FH司祭問題を駁す パート2

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異 議 申 立 書

2008-08-16 22:01:02 | Weblog

 以下の文書について掲載依頼がありましたので、全文をここに掲載させていただきます。

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2008年 8月 14日

日本聖公会京都教区 審判廷
審判長  主教  ステパノ 高地敬 殿

      審判代理人  コンスタンチヌス 村岡 利幸
      審判代理人  パコミウス    籠  正二


                       異 議 申 立 書  

「異議申し立ての趣旨」

 7月10日提出の懲戒申立書に対する、貴職発2008年7月31日付の申立記載事項補正命令について、申立記載事項補正命令取り消すとの審判廷決定を求める。


「異議申し立ての理由」

 

1、  申立人は、現在もなお続く、被申立人:モーセ原田文雄司祭(京都教区)の著しい不道徳に対し、懲戒処分を求めているのであって、この著しい不道徳を論述証明して、その裏付けの証拠を提出しているのである。それは、未だ被害者を傷つける不穏当な発言が聖公会各所で繰り返される中、教会共同体の秩序維持と神様のいう和解を図ることが目的なのである。審判廷において、むやみに被申立人の罪状を挙げづらい糾弾し、そのことで二次被害が生じることのないように、申立人及び審判代理人らは充分なる注意を払うものである。それを懲戒申立書においても、極めて慎重に、深い配慮を行ったものである。

 

2、  2008年7月10日付の、被申立人にかかる懲戒申立書にあって、申立人は審判廷規則第16条(申立書記載事項)に限定列挙されている項目については、そのすべてを網羅記載して書面を作成したものである。そればかりか、申立人は、審判廷の手続きが円滑に促進されることを願って、申立人らの住所や委任関係を示す当事者目録、懲戒申立の趣旨、証拠方法であるところの証拠説明書ならびに証拠甲第1号から甲第9号までを添付書類として、任意に提出したものである。ところで、審判手続きその他が日本聖公会教会共同体の内部問題であるとしても、ことごとく日本国内の公の秩序を無視することは許されず、まして不利益や損害を与えることは避けられなければならないと、申立人は考える。すなわち、貴職が、日本聖公会の秩序維持のために定められた日本聖公会法規の懲戒規定の一部である審判廷規則に関して、あからさまに逸脱する意思表示及び逸脱を命じる意思表示を行うことは、日本国内の公の秩序である信義誠実の原則に反することなのである。審判廷規則の表示を信じて懲戒申立書を提出した申立人に対して、後に審判長の表示が真実であるとして審判廷規則をくつがえすことは許されない。もちろん、こういった信義誠実の原則に反する行為自体が、日本国内に適用される法律に反し、裁判で取り消されるとか損害を賠償しなければならない可能性が極めて高いことは言うまでもない。

 

3、  懲戒申立の趣旨にあっては、「被申立人モーセ原田文雄(司祭)は、日本聖公会法規第198条(聖職の懲戒事由)、第1項第3号の、「その他著しく不道徳または不正であること。」に該当すると考えるので、第201条(聖職の懲戒)第1項第4号の、「終身停職」の懲戒を求めるため申し立てるものである。」と簡潔明瞭かつ具体的に、審判廷に対する審理と審判ついて懲戒申立書に記載しているものである。

 

4、  懲戒申立の事由である事実にあっては、日本聖公会法規に基づいて定められた審判廷規則においては、審判廷を開催(審判廷規則第21条)し、当事者双方に口頭で弁論させ(同規則24条)、弁論の全趣旨及び証拠調べの結果のみを斟酌して(同規則38条)自由な心証により当事者の事実についての主張が真実であるかいなかを判断する(同規則38条)と定められており、審判廷が申立のどの部分を容認するのか、あるいは容認しないを判断するといった弁論主義でもって、審理を進行・審判することになっているものである。あくまで、教会の審判廷であるから、審判廷は、日本聖公会法憲の規定で「神の真理又はみ言葉」を判断基準とし、日本聖公会法規により具体的に判断を下す審理と審判とを託されている。このような審判の手続きでもって、審理と審判を行うことは、審判廷規則が日本聖公会の法規の一部を構成しているものであることから、日本聖公会内部のいかなる者であっても、これを侵害することはできないのである。

