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真宗高田派の寺院です。お寺に興味を持ってみてください。
念仏を喜び、真実の教えのご縁を頂きましょう。 住職

修正会 (年の最初の法要です。)

2021-01-01 15:50:32 | 日記
修正会法要


皆さま、大晦日・元旦と正月を楽しく迎えたこととお伺いいたします。 元旦の朝は、新年明けましておめでとうございますと家族や友人に新年のあいさつをして新年を祝います。 この新年のあいさつの意味も、明治維新という歴史のなかで改暦が行われました。1872年(明治5年)12月3日をもって1873年(明治6年)1月1日とした外国の太陽暦(新暦)を採用して、元旦の意味が少しずつ忘れられながら変わってきたようです。 現在の日本人の元旦観は令和元年から令和2年に移るにすぎません。
現在の私たちの年齢は満年齢で記入しますが、満年齢とは生まれた日から誕生日がくるたびに一つ加える数え方を言います。 現在では、ほとんど使わなくなりましたが明治以前は数え年で歳を数えており、昭和24年に「年齢の数え方」が法律で決まるまで日常的に使われていた数え方なのです。 数え年は、お母さんの胎から生まれて産声をあげたときに一歳と数え、そしてその年を一歳、翌年を二歳というように数える年齢をいいます。 
一年の終り、大晦日の夜は「お歳とりの日」として家族全員でご馳走を食べて過ごし、翌日の正月元旦に誕生日を迎えたのです。 つまり、元旦は家族全員の誕生日、日本国民すべての人の誕生日ということです。だから家族全員が故郷に帰って、新年の挨拶をします。その「おめでとう」は「お芽出とう」の意味です。新しい芽・つまり、年を一つとりました。家族そろってお祝いしたのです。
満年齢はお母さんのお腹にいるときの「いのち」は教えられませんが。数え年年齢は、お母さんのお腹にいる時も命としていて数え、数え年年齢は単に歳が一つ多いいのではなく、お母さんの胎内の命も、人としての「いのち」として大切にしたのだと思います。
最後に、本年もお寺へお参りくださり、阿弥陀さまのはたらきを聞き続けてくださいますことを願っております。阿弥陀さまのはたらきを聞いて「南無阿弥陀仏」とお念仏申す生活と、そうでない生活では大きな違いがあります。ご一緒に真宗の念仏者としての生活を送らせていただきましょう。