なまけものの鏡

世の中には「差別している側からはみえないこと」があります。男性差別もそのひとつです。

日本の女性の権利と西洋女性の権利

2017年06月18日 07時56分47秒 | Weblog

国によって異なるので、本来は国ごとに書くべきなのでしょうが、ざっくりと書いていきます。一応「欧米」といってもアメリカは比較的女性への権利付与が早く、イギリスは普通、一番遅いのはなんとフランスでした。

19世紀までの西洋女性は「子供同様、男性の保護下に置かれている存在」であったといえます。

日本人はこれを聞いて「家長制」などと結びつけますが、実際にはもっと苛烈で、制度的なものでした。

単純に「人を保護化におきたいときはどうすればいいか」ということを考えてみてください。

たとえば、日本で老人が認知症などになると「成年後見人」という制度を使うことができます。これは認知症などで誤った契約などで財産を失わないように、認知症の本人の財産処分権に「後見人」という保護者を付ける制度です。子供も同じですね。子供はお小遣いなどを自由に使うことはできませんし、親の承諾無しに自分で契約することもできません。

つまり「保護する」ということは「人権として認められている一部の機能、特に財産権と契約権を制限する」ということなのです。これが制度として実施されたのが19世紀までの西洋世界であり、現在のイスラム教世界はまだ続いているのです。

19世紀までの西洋では「女性に財産権と相続権がない」状態だったのです。たとえば「ダウントン・アビー」というドラマでは「限嗣相続」がドラマの基本になっています。これは「一人の男子のみにすべてを相続させる」という方法で、荘園領主が土地や財産を失わないようにするために有効な方法だったのですが、男子のいない家系だと自分の娘に財産を継がせることができず、身内の一番近い男性にすべての財産が行ってしまい、極端な場合は未亡人や娘たちは路頭に迷う、というものだったのです。

ダウントン・アビーでは、主人公のクローリー伯爵の長女と結婚するはずだった「限嗣相続の男子」がタイタニック号の事故で死亡してしまい、次の限嗣相続は中流出身の遠縁で、娘たちは「どうしたらよいのか分からない」というところから話がスタートします。

 また、ほとんどの人が意識しませんが、主人公の妻はアメリカ人で、結婚する時に相当な財産、つまり持参金を持ってきたのですが、当時のイギリスの法律では「女性は財産を持てない」ので、結婚と同時にそれは「家の財産」になり、たとえ離婚しても持参金は戻ってこないし、伯爵が死ねば持参金分も含めて限嗣相続者に財産が渡ってしまう、というものでした。

つまり、制度として「女性には財産権も相続権もない」というものだったのです。ですから、この時代の女性たちは、社会制度として「自立して生きていくことが不可能」でした。自分の財産が持てないのですから、銀行口座も開けないし、働いたお金も「管理者である男性」に吸い取られるのが合法だった、ということです。

これが変わったのが、第一次世界大戦以後になります。近代戦争は「国民男子は徴兵される」のが原則で、それ以前に比べて男子が多く戦争に行き、また大量破壊兵器も発達したため、戦争で男子の数がドンドン減っていったのです。そのため、不足した労働力を補うために女性たちが様々な労働をするようになっていきました。

さて、賃金はどうなるでしょう。それまでは「父親や夫の管理」でしたが、不幸にして父親や夫が帰ってこない家庭も多数でてくることになります。これらの未亡人女性たちを「男性が管理」にするには、イスラム教のように一夫多妻制などにしないと間に合いません。しかし、キリスト教は一夫一婦制ですから、解決策は「女性にも財産権を与えて、自分の給料で生活できるようにする」しかなかったのです。

これがそもそも、女性解放運動の発端になっていくのです。

ここで覚えておいてほしいのは「西洋においては、女性が男性と同等の権利を得るために、労働やその他の社会的な義務を引き受ける、と言う前提になっている」ということです。つまり「男性と同等に仕事ができると証明したから、自分たちも財産権が欲しい」ということであり「財産を得たなら納税の義務や、領民のための荘園管理などを自分で行う」ということでもあります。

こうして、欧米流の男女平等は「権利と義務が一体」という常識になっているのです。

 

日本の女性の権利はどうだったでしょう。

日本の女性の権利はほぼ男性と同じでした。違うようになったのはむしろ明治以降の西洋文明を受けてからで、家長制度などはそれ以前にはそれほど発達しておらず、また財産権・相続権は常に男性と同等にあったのです。

日本の財産権の基本は743年の墾田永年私財法に始まります。

この法律は「開墾した田畑は自分のものだよ」というものです。これ以前は律令制で男女とも口分田が与えられ、納税の義務をおっていました。西洋では第一世界大戦以後に女性が初めて負った「納税の義務」を日本女性は1300年も前から果たしていたのです。

その結果、墾田永年私財法でも「男性に限る」というようなことは起きませんでした。1300年前から日本の財産権・相続権は男女とも平等であったのです。

 もちろん、完全な平等とは言えない部分もあります。大名家などは男子のみの相続が行われますし、農家でも田畑は基本的に男性一人が継ぎます。しかし、ここで生活が不安定になるのは他の兄弟も同じで、姉妹は結婚すれば安定した生活を送れるのに対して、相続できなかった男子は「厄介者」として扱われ、結婚もできなければ財産もほとんどない、という悲惨な状態でした。

決して救われない社会的弱者『キモくて金のないおっさん』は昔から居たのです。

また、もし子供が女性しか恵まれなければ、女性に相続させて婿をもらう、ということもできました。日本の婿の肩身が狭いのは「妻が財産を管理している」からです。ですから欧米には、中村主水や渡辺小五郎はいなかったで書いたように、西洋では「婿殿!」と下げすまされるような男性はいなかったのです。特に農家や商家では、婿入りも珍しくなく、家計にアクセスできない婿殿もたくさんいたのです。

では、日本の男女はどのような権利意識だったのでしょうか。

基本的には男女平等であり、たとえば「持参金」は妻のもので離婚時には、返す、のが前提でした。夫婦と言えども財産は別だったのです。そのため、女性が自立して生きていくことも可能でした。小さな店を構えて、日銭を稼げれば(財産権は自分にありますから)生活は成り立ったのです。

また、日本の女性は昔から男性の保護には入っていませんでした。戦国時代に来た西洋の宣教師たちは「西洋では男性が先に歩くが、日本では女性が先に歩く」とか「日本の女性は夫にも父親にも許可を得ず、朝帰りしても問題ない」「妻が高利で夫にお金を貸している」などと記録しています。

つまり、日本の女性は19世紀までの女性たちと「権利義務」の関係においてまったく違う状態に置かれていたのです。

えーーと、長くなるので、続きます。

 

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