泣ける笑える玉手箱   長崎沙織 

お笑い・ポエムなど
 

(日記) おはようの場所   長崎沙織

2015-03-15 16:01:32 | 日記

姉夫婦が暮らしている

長崎県諫早市に引っ越して

数ヶ月が過ぎた。

 

33年間の東京暮らし。

見上げれば

首が痛くなるほどの高層ビルも

信じられないような人込みも

ズラリと並ぶ華やかなお店も

真夜中でも明るい通りも

懐かしい思い出になった。

 

長崎市の隣りにある諫早市は

静かで清潔。

殆んどの人が車で移動しているので

人通りは少ない。

引越しの後片付けや手続きで

バタバタと過ごした毎日。

せっかくだからと

家具なども少し新しくしたり

カーペットを敷いたり・・

くたびれた夫婦には

落ち着くのに2ヶ月ほどかかった。

歩いて15分程のところに住んでいる姉が

いろいろと世話をしてくれ

あれこれと差し入れもしてくれ

心強く有り難かった。

 

さて・・・・

落ち着いてみると

これからの生活のこと。

 

仕事を始めなければ・・・

資格があるのでなんとかなるだろう・・

と就職先も決めずに

あっさりと帰ってきたものの

65歳という年齢である。

 

偶然とは不思議なものだ。

諫早市で調剤薬局を営んでいる

同級生がいるよ。

と 学生時代の友人が教えてくれた。

名前と顔は知っていたが

一度も話したこともなく

学校をサボってばかりの私の事など

おそらくは 記憶していないだろう。

(どうしようか・・・ハローワークに行ったほうがいいかな・・

 いきなり 電話しても迷惑かも・・・この歳だし・・)

と 迷ったが ドキドキしながら

・・・電話した。

明るい優しい声が聞こえた。

私の友人から話は聞いている・・

一度 お会いしましょう

との返事。嬉しかった。

 

今 その薬局に週4日

パートで働かせてもらっている。

自宅から歩いても行ける距離だ。

事務の女の子たちも

真面目で優しい。よく働く。

若くて ピチピチしている。

あれこれ 失敗しながら

迷惑をかけながら

教えてもらいながら

新しい職場での毎日。

今までの経験が

役に立つこともあれば

役に立たないこともある。

(今まで何をやってきたんだろう・・)

と 反省することもある。

 

それでも 一番嬉しいことは

この街の中に

「おはようございます!」

と言える場所が出来たということだ。

「お疲れ様!」

と言える場所が出来たということだ。

 

どこに暮らしていても

繋がりがなければ

人は寂しい。

 

その場所は

職場でなくても

趣味のサークルでも

小さな居酒屋でも

ファミレスでも

近所の公園でも

駅のホームでも

バス停でも

リハビリのホームでも

 

「おはよう!」

と言える場所があれば

人は 勇気を出して

生きていけるのだろう。

 

「おはよう!」

ただそれだけで

元気をもらい・・・

元気を与える・・・

 

その場所は

心の一歩を踏み出せば

誰もが見つけられる

暖かな空間だ。

 

                 end

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


コメントを下さった皆様 ブログを見て下さった皆様   長崎沙織

2014-12-06 13:52:04 | 日記

 

長い間 ご無沙汰しました~。

コメントを下さった

karinさん!

たいそんさん!

てくっぺさん!

ベルママさん!

つねさん!

ほたるさん!

本当にありがとうございました。

お返事も書かず ごめんなさいね。

そして グログを見て下さっていた皆様

ありがとうございます。

 

8月に 25年間お世話になった

勤務先の調剤薬局の閉店

9月に残務整理・退職

10月に生れ故郷の長崎へ引っ越し

11月は引越しの後片付けと

慌ただしい4ヶ月を過ごし

12月に入って ようやく一段落しました。

 

 

皆さん お元気のことと思います。

時々 スマホを開いて

あ~・・皆さん頑張ってるな~と思いながら

見るだけの日々を過ごしていました。

根っからの 無精者です。ペコリ。

又 ぼちぼちと

ブログを始める予定です。

宜しくお願いします。

                              長崎沙織

 

 

 

 

 

 


(日記)  はるおばさん   長崎沙織

2014-06-27 15:43:13 | 日記

先日

長崎の姉から 電話があった。

「はるおばさんが 亡くなったとよ」

 

はるおばさんは 

父の一番上のお姉さん。

大好きな おばさんだった。

107歳。

8人いた おじさんおばさん達が

みんな いなくなってしまった。

とても 寂しい。 

月日の流れを 切なく感じずにはいられない。 

 

父も母も 亡くなってしまったけれど

はるおばさんが 長生きで元気でいてくれる・・

それだけで 

不思議と心強かった。

 

はるおばさんとの思い出は

若かった自分との思い出に重なる。 

学校の帰りや 買い物の帰り

我が家に向かい

急な石段を登っていく途中に

はるおばさんの家はあった。

おばさんの家で休ませてもらっては

お茶をご馳走になり

時には 美味しいお菓子もご馳走になり

何でもないお喋りをして

「じゃあね~ おばさん」

「又 おいで~」

 

はるおばさんは どんな時も

ニコニコとしていて

怒った顔を見たことがなかった。

私の母は 

喜んだり 怒ったり 

泣いたり 笑ったり

感情をそのままさらけ出す・・・

そんな性格だった。

そして そのいろんな表情が

今では かけがえのない思い出でもある。

 

