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前回「日本の女性は19世紀までの女性たちと「権利義務」の関係においてまったく違う状態に置かれていたのです。」と書きました。簡単にかけば「財産権・相続権などの制度的な部分で、日本と西洋では全く違っていた」ということです。
ですから西洋の女性解放運動は「男性並み」を目指していて、それは「男性と同等の義務を果たすから権利をよこせ」というものであった、ということです。
では、日本女性はどういう立場にいたのでしょう。それが今回の本旨です。
日本の女性の立場は、一言でいえば「奥様」でした。これを差別用語だと思っている人がいますが、違います。
なぜ違うかというと、西洋には「奥様」はいなかったからです。奥様とは「家計管理だけでなく家全般を取り仕切るマネージャー」のことです。西洋の家庭は男性しか財産権がないため、家計管理だけでなく様々な意思決定がすべて男性だけで行われたのです。
まあ、妻の意見を聞くこともあったでしょうが、夫が「こう決めた」といえば逆らうことはできなかったわけです。(できないですよね。家計も任せてもらっていないし、離婚したら路頭に迷うだけですからね)特にフランスはこの点を明文化していて、有名なナポレオン法典では「妻は夫に従うこと」と明記されていました。法律に「妻は夫に隷属する」と書いてあったのです。(この法律が改正されたのは1964年です)
昔の日本の女性は、家庭に入ると「奥様」として家計を握り、すべてに目配りをする家庭のマネージャーでした。男性は「殿様」で外の役職を全うし、お金を家にいれることと殿(しんがり)として家庭の用心棒的な部分だけ担いました。あれれ、今とおんなじですね。
日本では基本的に武家・商家・農民に関わらず、女性が家計の主体だったのです。これは大名レベルでも同じで、戦国時代も戦争のための表向きの費用や管理は殿様や部下の会計係がしましたが、家のほうの家計は妻が行うのがほとんどでした。幕府の「家のほう」は大奥になるわけですが、なんと大奥すら女官たちが会計管理していたのです。
いわゆるハーレム(男性一人に対して世継ぎを生む女性を何人も囲っているところ)でその中の女性(実際には女官)が会計管理をしていたのは日本の大奥しかありません。
つまり日本の男女関係は「分業」であり、男は外・女は中で、対等な関係であったといえます。そのため、女性も相当な誇りをもって家計管理に臨んでいたと思われます。その証拠がこれ
「武士の時代、女性の地位は低かったのか」
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110123/1295765493
この中に、「あるとき教会の婦人会で寄付を集めることになっており、婦人会では夫たちから相当の金額を支出してもらっていたので、夫人たちだけで5ドルずつ持ち寄ることになっていました。アメリカのご夫人はその5ドルの捻出をどうしたか。一度もかぶったことがない帽子を売った、他人からもらった芝居のチケットを売った、靴下つぎをして稼いだなどありましたが、中には夫が寝ている間にポケットから無断で持ってきたというのもありました。鉞子にとっては夫に金銭をねだったり、恥ずかしい立場に身をおくことが信じられませんでした。」
と書かれています。これの出典は杉本 鉞子『A Daughter of the Samurai(武士の娘)』であり、鉞子はアメリカで商売を営む日本人男性と結婚していました。つまり、アメリカで日本式の男女分業を行っていたのです。
このエピソードの後にこう書かれてもいます。
「女は一度結婚しますと、夫にはもちろん、家族全体の幸福に責任を持つように教育されおりました。夫は家族の頭であり、妻は家の主婦として、自ら判断して一家の支出を司っていました。家の諸がかりや、食物、子供の衣服、教育費をまかない、又、社交や慈善事業のための支出を受け持ち、自分の衣類は、夫の地位に適わせるように心がけておりました。
それらのための収入は、いうまでもなく、夫の働きにより、妻は銀行家になるわけです。ですから、夫は自分でお金の要るときには妻からもらい、夫に、地位相応の支給ができるのを、妻は誇りにしていました」(引用以上)
つまり、日本の女性は「奥向きの御用」を司り、マネージメントする「奥様」であり、これは尊称だったわけです。だから奥様と言う言葉は「家に女を縛り付けている蔑称」ではないんですね。
ちなみに、欧米の主婦、19世紀までの主婦は「乳母・家政婦」でした。なぜなら、家計の管理権もないし、家のマネージメントもできないし、単に夫と子供の世話をする乳母、家を掃除し料理を作る家政婦にすぎなかったわけです。また、制度的に女性に財産権がないのですから、離婚しても自立することはできず、実家に帰って父親の世話になるか、相続した兄弟の厄介者になるか、しかなかったのです。
面白いことにOECD諸国の経済統計では、主婦=ニートと分類されています。よく「主婦を無職とするのは抵抗がある」と新聞に投書がありましたが、たしかに日本の奥様が行っている経済活動はニートのそれとは全く異なり「消費の主体」であり、経済活動です。しかし逆に欧米ではまさにニートと主婦は同じような「食べさせてもらっている人」の立場なのです。
また、一時期投資の世界で「マダム・ワタナベ」と言う言葉が流行りました。欧米の投資の中に「日本の主婦が運用するお金が相当に入っている」ということです。これ欧米人の常識からすればありえないことです。なぜなら「(男女差別が根強い日本の)女性がなんでそんなに金を持っているのか?」ということがあるからです。先ほどから書いているように、欧米では資産は男性の管理が原則なので「女性が運用するほどの金を持っている」といことは「年収○千万クラスの自立した女性」がたくさんいる、としか考えられないわけです。
日本に住んで居れば「夫の、または夫と自分の稼ぎを合わせた資産運用」であることは明白なのですが、日本では女性が家計管理をする、という前提を知らない欧米人は、自分たちの常識から見て「なんてすごい(資産家の)女性たちがたくさんいるんだ!」と勘違いしてしまうのです。その間違いに気がついた時の驚きが「マダム(奥様)」と言う言葉なのです。
この境遇の違いが、欧米に女性解放運動をもたらします。しかし、それは同時に「社会的な責任を負うからこそ自立した存在」であるわけです。これが欧米の男女平等の基本になります。
日本は「奥様」であれば社会的な責任を全うしていたのです。
また、選挙権に関しては20世紀初頭まで女性に与えられないのは当たり前の話です。なぜなら「選挙権の権利は徴兵の義務とセットだったから」です。徴兵されるから男子全員に選挙権があったのです。これは古代の都市国家の民主主義から変わらない原則でしたし、スイスの民兵と直接民主制は関連しているため、1990年まで完全な女性参政権は得られませんでした。これは「徴兵され国を守る者(つまり男)だけが参政権がある」という価値観があったからです。
ですから、20世紀中庸から「女性も仕事をすることで税金と言う社会的な負担を担う」ことと、必ずしも徴兵制ではなくなった民主主義のあり方として、男女に普通選挙権が与えられたのです。
ここを勘違いして「女には選挙権が無かった。差別」というのは不当であるといえるでしょう。
でも、実は明治以前の女性は「一家の大黒柱」として戦争にも出ていた、のです。
すいません、続きます。3はこちらからどうぞ
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