和解調書は、「被害者を救う会」のブログ(http://blog.goo.ne.jp/sukuukaijimu)に公開されています。
この「和解」が「コンプライアンス」の精神に則り、誠実に履行されることを、今後とも見守っていきます。
2008年2月4日、東北福祉大学による騒音等で苦しみ続けている被害者を支援すべく、「東北福祉大学被害者を救う会」(以降「救う会」)が設立されました。
通学路として公道があるにもかかわらず、単に至便であるというだけで私道に大量の学生を誘導してきた行いに、私たちは抗議します。
福祉とは利便性を追求することとは、本来相反するものです。
詳しくは、http://blogs.yahoo.co.jp/hukushidai07/14568766.htmlをご覧ください。
皆様のご支援をお願い申し上げます。
昨年、4月以来深刻な東北福祉大学による騒音被害をうけてきたことは、すでに周知されているとおりです。
しかるに、学校は現在に至るまで、ただの一度も謝罪を行っていません。このブログで、いちいち迷惑行為を糺してきましたが、それに対しても、教育機関としての道義的、社会的責任に対する、なんらの誠意ある意見表明もうかがっておりません。
学校が、このまま私道を大学のキャンパス道路であるかのように使用を続け、これを常態化するかのような行為は断じて容認できません。
以前にブログでも書きましたが、東北福祉大学のホームページに私道における迷惑行為が存在し、関係住民に物心両面で想像を超えた苦痛を味あわせてしまった事実を正直に告知し、謝罪した上で、ただちに私道の通学路使用(キャンパス間移動も含む)を全面的に中止し、そう行動した旨の告知文を掲載されるように要求します。
東北福祉大学が教育機関として、福祉教育のリーダ的存在として、社会に貢献しようという意志と責任の心が、微かにでも残っていることを期待します。
私立大学といえども、国から私学助成金が交付されている以上、私たちの税金で運営されているわけです。ですから交付を受けている大学が、それにふさわしい社会的活動をしているのかどうか、国民はしっかり観察する義務があります。
一般論はさておき、問題の東北福祉大学が自分の大学の名前を冠した新駅開設にともなって支出した金額を福祉大の「平成18年度事業報告書」(http://www.tfu.ac.jp/outline/pdf/b_report_h18.pdf)から拾ってみると、1、167、660千円「東北福祉大前駅ステーションキャンパス棟」建設事業には、2、631 百万円(予算額)が投じられてことが記されています(ちなみに私学助成金ははっきりわかるだけでも、5億円は越えているようです)。
さて、新駅に併設する形でステーションキャンパスを新設していますが、それでは肝心の通学路(本校とのキャンパス間移動にも使用)はどうかというと、この報告書を見るかぎり、そうした支出項目は見あたりません。
そう言うと、知らない方は、「通学路は公道なのだろうから、計上されていないのはあたりませじゃないか」、と怪訝な顔をされることでしょう。
誰しもがそう思います。しかし現実が、いかにかけ離れているかはこのブログおよびhttp://blogs.yahoo.co.jp/hukushidai07等々に示されているとおりです。
つまり、大学は通学路としては、くり返して書きますが、「他人」の共有地である私道を、事前に何の説明も了解も得ることなく、無断で力任せに使っている、というのが実態なのです。
無断使用だけでもどうかと思いますが、深刻なのは、大量の学生を通学させることで、私道の沿道住民にたいする騒音、ゴミの投棄、私道アスファルトの損傷等々、計り知れない妨害行為および迷惑行為を一貫して続けていることです。
駅開設と新校舎建設に福祉大の資料を素人なりに見ると、あわせて38億円あまりもの巨費を投じていることになります。これだけの費用を用意できるなら、じぶんの学生の通学路は、駅から本校まで専用のトンネルでも開通させることが可能ではないか、と考えます。
私たちは、建設的なあらたな提案として、新駅から本校まで通学トンネルの建設を主張します。
自分の駅(JR側にも糾す必要がありますが)と校舎には、巨費を惜しげもなく投じるのに、通学路には支出を惜しみ、高齢者や介護を必要とする社会的弱者の生活道路を勝手に自分たちで、びた一文払わないで有無をいわさず占有する。
力ずくでできるそうなら、「ごまかしてしまえ。どうせみんなバカで無力なのだから。はむかうやつがいたら、脅かしてやれ。すぐに黙るよ」。
これが、東北福祉大学の教える「清貧の」思想なのですか?
あなたの学生にも社会に出たら、こうしなさいと無言で範を示しているのですか?
新しい年が始まって早いもので、2週間あまりがあっという間に過ぎてしまった。
このブログを休んで一ヶ月あまりが経ち、最近は、人から、「「迷惑行為」もなくなったのですか」とか「静かになりましたか」とよく聞かれる。
このところブログを上げなかったものだから、心配してくれている人たちは、問題が解決したのだ、と勘違いしたようだ。
遺憾ながらそうではないのです。
「いや実はこうですよ」と委細に説明していると舌はだんだん滑らかになってくるものの、こちらも身体が持たない。東北福祉大学による「騒音被害」はおさまる気配はなく、ますます陰湿かつ愚劣になってきている。
最近は2カ所に「冬期間通行禁止」なる看板をでっかく掲げておきながら、通行禁止などまったく実行しておらず、依然として平然と「迷惑行為」を続けている
(なお「迷惑行為」の実態の一部は、このブログを参照されたい。http://blog.goo.ne.jp/silence_2007_august)。これでは事故が起きるのを懐手で待っているようなものだ。
学生の安全一つとっても、これほど無神経でいられる「教育機関」があることにいまさらながらあきれると同時に、その蛮勇には逆に感心させられる。
悪質としかいいようがない。これでは、学生教育に際して、「学校の規則など守らなくてもいいよ。守るふりだけしていればいいんだ」と教えているわけだ。いやそれだけではない。「社会に出ても約束など守らなくてもいい。守るふりさえすればいいのだ」という、生きた手本を示しているわけだ。
こんな破廉恥なものを私たちは学校とはいわない。が、それにしても、このような「大人」の背中を見て育つ学生は気の毒でもあり、日本の将来が恐ろしい。
福祉大というところは、「俺たちは常識も何もない無頼の輩だ。虫けらのような住民よ、あきらめな。日本語は通じません」とでも叫んで回っているつもりなのだろうか。私たち凡人の理解をはるかに越えた人たちだ。
敬愛する道元禅師がこの惨状をご覧になったらなんといわれるのか。想像もできない。しかし禅師を開祖とする曹洞宗の流れをくむ「といわれる」東北福祉大学が、どうしてこんな不可解かつ不誠実な行動をとっているのか、つくづく考えてみる。
ある人が私にこんな話をしてくれたことがある。
私「例の福祉大だが、住民に騒音被害を与え続け、自分の権利だけを不当に主張して、てんとして恥じない。こんな体質に、どうしてなってしまったのだろうか」
A氏「あの学校か。あれはね、曹洞宗の学校の体質なんじゃないの。」
私「どういうことだい」
A氏「多々良学園の財政破綻について知っているかい?」
私「あのサッカーで有名な、たしか山口県周防市にある学校?」
A氏「ああ、もういまはないけどね。無軌道な新校舎移転計画が破綻したという事件さ。詳しいことは知らないけれど、なんでも学校経営には宗務庁が深く関与していたそうだ。いわゆる無責任体質という奴だ。その無責任体質が、同じ流れをくむ東北福祉大学にもある、ということさ」
無責任。無責任。。。。。。
いやそれだけではすむまい。「福祉」に泥を塗り、学生教育を愚弄する道義的、社会的責任は厳しく問われなければならない。