はるおばさんの思い出は

穏やかな笑顔ばかり。

 

はるおばさんは 若い頃に

大きな悲しみを経験している。

上の二人の息子を

8月9日の原爆で一瞬にして失った。

夫も被爆し 生死をさまよった。

その時のショックは

どれほどのものだっただろう。

まだ生まれていなかった私には

ただ 想像することしか出来ない。

それでも 

心の奥の深い悲しみを隠し

グチをこぼすこともなく

いつも笑顔だった。 

おばさんから

「辛かった・・苦しかった・・」

という話を 一度も聞いたことがない。

生きている・・・それだけで充分・・

そんな思いで 暮らしてきたのだろう。

両親の世話をし 

下宿していた姪っ娘を可愛がり

まるで 柔らかな空気のように

ふんわりとしていた。

 

年末の餅つき大会も

おばさんの家の庭先に

近所の人たちが大集合。

縁側で みんなで餅を丸めた。

大変なことも 何でもないように

サラっとこなしていた。

 

料理も上手で

お正月の煮豆の味は 最高だった。

はるおばさんのお父さん・・・・

私のおじいちゃんは

グラバー邸でコックさんをしていたので

きっと 料理のセンスは

父親ゆずりだったのだろう。

 

私がまだ幼い頃に

父と母が 赤痢にかかり

二人とも同時に入院。

小さかった私たち子供三人は

不安でいっぱいだった。

その時も 自分の息子たちを引き連れ

長い石段を登って

我が家に泊まってくれ

料理・洗濯・掃除 全部引き受けてくれた。

両親のいない心細さに 

私は毎日 おねしょ。

そんな時も いつもニコニコして

黙って 後始末をしてくれた。

怒られた記憶がない。

 

それでも たった一度だけ

おばさんに言われた言葉が

今でも忘れられない。 

 

高校を卒業後

私は地元の大学に合格し

意気揚々と難しそうな本を手に持ち

はるおばさんの家に立ち寄ったとき

おばさんが ポツリと言った。

「勉強が出来ることと

賢いということは 違うよ、

〇〇子ちゃん。」

 

ドキリとした。

 

あれからもう45年以上過ぎたけれど

辛いことや 悲しいことが

降りかかってくるたび

失敗をするたび

はるおばさんの あの言葉が

心に浮かんでくる。

 

その通りだね おばさん。

どんなに教科書を暗記しても

賢くはなれないね。

 

人への思いやりや 優しさを

自分自身で育て

持ち続けることが

賢いことなんだね。

 

生意気な私に足りないものを

おばさんは 

わかってたんだね。

 

その意味が

心にズシンと響くよ。

 

おばさんが

107歳まで生きたのは

原爆で一瞬に亡くしてしまった

二人の息子たちの

生きるはずだった命の分まで

頑張ったんだね。

 

今まで 気付かなかったけど

きっと そうなんだね。

「お前たちの分まで

お母さんは生きてきたよ」

息子たちに

そう伝えたかったんだね。

 

はるおばさんは

親思いの末っ子

みっちゃんのそばで暮らし

孫たちにも恵まれ

幸せな 晩年だっただろう。

ここ数年は 体力も落ち

入院をしていたけど

私の姉が時々見舞いに行くと

「来てくれて ありがとう ありがとう」

と何度も言ってたそうだ。

そして

あの優しい顔で 笑っていたそうだ。

 

はるおばさん・・ 

戦争という辛い日々を乗り越えて

よく生き抜きましたね。

楽しい思い出を ありがとう。

たくさん たくさん ありがとう。

 

あなたの大好きだった弟・・・・

私のお父さんに会ったら

よろしくね。 

                end

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


(日記) 可愛い はとバスガイドさん   長崎沙織

2014-05-01 09:48:16 | 日記

東京に住んで 30年余り。

はとバスに一度は乗ってみようと

友達と一緒に出かけた。


コースは

トワイライトスカイツリー。


午後1時に東京駅を出発。

東京ドームシティホテルでバイキング。

浅草散策。

そして 夕方のスカイツリー展望台。

午後7時に東京駅で解散。


曇り空だったが

なんとか雨も降らず

楽しいはとバスツアーだった。


一番楽しかったのは

はとバスのガイドさんだ。

若くて可愛い女の子だった。


「みなさま・・・本日は・・はとバスをご利用いただき

ありがとうございます・・・

これより・・・・

・・・・・アッ・・・・すみません・・・」

覚えたての説明を必死でおしゃべりするが

途中で どうしても間違える。


「皆様・・左手をご覧ください・・・

アッ! すみません・・右手をご覧ください・・・」


乗客に向って立っているので

左か右か・・混乱してる。


それでも 一生懸命に説明をしてくれるので

乗客も ニコニコ笑いながら

説明を聞いていた。


「みなさま・・・

右手の茶色のビルは・・・

外国人建築家の・・アル・・・アル・・・?

・・・・ええと・・・・・・・・ええと・・・

・・・・・・・・・・(とにかく)

外国人建築家が設計した建物です。」


これには 乗客全員が爆笑してしまった。

建築家の名前が どうしても出てこなかったようだ。


スカイツリーでは

みんな 景色を楽しみ

展望台から降り

よいこらしょっとバスに乗り込んでから

「みなさま・・・このスカイツリーは・・・」

と説明が始まった。


(もしかしたら・・スカイツリーに昇る前の

 説明じゃなかったのかしら・・・?)


