![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/00/c10d5ca724a52ea41bceb517e3fc6b9f.jpg)
かつて川があったところに今は高速道路となっている
京橋のあたりには、その昔楓川に架かる弾正橋と呼ば
れる橋がありました。名前の由来は近くに島田弾正の
屋敷があったからだと言われています。
この近くには他に木造の橋もあったのですが、歴史と共
に消えていってしまいました。だが弾正橋だけは生き残
り明治11年になって鉄橋へと生まれ変わります。国産
の鋳鉄と錬鉄を使用した鉄橋の第一号となった橋で、明
治政府の肝いりで造られたから菊の紋章も付いていたの
でした。
ところが悪いことに関東大震災が起きて、その後の復興
に伴い廃橋となってしまうのです。
昭和4年、弾正橋は江東区富岡八幡宮の八幡堀公園に
移設されその名も八幡橋として改められました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/11/4d8786475cc97578c2303481044889bb.jpg)
何十年も前のこと、学校の帰り道に良くあの辺りで遊んだ
から、この橋の存在は知ってはいたけど、こんなに由緒の
ある橋だと意識したのはずっと後のことになってからのこ
とです。
八幡様の辺りは絶好の遊び場で、歴代横綱の石碑の裏
にある池で魚にいたずらをしたりと、思い出の多い場所で、
縁日が出る日など地元の木材屋の友達と終日何とはなく
遊び歩いてました。弾正橋のあたりも遊びの守備範囲で
した。川や掘割がまだまだあった時分の話です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/64/7cbfbea5431b60aa1fa3a9e3116c5ee5.jpg)
八幡様の裏側、駐車場から出て正面に数矢小学校を見
て右手へ出ます。するとすぐに目の前に木造の、今や風
情のある、懐かしい匂いのする家屋が並び、それに沿っ
て左側に弾正橋がひっそりと架かっています。その下の
川の水はすでに無く遊歩道となっています。歩行者専用
の橋です、念のため。と言うのも、この橋は一度「廃橋」と
されてしまいました。それを再利用したために幅が2メー
トルの小さな橋となったのです。移設される前は幅9メー
トルほどあり、かつては人力車がが余裕ですれ違える幅
員を持っていたのでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/fb/0a8a91cc5e956c4eebeed70866b0bc3e.jpg)
現在の弾正橋は鍛冶橋通り沿い、首都高速の白魚橋料金所の
すぐそばに架かっています。
弾正橋から元弾正橋、八幡橋へ、古き江戸から平成の
東京へと長く歴史を重ねて来た由緒ある橋は、時代や橋
の形は変わっても今も静かにその姿を見せてくれています。
京橋のあたりには、その昔楓川に架かる弾正橋と呼ば
れる橋がありました。名前の由来は近くに島田弾正の
屋敷があったからだと言われています。
この近くには他に木造の橋もあったのですが、歴史と共
に消えていってしまいました。だが弾正橋だけは生き残
り明治11年になって鉄橋へと生まれ変わります。国産
の鋳鉄と錬鉄を使用した鉄橋の第一号となった橋で、明
治政府の肝いりで造られたから菊の紋章も付いていたの
でした。
ところが悪いことに関東大震災が起きて、その後の復興
に伴い廃橋となってしまうのです。
昭和4年、弾正橋は江東区富岡八幡宮の八幡堀公園に
移設されその名も八幡橋として改められました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/11/4d8786475cc97578c2303481044889bb.jpg)
何十年も前のこと、学校の帰り道に良くあの辺りで遊んだ
から、この橋の存在は知ってはいたけど、こんなに由緒の
ある橋だと意識したのはずっと後のことになってからのこ
とです。
八幡様の辺りは絶好の遊び場で、歴代横綱の石碑の裏
にある池で魚にいたずらをしたりと、思い出の多い場所で、
縁日が出る日など地元の木材屋の友達と終日何とはなく
遊び歩いてました。弾正橋のあたりも遊びの守備範囲で
した。川や掘割がまだまだあった時分の話です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/64/7cbfbea5431b60aa1fa3a9e3116c5ee5.jpg)
八幡様の裏側、駐車場から出て正面に数矢小学校を見
て右手へ出ます。するとすぐに目の前に木造の、今や風
情のある、懐かしい匂いのする家屋が並び、それに沿っ
て左側に弾正橋がひっそりと架かっています。その下の
川の水はすでに無く遊歩道となっています。歩行者専用
の橋です、念のため。と言うのも、この橋は一度「廃橋」と
されてしまいました。それを再利用したために幅が2メー
トルの小さな橋となったのです。移設される前は幅9メー
トルほどあり、かつては人力車がが余裕ですれ違える幅
員を持っていたのでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/fb/0a8a91cc5e956c4eebeed70866b0bc3e.jpg)
現在の弾正橋は鍛冶橋通り沿い、首都高速の白魚橋料金所の
すぐそばに架かっています。
弾正橋から元弾正橋、八幡橋へ、古き江戸から平成の
東京へと長く歴史を重ねて来た由緒ある橋は、時代や橋
の形は変わっても今も静かにその姿を見せてくれています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます