めなろぐ

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○8/22(月)新国立劇場『星の王子さま』観劇

2005-10-30 18:48:21 | ・舞台モノ
初演時に好評だった頃からずっと気にはなっていましたが、この夏の忙しい最中、確か今再演してるんだっけ…と気付き、会社を定時退社できそうだと思うや、当日券目当てで行ってしまいました。

人気演目で、折りしも前楽だから当日券は微妙に難しそうだったのですが、ギリギリに近い状態でなんとか入れました。やはりダメモトでとりあえず行ってみるもんです。

気になる理由としては、『星の王子さま』そのものに昔から思い入れがあったのと、草なぎ剛→『黄泉がえり』→塩田監督代表作→『害虫』→主演の宮崎あおいちゃんが良かったなあという流れ(笑)しかも映画関係では結構注目株のようだし、生舞台でしかもプチプランスなんて…年齢的にも、あおいちゃんでの再演はもう無いかもしれないぞっ、と思ったのです。
舞台モノってそういう焦りがあるから…まあそう思って観に行ったものって、そんなにハズレはないものです。
飛行士に岡田くん、花にヤンさん等豪華キャストなのも美味しいところでした。

舞台セットはなかなか面白いものでした。客席との区切り目が微妙に歪んでて…下手手前が砂が敷き詰められて遭難した飛行機、上手手前がオケ、奥が…昔の望遠鏡の先のような丸い枠付きスクリーンと、なんだか出来損なったジェットコースターのレールのような、機械仕掛けの大きな三日月のような装置が目立ちます。(これらが実にうまく、劇中で使われるのですが)
そっか夜の砂漠が舞台だったんだ…この上半期はヅカ花大劇やら雪バウやら、やたら砂漠づいてるな。

そんな構造なので、当然幕はありません。飛行士役の岡田くんの何気ない登場から始まりました。歌はやはり上手。安心して聞けます。イメージもぴったり。

そして、上手にスポットを浴びて現れたのは
「星の王子さまだ」
と直感的に思いました。昔原作を読んで、挿絵等も合わせてイメージしていた星の王子さまのイメージそのものだったんです。映画『NANA』の舞台挨拶で中島美嘉と並ぶと若干背が高い宮崎あおいとは思えなかったくらい、ちっちゃくて、年齢、性別、国籍、星籍不詳、みたいな。
なんだか、それだけで感動してしまいました。そしてあおいちゃん、とても上手かったのです。

台詞のやりとりも展開も、イメージどおり、原作どおりに進んでいきます。うわばみの絵もスクリーンで映し出されるので、原作を知らない初見の人にもわかるようになってます。

そう、うわばみ…というと個人的に高校時代を思い出してしまいます。高2半期で、副読本に英語版「The Littel Prince」を1時間数頁のペースでガンガン進められてたのですが、予習が大変だったことを。そしてしょっぱな1頁目の、"Boa Constructor"が辞書でいくら調べても載っておらず四苦八苦したのに、翌日の授業では大蛇とかでアッサリ流され、要領良いクラスメートは皆、既に翻訳本を入手して予習に対応していたという。苦労した分、一生忘れない単語かもBoa…

そんな半端なノスタルジーを彷彿とさせつつ、次第に舞台の中に引き込まれていきます。遭難して命の危機にある自分と、砂漠に居るはずのない子ども…奇妙なシチュエーションの中のやりとり。飛行士の焦りの気持ちと、王子さまに惹かれていく気持ちの交錯は難しいところだと思うけど、無理なく描けててたと思いました。

そして、王子さまの旅の話の展開も面白い。
沢山の鳥たちを、透明の風船1個に1羽ずつ描いてそれを持つ画があまりにも違和感なくてびっくりしました。サンテクジュペリも、挿絵描きの人も、元々たくさんの風船のイメージだったのかもしれない、とさえ思う程。
ところどころまとわりつく女性ダンサーたちが、また良い味を出しています。
とにかく、ビジュアルが期待を裏切らない。イメージを崩さない。それだけ原作を愛し、読み込んでくれている人たちが作ってくれた舞台だということがよくわかります。