トワイライトスカイツリーのツアーなので

帰りのバスは夕暮れ時になる。


ガイドさんは こんな説明を始めた。

「皆様・・そろそろ夕暮れの空には

 星が ひとつ・・ふたつと出てまいりました。」


完全な曇り空。

今にも雨が降り出しそうな灰色の雲。

もちろん 星は一個も出ていない。


それでも かまわず お話は進んでいく。


「皆様・・・ここで一曲・・歌わせていただきます。

 ♪見上げてごらん夜の星を♪

 よろしければ 皆様もご一緒に。」


パチパチパチパチ・・・

乗客が拍手をする。

(ガイドは慣れてないけど

 きっと歌には自信があるのね~)

おそらくは 乗客全員が

そう思っていたに違いない。


カラオケがあるかと思ったら

いきなりのアカペラ。


「♪見~~あ~~げて~~ごらん~@@??♪

夜の~~:@?星を~~♪?」


音程が・・・外れていた。

これは 何とかせねば。

乗客全員が 一緒に歌い始めた。


「僕ら~のように~♪

名もな~い 星が~♪

ささやか~な~♪しあわ~せを~♪ 

祈ってる~~♪」


パチパチパチパチ・・・・

乗客全員が ここで拍手。

終わったあ・・・・と思ったら


バスガイドさんが

「あの~・・最後まで歌わせてください」


全員爆笑。


「♪手をつなご~ 僕と~♪

 ♪追いかけよう~ 夢を~♪

・・・・・・@@?・・・・・・・・♪」


最後まで 立派に歌い切った。

全員 拍手。 


「皆様・・・間もなく

東京駅へと近づいてまいりました。

はとバスの旅 お楽しみ頂けましたでしょうか」


ここで 運転手さんが

何やら バスガイドさんにコソコソと。

(え?・・・・そうなんですか・・)


バスガイドさんが

再び マイクを持った。

「皆様・・・大変申し訳ありません。

 間もなく東京駅と言いましたが

 まだ・・・もう少し・・・先のようです。」


全員 爆笑。


「実は・・・私・・・バスガイドのお仕事

・・今日で二回目なんです。

熊本から上京して

はとバスのガイドになったばかりの

18歳です。

不慣れで 申し訳ありませんでした。

これから 一生懸命頑張って

いつか 皆様と又お会い出来る日があれば

と思っています。」


もう 全員が大拍手である。


家に辿り着いた友だちとの電話。

「浅草も スカイツリーも

良かったけど

やっぱり あのガイドさんが

最高やったね~

今 思い出しても 笑ってしまうよ~」


ツルツルのほっぺを赤くして

東京の街で頑張る

若い若い

はとバスのガイドさん


これから どんどん経験を積んで

素晴らしいバスガイドさんに

なっていくだろう。

それでも 今の素朴さは

なくさないで欲しいな~と思う。

 

思いがけない

楽しい楽しい はとバスツアーだった。

                        end



 













(日記) 老眼と私  長崎沙織

2014-03-20 21:15:31 | 日記

若い頃 視力の良かった私。

 

小説も 教科書も 雑誌も 

何の苦もなく すらすら読めた。

何でも スッキリと見えた。

 

高齢者の仲間入りをした今

仕事中には 老眼鏡が 必需品。

テレビも 少し ぼんやりとするようになった。

細かいゴミも 気にならなくなり

部屋の片付けも・・・気にならなくなった。

 

不便を感じることも多い。

地図に至っては

眼鏡を掛けても 目がチカチカする。

仕事の上でも ワンテンポ遅れてしまう。

処方箋を注意深く見るのに 

時間がかかる。

テキパキとこなせない。

 

それでも

以前より 見えてきたものがある。

それは・・・

人間の弱さと強さ。暖かい心。

ひとりひとりの 人生の深さ。

迷いながら 悩みながら

辿りつくまでの 長い道のり。

 

その瞬間を見るだけだった 若い頃より

表面の印象だけで判断していた あの頃より

視野は 広がった気がする。

 

人間って よく できている。

年を重ねると 視力は落ちるけど

心の視力は

ちょっとだけ 良くなるみたいだ。

                                         end

 

 

 

 

 


(日記) 真央ちゃんと 氷のかけら   長崎沙織

2014-03-05 08:59:16 | 日記

ソチオリンピックで 

真央ちゃんのフリーの演技に

心をふるわせた人たちが

世界中にいる。

 

私も そのひとり。

あの日 夜中に ゴソゴソと起き出し

祈るような気持ちで

テレビのライブ映像を見つめた。

真央ちゃんが リンクに降りて来た時

あまりにドキドキして

(見るのをやめようか・・・

 後で 録画を見ようか・・・

 大丈夫だろうか・・)

娘か孫を見守るような気分だった。

 

ショートプログラムの演技で 

うまくいかなかった真央ちゃん。

真央ちゃんの大ファンの私には

ショートプログラムで

16位スタートという状況は

信じられないものだった。

 (ソチオリンピックに向けて

 滑りを初めから見直すって言ってたけど

  見直さなくても良かったんじゃないの?

  それが プレッシャーになったんじゃないの?

  トリプルアクセルは 大丈夫なの?)

