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弾正橋

2007-03-13 08:06:14 | 江戸由縁東京旧聞
かつて川があったところに今は高速道路となっている
京橋のあたりには、その昔楓川に架かる弾正橋と呼ば
れる橋がありました。名前の由来は近くに島田弾正の
屋敷があったからだと言われています。

この近くには他に木造の橋もあったのですが、歴史と共
に消えていってしまいました。だが弾正橋だけは生き残
り明治11年になって鉄橋へと生まれ変わります。国産
の鋳鉄と錬鉄を使用した鉄橋の第一号となった橋で、明
治政府の肝いりで造られたから菊の紋章も付いていたの
でした。

ところが悪いことに関東大震災が起きて、その後の復興
に伴い廃橋となってしまうのです。

昭和4年、弾正橋は江東区富岡八幡宮の八幡堀公園に
移設されその名も八幡橋として改められました。


何十年も前のこと、学校の帰り道に良くあの辺りで遊んだ
から、この橋の存在は知ってはいたけど、こんなに由緒の
ある橋だと意識したのはずっと後のことになってからのこ
とです。

八幡様の辺りは絶好の遊び場で、歴代横綱の石碑の裏
にある池で魚にいたずらをしたりと、思い出の多い場所で、
縁日が出る日など地元の木材屋の友達と終日何とはなく
遊び歩いてました。弾正橋のあたりも遊びの守備範囲で
した。川や掘割がまだまだあった時分の話です。



八幡様の裏側、駐車場から出て正面に数矢小学校を見
て右手へ出ます。するとすぐに目の前に木造の、今や風
情のある、懐かしい匂いのする家屋が並び、それに沿っ
て左側に弾正橋がひっそりと架かっています。その下の
川の水はすでに無く遊歩道となっています。歩行者専用
の橋です、念のため。と言うのも、この橋は一度「廃橋」と
されてしまいました。それを再利用したために幅が2メー
トルの小さな橋となったのです。移設される前は幅9メー
トルほどあり、かつては人力車がが余裕ですれ違える幅
員を持っていたのでした。



現在の弾正橋は鍛冶橋通り沿い、首都高速の白魚橋料金所の
すぐそばに架かっています。

弾正橋から元弾正橋、八幡橋へ、古き江戸から平成の
東京へと長く歴史を重ねて来た由緒ある橋は、時代や橋
の形は変わっても今も静かにその姿を見せてくれています。





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