命令したがりの王様、褒めてほしがりのうぬぼれ男、知ってること自慢の地理学者、数字でこの世を支配したつもりの実業家、人生に絶望して酒におぼれるだけの呑み助など、登場するのはいずれもこの地球でよく見かけそうなオトナたちの象徴。
それぞれが小さい星の中で、子どものようにジャングルジムのような遊具の上で自らを誇示している姿が滑稽でもあり、哀れでもあり…。
そんなオトナたちを理解できずに首をかしげる王子さまの方が、余程分別があって本当の大人のようです。
小さい星で、短い昼夜に街灯の付け消しを限りなく続ける点燈夫も、一見愚かなようで、でも誰かのために役立っているという使命のためにやっている尊い仕事という誇りが、他のオトナたちと大きく異なるところで、なんだか毎日コツコツ働いているたくさんのオトナたち(自分も含めて)応援したくなっちゃうのでした。

それにしても、これもまた、イメージどおりのキャラクターをよくも揃えたもんです。特にブラザートムの王様は個性つよーい。忘れられない(笑)

そして、出ました、バラの花。王子さまが手をこまねいたわがまま娘のバラ。女性の象徴とも、サンテクジュペリの奥さんがモデルとも言う…。
正直、原作のイメージよりは年齢的にとうがたっとう(神戸弁)なんですが、クネクネした柔らかな動きや、我侭放題の末、王子との別れでは一人でも平気と強がりを言うところも、可愛らしくて、あーそういう女の人居るかもなーとは思いました。でも、全ての女性がそういうタイプでもない訳で、やはりモデルあっての「僕の星のたったひとつのバラ」なんだよね。

しかし、あおい×ヤンとは…妙に倒錯的な組み合わせだ(爆)

後、印象強かったのはやはり「ヘビ」。森山開次さんのヘビダンスは凄かった。(ヅカ花大劇の鈴懸ヘビも印象強かったが)しなやかで時に力強い、人間とは思えないような動き。その流れにひたすら目を奪われた。
人間とは相容れない、生理的に天敵のイメージ。聖書でもそういう存在で、そういう描かれ方をされることが多いけど、なぜかこの森山ヘビには不思議な魅力が在って、むしろ儀式的な神聖な舞のようにさえ見える。そういえば、日本では蛇は神様として崇められるところもあるみたいで。不思議な存在です。ヘビ…

今、パンフ見返して、森山さんが映画『茶の味』に出ていたことを発見。剛と共演していたのか~知らなかった~今度DVDでチェックしてみよう。

そして、忘れちゃならない「キツネ」。ROLLYが被り物キャラで実に可愛らしく演じてます。どんな時代でも共通なのかなあ、お友達のなり方、みたいな。
ただ、原作の時からも感じてたけど、「飼い慣らす」という言葉がどうしても違和感を感じてしまうのは私だけだろうか。
徐々に互いの警戒心を解きながら、少しずつ慣れという形で歩み寄って、お互いがお互いにとって大切な存在になるということ。
これはやはり同等の「ともだち」の定義だと思うんだけど、「飼う」という言葉が入ると、どうしてもペットと飼い主みたいな間柄で、どこか互いに優越の差が出てしまうのが否めない。

ここ最近、原作の翻訳の改訳が話題になっているみたいで、先日気になっている「飼いならす」のところを立ち読みでチェックしたら、変わってなかったみたい…。
私は仏語はよく知らないので、実際の原作の言葉がそういう意味合いを持っているなら仕方ないけど、本当に日本語で適当な言葉が使われているのかなあ。もっと別の意味合いが込められてないかしら、と考えてしまったのでした。

そんなかんだで、邪念や個人的な思いを沸きさせられつつ、全編よく出来たファンタジーの舞台に仕上がっていました。キツネや飛行士との別れのシーンでは、かなり泣けました。できれば、もう一回観たかった。
いろんな人に観てもらいたい。原作のイメージがそのまま舞台となり、舞台の可能性の一面を新たに見せてくれた、満足のできる作品でした。