 などと 身勝手な評論をしながら

ショックを受けていた私。

 

(メダルはもう無理だな~・・・

 真央ちゃん 辛いだろうな~・・)

そう思うと フリーの演技も

ショートと同じように

思い通りの演技が出来ず

終わってしまうのでは・・・

悲しい顔で リンクを去るのでは・・

あの笑顔を見れないのでは・・

どうしよう・・・・

そう思いながらも

応援せずにはいられない

不思議な魅力の

真央ちゃんなのだ。

 

リンクの中央

深いブルーの衣装で

フ~っとため息をついて

真央ちゃんの演技が始まった。

(飛んで!飛んで!どうぞ着地して!

 お願い!)

完全に両手を組んでお祈り状態の私。

 

真央ちゃんは・・・軽やかに

トリプルアクセルを飛んだ。

見事に着地した。

(あ・・飛んだ・・・)

心の中のモヤモヤしたものが

す~っと晴れていった。

 

その後の演技は

もう 素晴らしすぎて 

涙が いつの間にか込み上げてくる。

ジャンプが成功するたびに

鳥肌が立ち

とうとう号泣してしまった。

長い間 生きてきて

オリンピックを何度も見てきたが

こんなに涙が溢れたのは

初めてだった。

 

ジャンプがすべて成功し

力強く華麗にステップを踏む真央ちゃん

その顔は 自信に溢れ

輝いていた。

 

ファンといいながら

私には何もわかっていなかった

真央ちゃんが本当にやりたかったこと・・ 

真央ちゃんにしか出来なかったこと・・

 

その答えがすべて

フリーの演技に凝縮されていた。

 

演技に引き込まれながら

私はいつの間にか

真央ちゃんのこれまでの苦難の道に

自分自身の人生まで

重ね合わせてしまっていたようだ。

 

(失敗もあった 後悔もあった

 孤独な日々もあった

 明日が見えない日々もあった

 でも大丈夫・・・大丈夫

 何とかここまでやってこれた

 私も まだ 頑張れる・・・

 いいことだって きっとある・・

 真央ちゃん ありがとう・・

 真央ちゃん ありがとう・・)

 

演技のあと

真央ちゃんが見せた涙と笑顔は

本当に美しかった。

真夜中というのに

滲んで見えるテレビの前で

「真央ちゃ~ん!よかったよ~!」

と叫びながら 泣きながら

拍手をしていた。

 

演技の途中で

ふと気がついたことがある。

スピンのとき・・・・・・

クルクルと優雅に回る

真央ちゃんのスケート靴の足元から

ス~っと ひとかけらの氷が

なめらかに 滑っていったのだ。

 

ほんの一瞬の出来事。

 

その氷のかけらに見守られるように

真央ちゃんは

最後まで 最高の演技を見せてくれた。

 

あの氷のかけらは

スケートの女神だったのだろうか。

それとも・・・

真央ちゃんを愛してやまなかった

ママの想いだったのだろうか。

きっと・・・・

すべての願いを込めて

フィギュアスケートの天使が

舞い降りてきたのだろう。

 

最後の最後で

私たちに

とてつもない感動を与えてくれた

真央ちゃん。

 

ニュースやドキュメントで

真央ちゃんのフリーの演技が

テレビに映し出されるとき

スピンのところで

真央ちゃんに寄り添うように

滑っていくその氷のかけらを見るたびに

なぜだか又 涙が溢れてしまう。

 

真央ちゃん ありがとう。

お疲れ様。

                         end

                          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


(日記) テストジャンパー   長崎沙織

2014-02-17 16:13:47 | 日記

冬季オリンピック・・・・

4年に一度の祭典。

 

先日 テレビで

スキージャンプ競技のテストジャンパーの

ドキュメントをやっていた。

 

16年前。 長野オリンピック。

団体ジャンプで日本は金メダルを獲得した。

日本中が興奮したものだ。

 

猛吹雪だったあのジャンプ台。

一回目のジャンプを終えて

日本は4位。

このまま 吹雪が続けば

2回目のジャンプは中止になり

1回目の成績がそのまま メダルの色になる。

危険と隣り合わせのジャンプ競技。

悪天候では 

転倒や怪我のリスクが大きくなる。

 

2回目のジャンプは 協議の結果

代表選手が飛ぶ前に

テストジャンパーと呼ばれる人たちが

吹雪の中 何度も飛んで

安全を確認するという役目を担うことになった。

彼らは もちろん

オリンピックを目指してきた選手たちだ。

怪我や成績不振・・・さまざまな理由で

長野オリンピックの代表選手として

舞台に立つことが出来なかった選手たち。

テストジャンパーに甘んじる悔しさを

全員が噛みしめていたことだろう。

 

そんな彼らが 長野のメダルの色を左右する

大切なジャンプをすることとなる。

 

もしも 失速して遠くに飛べなかったり

着地で転倒が続けば

悪天候のため

試合続行は無理と判断されてしまう。

金メダルという夢が散ってしまう。

自国開催のオリンピック。

国民の期待も大きい。

メダルの色がかかった大事な局面で

テストジャンパーの人たちの責任と重圧は

どれほどだっただろう。

 

何人ものテストジャンパーが 

時間を空けず 次々と飛んで

ジャンプ台の雪を固めていく。

降り積もる雪の中

代表選手が 飛びやすいように・・

そして 2回目のジャンプが

無事スタート出来るように・・・

とにかく 失敗は出来ない。

みんな 必死で踏ん張っている。

・・・・・

吹雪の中

最後に飛んだテストジャンパーは・・

あの リレハンメルオリンピックで

あと一歩のところで

惜しくも金メダルを逃した

団体代表選手の一人だった。

 

長野オリンピック代表から外れた悔しさを封印し

彼は・・・・高い美しい見事なジャンプ

そして・・・・きれいな着地。

この天候でも 大丈夫! 