 

5、  2008年7月10日に提出された懲戒申立書においては、
第1項「みだら」な行為、
第2項「姦淫」の行為、
第3項「偽証」と「人を分け隔て」した行為、
第4項「盗み」の行為ごとに項を立て、
それぞれの項には箇条書きで(ア)(イ)(ウ)(エ)(オ)の各号順に論述されている。加えて第5項に、これらを総合して、聖職按手式の司祭按手において約束したことに違反する不道徳であることを論述しているものである。論述理論は、神の真理又はみ言葉に背くかどうかの基準に基づいて、懲戒申立の事由である事実がこれに背くものであることを合理的に証明している。そういった論述方法がとられているから、かつ神の真理又はみ言葉に背くかどうかの評価の主張が付されているから、かつ申立人の主張する評価で説明しているからこそ、初めて申立の事由である事実を証明・立証する構成がなされているのである。申立人の評価が付されているからこそ、事実は明瞭に表現されているといっても過言ではない。

 

6、 貴職の、「いつ(あるいはいつからいつまで)、どこで、だれが、だれに、何をしたかを明白にして下さい。」の命令は、審判手続きを阻害するところの審判廷規則違反と言わざるを得ないものである。仮に、貴職の命令に基づく方法で主張したとすれば、
いつ(あるいはいつからいつまで) : 1983年から現在までの期間、
どこで : 日本聖公会の影響下にある日本国に於いて、
だれが : 被申立人であるモーセ原田文雄司祭が、
だれに : 日本国に居住もしくは滞在する者に対して、
何をしたか : 著しい不道徳を行ない続けている
と表現せざるを得ないこととなる。
 ところがこれでは、審判廷規則が求めている申立人の主張と証明及び、それを判断した基準を示すことにはならず、審判員が、「弁論の全趣旨及び証拠調べの結果のみを斟酌して、自由な心証により当事者の事実についての主張が真実であるかいなかを判断する(同規則38条)」ことを、著しく審理阻害もしくは審判不能とすることになってしまうものなのである。

 

7、 証拠方法とは、前述したような、懲戒申立の事由である事実の証明・立証を行った上で、その後に裏付けとして提出するものである。決して、貴職が考えるような、「事実が存在したこと」を証拠によって証明することはあり得ないのである。7月10日の申し立てに併せての証拠提出は、甲第1号から甲第9号までの書面が提出されており、証拠説明書に作成年月日、作成者、証拠で裏付ける趣旨などを表でまとめて、A4判2枚に記載・提出がされているものである。あくまで、証拠は裏付けであって、証拠のみをもっては事実を認定することができず、懲戒申立の事由である事実の証明・立証が行われているからこそ、必要な証拠のみを選定することができることとなるのである。
 審判廷規則にあっては、審理は口頭弁論の方法(弁論主義)を採用していることから、証拠を優先させる「証拠優先主義」と言われる審理は用いないことになっている。事実の存在を証明するのではなく、懲戒申立の事由である事実の証明・立証の裏付けを証明するために証拠を調べることとしている。
 とりわけ、証拠には、偽物が提出される危険性が大いにあるわけで、偽物を事前に審判廷から排除する効果も含めて、懲戒申立の事由である事実の証明をさせた上で、その後に初めて証拠を調べることとなるのである。それは、物証、証人何れにしろ、証拠それ自体は有罪無罪の何れにも利用できることから、「これを見てください。」(物証)、「あの人にきいてください。」(証人)といった証拠を優先して審理しない方法で、審判廷における偽証の発生や分け隔ての助長を極力阻止する工夫をすることとなるのである。

 

8、 当該申立書記載事項補正命令書なるものは、極めて不可解なものと言わざるを得ない。その不可解な内容を次の(イ)から(へ)において指摘する。

(イ)  審判廷規則第17条で、「申立書の記載が前条の規定に反するとき」と限定列挙されているにも関わらず、審判長が、第16条に限定列挙されていないところの、「申立の趣旨」や「証拠方法」の記載の補正を命ずることは、第17条違反となっていること。

(ロ)  審判廷規則第20条に定める主教の事前調査の以前に、「いつ、どこで、だれが、だれに、何をしたか」との、事実上の弁論開始を命じており、第20条に定める主教の調停を放棄させることになっていること。

