破壊しました。
この破壊により 垂直尾翼の大半と方向舵、APU(補助動力装置)を失い
同時に垂直尾翼に取付けられていた油圧配管も破壊されたため、全ての油圧力を失い操縦不能になりました。
事故が発生した位置は 相模湾上空、大島の北端と伊豆半島熱川温泉を結ぶ 2/3 程 熱川寄りの洋上、
その時の JA 8119 号機の飛行状況は
高度 23900 フイート(巡航高度の24000 フイート= 7315 メートル に達する直前 )
速度 310 ノット(時速 574 Km)
飛行方向は257 度(西南西)でした。
その頃、既にJA 8119 号機は 全ての油圧力を失い操縦不能の状態になっていました。
520人もの犠牲者を出したこの事件を調べていくとあまりにも不自然な点が多く、これが単なる事故ではなくて隠された狙いがあって仕組まれた陰謀ではないかという噂が世間で囁かれました。ただ、30年以上たった今でも納得のいく説明はされず、真実は闇の中・・・
墜落から2時間後には、横田基地から米軍のヘリも到着していました。しかし、ロープを使って、墜落現場の地上15mくらいのところまで降りたところで、横田基地から不可解な指令がくだされる。『救助はせずに、帰ってこい。』そう、まさかの救助中止要請・・・これは、アメリカの新聞にも載っている事実なんです。でもなぜか報道されず、現在に至っています。JALの社内でもいろんなことがささやかれましたが・・・
TRON(トロン)日本製のOS(オペレーティングシステム)この画期的なTRONプロジェクトに関わっていた天才エンジニアたち総勢17名がこの墜落事故で全員亡くなっています。主要メンバーが一気に消えてしまったのはTRONプロジェクトにとって大打撃だったのは言うまでもありません・・・。この事故がなければ17人が生きていればWindows(Microsoft)Mac OS(Apple)は存在していなかったかもしれません。
1980年~1990年代・・・これからパソコンや、インターネットが世間に普及していくであろうという時代世界中の優秀なエンジニアたちが凌ぎを削っている中で頭ひとつ飛び抜けていたTRONシステムは、目の敵にされてしまったのかもしれません。