そう思わせてしまう

迫力あるジャンプだった。

それは 一人の日本人として

トップジャンパーとしての熱い思いが

彼を導いたのだろう。

 

奇跡的に

試合再開・・・・・。

 

2回目のジャンプで

日本代表選手達は

素晴らしいジャンプを次々と決め

団体ジャンプ金メダルを獲得した。

 

あの時の感動は

今も鮮烈に覚えている。

 

それでも 16年間

テストジャンパーの人たちが

乗り越えた 悔しさ・・・

辿り着いた 清々しさ・・・

代表選手たちにオリンピックへの思いを託した

熱い情熱と心の広さ・・・

何一つ知らずに過ごしてきた自分が

少し 恥ずかしくもある。

オリンピックのメダルは

たくさんの人たちの

ひたむきな情熱で生まれるものなのだ。

 

テストジャンパー・・・

それは

苦労しながら 黙々と ひたすらに

愛情というスキー板で

子供たちの人生の道しるべを作ってくれた

父や母に似ている気がする。

                     end

 

 

 

 

 

 

 

 

 


(日記) 節分の思い出

2014-02-03 21:40:42 | 日記

節分。

小さい頃 楽しみな我が家の行事だった。

今のように 恵方巻きなどという風習はなかったが

豆まきは 一大イベントだった。

 

夜になると

一家5人が

古い六畳間の座敷に集結する。

父が 1升マスを抱えている。

まずは

母の掛け声が響き渡る。

「よかね~ 今から豆ばまくよ~」 

母が部屋の電気を消す。

真っ暗になる。

闇夜である。

父が 1升マスに入った豆をまきはじめる。

「鬼は~外~!!福は~内~~!!」

「ワ~ッ!!」

暗がりの中で

姉と兄と私が手探りで拾い集める。

時にはぶつかり合いながら。

我れ先にと

ザラザラした古い畳の上を両手が動く。

 

理由は 簡単だ。

我が家の豆まきには・・・・

なんと! 紙に包まれた5円玉が混じっていたのだ!

綺麗な包装紙のキャラメルも混じっていたのだ!

おそらくは 

賭け事が好きだった母のアイディアだろう。

当時の5円玉は

駄菓子屋さんで美味しいお菓子も買えた。

ちょっとしたお小遣いである。

もう 必死である。

豆どころではない。

たたみを這うようにして

子供三人が

お金を指先で探し

キャラメルをつかみ

時々・・・豆をつかむ。

「鬼は~ 外~!! 福は~~ 内~~!!」

父の声が何回か響き渡ると

豆まきは終了となる。

そして

点灯!!!

明るくなった 畳の上に残る・・・

5円玉の包みと キャラメル・・・と

主役の豆。

「ワ~~ッ!まだ残っとる~~!」

豆どころではない。

この時 最も素早かったのは・・

もちろん 末っ子の私である。

集めた5円玉とキャラメルを数え

優しい姉と のん気な兄より

(勝った~~!)と喜びに浸ったものだ。

 

父と母が

そんな子供たちをながめて

ニコニコ笑っていた。

 

あの頃・・・・

父と母の一番幸せな頃だったかもしれない。

子供たちが 元気で

父も母もまだ若く

豆まきの日を

5人揃って過ごしたあの頃・・・

遠い遠い記憶だ。

 

節分の日。

少し擦り切れた

古いタタミの感触が

手のひらに よみがえる。

                      end

 

 

 

 

 

 

 


(日記) あきらめないこと あきらめること

2013-12-04 22:11:08 | 日記

若い頃

あきらめないことが

人生のベストだと思っていた。

勉強も 仕事も 恋愛も・・・

頑張れば 手に入るものだと

思っていた。

 

時が流れ

老いを感じる歳になり

振り返って

今 思うのは

人には

あきらめない 強さと

そして

あきらめる いさぎよさも

大切なのだということ。

 

あきらめない強さは

努力によって育まれる。

 

あきらめる いさぎよさは

受け入れることで育まれる。

 

あきらめることは

決して マイナスばかりでなく

今を受け止めて

明日への 新しい生き方を

見つけられる・・

そんな時もある。

 

誰かを許せる・・

そんな時もある。

 

あきらめないこと・・

あきらめること・・・

どちらにも

大切な想いが詰まっている。

葛藤と涙と笑い・・・

その繰り返しで

人は 

優しさを身につけていくのだろう。

              end

 

 

 

 


(日記) おさみちゃん   長崎沙織

2013-07-11 23:59:53 | 日記

毎週 土曜日になると

思い出す患者さんがいる。

 

おさみちゃん。

薬局のすぐ近くのお風呂屋さんで 

ボイラーの仕事をしていた

70代半ばの おじちゃんだ。

 

土曜日はそのお風呂屋さんの定休日。

おさみちゃんは

金曜日の夜には

すっかりリラックスして

たっぷりのお酒を飲み

翌日のお昼近くまで熟睡し

土曜日午前中診療のクリニックに

慌てて滑り込み

慌てて薬局に薬を取りに来た。

 

