風 景
純銀もざいく
山 村 暮 鳥
いちめんのなのはな この詩と出合ったのは高校時代だったと思うけれど、
いちめんのなのはな もうその時には、身近なところに一面の菜の花など
いちめんのなのはな ありませんでした。ただ、わたしの記憶の中には、
いちめんのなのはな どこまでもどこまでも広がるいちめんの菜の花の
いちめんのなのはな 感動がありました。
いちめんのなのはな だから、この詩は、
いちめんのなのはな 私の中で、ぱあっとはじけました。
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな 先日、はるか昔の記憶の中にある
いちめんのなのはな いちめんの菜の花畑を見に行ってきました。
いちめんのなのはな もちろん、
いちめんのなのはな 季節的にも咲いているはずもありませんし、
いちめんのなのはな そのまま畑であるはずもないとは思いました。
いちめんのなのはな 案の定、
いちめんのなのはな そこは公園の一部となり、
ひばりのおしやべり 東屋のある芝生の広場となっていました。
いちめんのなのはな ただ、私を驚かせたのは、
いちめんの菜の花畑のあったところは、
いちめんのなのはな テニスコート二面ほどの広さしかありませんでした。
いちめんのなのはな どこまでもどこまでも広がっていた菜の花畑は、
いちめんのなのはな 子供の感性、子供の目線だからだったのでしょう。
いちめんのなのはな ありがたいことに、それでも、今でも、
いちめんのなのはな ほんわか暖かく、やんわり優しく、
いちめんのなのはな 私の心の中にあるいちめんのなのはなは、
いちめんのなのはな どこまでもどこまでも広がっています。
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな。
いちめんの菜の花ばたけ描いてみる少ししおれた心のなかに 俵 万智