(ハ)  弁論をどのような方法で実行するかは、審判廷規則の範囲内で申立人に委ねられているのであって、「いつ、どこで、だれが、だれに、何をしたかを明白にして下さい。」と命ずることは、審判長の意に沿わない弁論内容を禁止することにつながり、審判廷規則第24条乃至第27条などの違反となっていること。

(ニ)  弁論で主張する懲戒申立の事由である事実を証明するには、申立人の評価は不可欠で、その評価が表明されるから不道徳であるとの懲戒申立の事由である事実が初めて証明されるのであって、評価なるものを禁ずる命令は申立人の証明を阻止し、審判長の意に沿わない懲戒申立の事由である事実記載の禁止につながるものであり、審判廷規則第35条などの違反となっていること。

(ホ)  貴職の命令するところの、「事実が存在したこと」を証明するのであれば、有罪無罪の何れにも利用できる形での証拠提出を要求することになり、仮に、「いつ、どこで、だれが、だれに、何をしたか」との事実であれば、それは一体どこまでの範囲で、一体どの程度の詳しさまでを求めているのか意味不明とならざるを得ない。仮に、貴職の命令する証拠方法であれば、不必要な証拠提出と不必要な証拠調べで審理が煩雑になる可能性を大いに含むものである。審判廷がその煩雑さを防ぐために弁論や証拠提出を規制することはできないから、あくまで、懲戒申立の事由である事実に関して証明し、その、「証明は、証人、文書その他の証拠を取り調べのことにより行う。」と審判廷規則第36条に定めているのであって、審判廷規則が想定している審判手続に違反することになっていること。

(ヘ)  審判廷規則第24条においては、口頭弁論を定めており、審判廷は書面の弁論を要求してはならないことになっているにも関わらず、貴職は、実態として弁論期日前に審判廷規則第16条の限定列挙記載事項を超えた書面の弁論を要求することとなっており、これは審判廷規則第24条の違反となり、当該補正命令は、審判長の職権範囲からあふれ出たところの、貴職の職権濫用と判断せざるを得ないのである。


9、  貴職が、「審判申立書」の書式にできるだけ従ってと命ずる内容は、日本聖公会法憲法規関連書式にしたがってとの意味と解される。ところが、2006年8月に日本聖公会管区事務所が示した「本法規集の利用に際して」(p)によると、その第4項に、「これは日本聖公会総会で決議したものではなく、従って『日本聖公会法規』その他の法規のような拘束力を有するものではない。」とされている。
 すなわち、7月10日の懲戒申立書との名称自体、日本聖公会法規に基づく審判廷規則に定められている名称であり、書式集の、「審判申立書」が誤記であることは明瞭なのである。書式集にある証拠方法は、審判廷規則第16条に申立書の記載事項には必要とされていないのである。あくまで、申立人は、この懲戒申立書作成にあたり、審判廷規則の表示を信じて、法規の懲戒規定と審判廷規則の全趣旨を遵守し、これら全体を通して神の真理や物事の道理を探求する申立書の形式と内容となるように、これを念頭において、懲戒申立書の作成をしているものである。
 貴職の、「審判申立書」の書式にできるだけ従ってとの補正命令である本旨については、この異議申立書の各項で述べた理由から、たとえ貴職が「できるだけ」と前置きしたとしても、貴職が審判長・主教の地位にあったとしても、貴職の補正命令には道理のある合理的な根拠は見当たらず、それどころか審判廷規則に反する補正命令であり職権濫用そのものと言わざるを得ないのである。

 

10、  よって、異議申し立ての趣旨の通り、2008年7月31日付貴職発の申立記載事項補正命令書について、申立記載事項補正命を取り消すとの審判廷の決定を求めるものである。申立人は、この審判廷での取り消しが2007年8月31日までの期限で決定されるべきものであると主張するものである。なお、2007年8月31日までに当該補正命令を取り消す決定がなされない場合もしくは、その連絡の無い場合にあっては、日本国の各地方裁判所に対して、申立人が当該申立記載事項補正命令の取り消しなどを求める訴訟の提起をするかも知れないことを申し添えるものである。

                          以 上