「おさみちゃん

もう少し早く行かないと

先生のところ閉まってしまうよ。

土曜日は午前中で診察終わりだからね」

お薬切れると大変よ」

 

おさみちゃんは

ニコニコ笑いながら

「そうなんだよ

この薬ないと

血圧が上がって倒れちまうから~」

 

おさみちゃんは

数をかぞえるのが不得意だった。

水曜日くらいになると

お薬を持って薬局にやってきた。

 

お風呂場の掃除や

ボイラー室の熱気で

汗だくのおさみちゃん。

 

「薬 見てもらえるかな~。

土曜日まで足りるかな~」

 

「おさみちゃん 大丈夫よ。

あと4つ残ってるから

土曜日の朝まであるよ。

安心してね。」

 

「よかった~。

ありがとう~!

俺 倒れると大変だから~」

 

おさみちゃんは

土曜日 お薬をもらいに来るとき

必ず 缶コーヒーを買って

持ってきてくれた。

 

「飲んでくれよ。

のどが渇いただろ?

いつも世話になってるから」

 

そのおさみちゃんが

ある日 

「八王子って遠いのかな?」

と聞いてきた。

 

「八王子は ここからはちょっと遠いかな~。」

 

「俺ね 八王子に引っ越すんだよ。」

 

「え~~っ? いつ?」

 

「ええとね・・来月」

 

それから しばらくして

お風呂屋さんの娘さんが

おさみちゃんと一緒にやってきた。

 

長い間 お世話になりました。

おさみちゃんは 明日から

八王子のホームに入居することになったのよ。

いままで いろいろありがとう。

それでね

親しくしてもらってたご近所の方々と

おさみちゃんと一緒に

写真を撮らせてもらってるの。

いいかしら?」 

 

おさみちゃんと肩を並べて

記念写真。

「おさみちゃん 笑って!」

お風呂屋の娘さんが声をかける。

「ハイ!チーズ!」

 

「おさみちゃん 元気でね。

いつもコーヒーありがとう!!」

 

「お世話になりました・・」

 

おさみちゃんは

少し淋しそうだった。

 

数日後

お風呂屋さんの娘さんが

薬局にみえた。

 

「おさみちゃん

 無事に入居しました。

 もうね・・涙が止まらなかったわ・・」

 

おさみちゃんは

身寄りもなく

お風呂屋さんの先代のご主人が

敷地内に住まわせ

それから数十年間 

食事や生活も一緒にしてきたそうだ。

 

先代のご主人も亡くなられ

一人で切り盛りしていた娘さんも

去年体調を崩し入院されたこともあり

料理もやったことがなく

体力的にも仕事をこなすのが厳しくなって

一人ぼっちで留守番をしている

おさみちゃんを思うと

このままでは・・・

と思い悩んだそうである。

 

「やっと決心をして

いろいろ探してね

おさみちゃんが ゆっくりと暮らしていける

いいホームが見つかったのよ。

皆さんと一緒に仲良くやっていけるか

心配だったけど

食事ですよ~って呼ばれたら

もうね 誰かとお喋りしながら

食堂に行っていたのを見て

すこし 安心したわ。」

そう言って

おさみちゃんの部屋の写真を

携帯で見せてくれた。

小ぎれいな部屋。大きなテレビ。

おさみちゃんが

ベッドの上にチョコンと腰掛けて笑っている。

 

「それからね

ほら この間 近所の皆さんたちと一緒に

あちこちで撮らせてもらった写真ね

部屋の壁にたくさん 貼り付けてきたのよ。

この街は おさみちゃんの思い出の場所だからね。

いつでも 思い出せるようにね・・・・・」

ポロポロと

娘さんの目から涙がこぼれ落ちた。

 

「おさみちゃんがホームに慣れるまではね

会いに来ないでくださいって言われたのよ。

だから おさみちゃんの好きな煎餅

山ほど置いてきたわ」

 

土曜日になると

おさみちゃんを思い出す。

 

冷たい缶コーヒーを抱えてやってくる

おさみちゃんを思い出す。

 

                     end

 

        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


(日記) 旧友   長崎沙織

2013-06-23 01:19:27 | 日記

母が亡くなって

一年が過ぎた。

家族だけのささやかな一周忌を

長崎で行うことになり

ゴールデンウイークに帰省した。

 

数十年ぶりに電話をして

地元の友だちと会うことになった。

大学時代のたった一人の

友人である。

 

長崎駅で待ち合わせをして

喫茶店でお喋り。

彼女は 相変わらず上品で控えめ。

ベラベラと大声で興奮気味に話す私に

圧倒されたようだ(笑)

 

卒業してから42年。

月日の流れは早い。

 

薬学部に入った私は

勉強に全くついていけず

家でゴロゴロとしてばかり。

追試・再試は当たり前。

実験もよくさぼった。

当然 誰とも親しくなることもなく

孤独な4年間。

同じ高校出身の彼女だけが

唯一の友だちでいてくれた。

 

二人一組の実験のときには

困ったパートナーが

「あの人はどうしたのかしら?

実験が出来ないのよね・・」

と 私のことを彼女に訴えたらしい。

当時 電話もなかった時代。

彼女は 

長い石段を登って我が家に

呼びにきてくれた。

汗だくになりながら

怒りもせず

「あのね 実験相手がいないって

困ってるみたいよ。来たほうがよかよ。」

「あら・・・ごめんね。」

 

今思えば

なんという図太い神経だろう。

それでも

見捨てずにいてくれた彼女は凄い。

 

そんな思い出話をしながら

久しぶりに

稲佐山に登ってみようということになった。

頂上付近までバスで行き

つつじの咲き乱れる石段を登って

展望台から

美しい港街の風景を眺めた。

 

 

「ほら あそこの大きな屋根の建物。

母がね 最後はあの施設にいたとよ。

三ヶ月で亡くなったけど・・」

 

彼女が指差す先に

春の日差しに包まれた

青い屋根の建物が見えた。

 

彼女のお母さんは

おととし 亡くなった。

喪中のはがきで

それを知った。

  

久しぶりに会った彼女から

お父さんが倒れてからの看病のこと・・・

仕事をやめて

認知症のお母さんのお世話をしたこと・・

お母さんを見送り

今は一人暮らし

パートで

調剤薬局で働いていること・・・

そんな話を聞きながら

お互いに両親がいなくなり

自分自身の老いと

向き合う年齢になっているのだと

しみじみ感じた。

 

稲佐山からの帰りのバスの中で

二人で話したこと。

 

当たり前のように

あの時代に大学まで行かせてもらった

両親に感謝。

それを気づかなかった

あの頃の

自分たちの甘さ。

社会に出て初めて知った

さまざまな人生。

 

恵まれたことに感謝してこそ

人は幸せを感じる・・

 

そして 独身の彼女の言葉が

とても 心に残っている。

「今までずっと

親と一緒に暮らしてこれて

ほんとによかった・・・と思う。」

 

人には言えない

葛藤や寂しさもあっただろう。

怒りも悲しみもあっただろう。

それでも

振り返ったとき

そんな風にサラリと言える

心優しい彼女と過ごせたご両親は

本当に幸せだっただろう。

 

「又 会おうね。

退屈なときは電話してね。

もう少し お互いに

頑張ろうね。」

 

もう少し・・・

明日に向かって・・

歩いていこうね・・・

あなたも わたしも・・・

 

懐かしい彼女との再会は

二人の青春時代との

再会でもあった。

                end

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


(日記) 困った?母の思い出   長崎沙織

2013-02-21 21:15:27 | 日記

長崎に住む姉と

電話で話をしていたら

「そういえばね

お母さんね・・・・」

困った? 母の思い出話になった。

 

数十年も前のことらしい。

私はもう家を出ていて

全く知らなかった話。

 

ある日 母が

デパートの食品売り場で

春巻きを買ったそうだ。

食いしん坊の母は

いそいそと持ち帰り

食べてみたら

しばらくして

おなかが痛くなったそうだ。

これは おかしい!

そう思った母は

早速 デパートへ電話。

「そちらで今日買った春巻きだけど

 さっき 食べたら

 急におなかが痛くなって大変だった。

 おみやげにと思って

 近所の兄夫婦にもあげたら

 兄もおなかの具合が悪くなってしまった。

 どうしてくれる?!」

デパートの担当の人は恐縮し

 「すぐに そちらに伺います!

 申し訳ありませんでした!

 お兄様のお宅にも

 是非伺ってお詫びしたいです!」

 

母は 困ったらしい。

おなかが痛くなったのを

おおげさに訴えるために

兄夫婦のところまで

話を広げてしまったからだ。

 

デパートの帰りに

兄夫婦の家に立ち寄ったが

ちょうどその時 留守で

実際には あげてもいないし

もちろん

食べてもいなかったそうだ。

 

デパートの人が

訪ねてくる・・・・

しかも 兄夫婦の家まで・・・

今更 嘘とは言えない・・・

困った・・・・・

母は 慌てて

兄の家まで石段を降りていったが

やはり 留守。

・・・・おそらくは・・・

駅前のパチンコ屋さんにでも

行っているのでは・・・

・・・・・

さらに石段を駆け下りて

パチンコ屋さんに入ると

いた~!!らしい。

「兄さん! とにかくね

すぐにパチンコをやめて

家に帰ってよ!」

「今 ちょうど 出てるとこなのに

なんで 止めんといかんとね!

 ほら~ 玉もいっぱいあるとに!」

「とにかく 家に帰ってもらわんと

 困るとよ!!諸事情があるけん!」

わけもわからず

パチンコ屋さんから

自分の家に連れ戻され

その上

布団まで用意され

横たわることとなった母の兄。

(私にとっては おじさんである)

「とにかくね

デパートの人が来たら

ハイハイって返事ばしとってよ!

いろいろ喋ったらいかんよ!」

 

母は それから

慌てて石段を駆け上がり

家に戻り

布団を敷いて横たわり

一息ついた頃に

デパートの人が訪ねてきたそうである。

 

「ほんとにね

危機一髪やった~!!

兄さんのところにも寄ったらしかよ~。

間に合ってよかった~~!

 

おなかの具合が悪くなったのは

本当らしいが

兄夫婦も・・・などという尾ひれは

デパートの人にとっては

とんだ迷惑な話である。

 

姉が 電話の向こうで

「今の時代なら お母さん

詐欺罪に引っかかるかもしれんね。

困った人やったね~

でも おもしろか人やったね~

恥ずかしい話まで

笑い話にしてしまうけんね~」

 

おなかが痛いのも忘れて

自分のついた嘘に振り回され

焦って石段を上り下りしていたであろう

元気な母を思い浮かべる。

その頃の母に

もう一度会ってみたいなと思う。

                     end

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


(日記) おせち    長崎沙織

2012-12-31 22:53:43 | 日記

おせちは

母の香りがする

 

お正月の一週間も前から

何度も

石段を昇り降りして

昆布

寒天

高野豆腐・・・・

いろんな買い物をして

楽しそうに

準備をしていた母

 

忙しく動き回る母の

背中の向こうに

椎茸の香りが

プ~ンと立ちこめ

 

それが

お正月前の

わくわくする香りでもあった

 

もう 長い間

母のおせちは食べていない

 

それでも

母が生きていた去年までは

遠く離れていても 

おせちは

お正月の定番料理

ただ それだけだったのに

 

母が亡くなった今年・・・

 

スーパーに並ぶ

おせちの材料を見て

生まれて初めて

わけもなく

涙がこぼれた

 

元気だった頃の母が

そこにいた

 

母の家族への愛を

感じずにはいられなかった

 

おせちは

暖かな家族の香り

今 しみじみ思う

 

おせちを囲んで

家族が集まる

親戚が集まる

友達が集まる

 

遠くから

近くから

 

食材の豊富な

現代でも 

おせちには

不思議な

力がある。

 

新しい年を

家族が 親戚が 友達が

元気で迎えられるように 

 

そんな

日本中の母親の願いが

日本中の女性たちの想いが

おせちには

込められている気がする

 

働く女性も増えている

身体が弱って

手作りが出来なくなった人だっている

 

スーパーやデパートで買った

おせちだってかまわないのだ。

 

それを囲む家族や友達の笑顔が

ほんとうの

おせちの美味しさなのだから・・・

 

 

今年も暮れていきます。

こうして無事に

一年を過ごせたことに感謝。

この拙いブログを訪問してくださった

皆様に感謝。

暖かなコメントに感謝。

新しくお友達になってくださった方々に感謝。

 

どうか 皆様にとって

2013年が

素敵な一年でありますように。

笑顔がたくさんの一年でありますように。

元気な一年でありますように。

 

来年も よろしくお願いします。

ありがとうございました。

       

                           長崎沙織&トメ。

                         

 

 

 

 

 

 


(日記) 老いること・・・  長崎沙織

2012-11-30 22:25:44 | 日記

 

「私ね・・・・元気だったのよ。

  ずっと・・・。

 自分がこんなになるなんて 

 思わなかったわ。」

 

高齢の患者さんが

薬局の椅子に座って

つぶやく。

 

膝が痛くなり

腰が曲がり

外出するのも

おっくうになり

一日中

誰ともしゃべらないのよ・・

 

それでも

昔の話になると

顔の表情は イキイキとして

子供たちを自転車に乗せて

急な坂道だって登っていた・・

お友達と

あちこちに旅行をした・・・

そんな話をしてるときに

ふと 若い頃の彼女の

楽しそうな笑顔が

目に浮かんでくる。 

 

思い出話をする彼女は

愛らしい少女のようだ。

 

歩くこと

食べること

笑うこと

泣くこと

悔しがること

お喋りすること

見ること

聞くこと

 

日常のなんでもない出来事・・

 

老いることは

その力が

少しずつ

少しずつ

弱くなって

 

戻れない

若かりしあの時代を

思い起こせば

辛くなる日もある

 

「わたしね・・元気だったのよ。

 ずっと・・・。」

 

ああ・・

私にも そんな日が来るだろう。

そんなに遠くない日に・・

 

あんなに元気だった母が

寝たきりになったように・・

 

誰にでもいつかは訪れる・・

老いという切なさ

 

歳を重ねるたびに

老いることへの不安は

つのっていく

 

人生は

たった一度きり・・

後戻りは出来ない

 

歩けるときに 歩き

食べたいときに 食べ

笑いたいときに 笑い

泣きたいときに 泣き

悔しいときに 悔しがり

会いたいときに 会い

お喋りしたいときに お喋りをし

見たいときに 見て

聞きたいときに 聞く

 

それが大切なことなのだろう

 

いつかきっと私も 

誰かに 話すのかもしれない

「私ね・・・ 元気だったのよ。

 ずっと・・・・」

 遠い日々を思い出しながら・・・

 

どんなに老いても

人は

感じる力はなくさない

 

今を 見ていなくても

遠い過去に

さまよっていても

 

感じる力は

みんな持っている

 

老いることは

たくさんの出会いと

たくさんの偶然と

たくさんの奇跡に支えられ

そして  時には

人知れず涙を流しながら

長い道のりを

歩いてきたしるし・・

誇らしい

愛しい

自分の歴史なのだ

 

 老いること・・・

それは

自然の営み


逆らわず

受け入れることで

肩の力が抜ける


老いてこそ 見える

心の世界


老いてこそ 聞こえる

心のメロディ

 

老いてこそ 感じる

人の優しさ


老いてこそ わかる

人の痛み

 

老いを感じるまで

生きてこれたことは

ほんとうに

幸運なのだ

 

夢半ばにして

逝ってしまった人たちもいるのだ・・・


まだまだ

知らないことだって

あるはず

 

学べることだって

あるはず

 

幾つになっても

新しい発見は

嬉しいもの

 

だから

小さなワクワクを探して

又・・・

ゆっくり歩いていこう

              end