西呑屋おかみ日記

思いついたことを、思いついたときに。とある祭でURLを撒いてしまったので、今後は羊毛作品の記事もアップします。

私は5億円が欲しい

2007-04-29 | Weblog
この前、もうすぐなくなってしまう運命の、とても素敵な庭を見た。庭といっても、もう何年も人の手の入っていない、植物たちの楽園。なんとまあ、いきいきとのびのびと、枝を伸ばし、葉を繁らせて。かつて所有者が茶室を建て、そこへと客をいざなうように配した樹木は、うち捨てられてなおその役割を忘れず、全体に秩序があって、人間を拒絶しない。そこに入ったのは初めてだったけれど、私はその庭がとても好きになった。
代替わりした所有者が手放したその土地は、効率よく売るために、近々更地にされるそうだ。いずれはペランとした今風の住宅が建ち並び、弱々しくてお行儀のいい若木が嘘臭く植えられるのだろう。何年もの歳月を経て枝振りよく育った木々を、惜しげもなく切り倒したそのあとに。

分けてほしいなんて思わない。中に入れてもらえなくても結構だ。どこかのお金持ちがしっかり守ってくれていたなら、それで充分だったのに。こんなふうに、いくつもの美しいものが、この国では日々消えていくんだろうな。残念で仕方がない。あああ、なんとかならないものなのか。

というわけで、早急に、5億円が必要になりました。
……宝くじ1等当たっても足りないねえ。

ハシゴといったらやっぱり酒

2007-04-28 | Weblog
今日は寒いしぃ~天気も悪いしぃ~と鬱々とした気分で午前中を過ごし、昼過ぎ、家を離れてみれば、外はポカポカ陽気でしかも青空。ガッテム。紗幕の繭の中で暮らしていると、こういうことがしょっちゅう起こる。ところが電車が到着した東京の空は、どんより曇りでいまにも泣きださんばかり。なんだかもう、やっぱりガッテムなんである。

ポレポレ東中野まで出張って『胡同愛歌』を観る。原題が『看車人的七月』(←直訳すれば「駐車場案内人の七月」)で、以前に中国映画祭でかかったときの仮の邦題は『父さんの長い七月』だったらしい。まったく、胡同(フートン/北京の昔ながらの路地、横町)とつければ私のようなのが大量に(?)釣れると思いやがって。しかも、この物語は「愛歌」というより、ひたすら「哀歌」だ。不器用で言葉足らずな父と息子の、歯がゆいほどにままならない人生。そして別れ。
若さも苦さも、意地も怒りも悲しみも、まるでスピードに託すみたいに少年の自転車は走る走る。大通りを疾走し、ブレーキも踏まずに路地を切り裂く。幾度となく出てくる食卓の風景も、言葉以上に鮮やかに父子の心情を描き出して印象的。そして、近代化が進む北京の片隅、ノスタルジックな空気をいまに残す胡同の、木々の緑と降り注ぐ木漏れ日と。
惜しむらくは、あまりにしまりのない息子の口。先日やったばかりの呼吸法の取材のせいもあり「ああ、この役者は鼻呼吸ができてない」と、やたらと気になり興を削がれた(演技だったらゴメンナサイ)。
あとね、やっぱりやるせなさすぎ。

映画館を出たら、既に雨も上がっていてラッキー。アヤシキダ夫妻と待ち合わせ、中野の路地にあるホルモン焼き屋へ。夫妻(とくに夫)の酒のペースは早く、焼酎の梅酒割りなんてジャンクな酒がほいほい空になる様は圧巻。最近の私は己を知っているので(本当です)、自分のペースでちびちびと。レバーやら子袋やらの刺身から攻めに攻め、焼物はもちろんシメのご飯ものまで頼んだのに、何故か続いて近くの炉端焼き屋になだれ込む。みんな気がすこーし大きくなっていて、伊勢エビなんか焼いてもらったりしてプチ豪遊。ここでやめておけば平和だったのに(実際アヤシキダ夫の記憶はここまでしかないらしい)新宿へ移動し、夫妻のいきつけの居酒屋へ。18時前には飲み始めていたせいもあり、結局3軒のハシゴ酒と相成った。
まずいことに家に腕時計を忘れ、携帯電話の充電も切らした私。アヤシキダ夫が終電の時間を調べてくれるも、既に酔いどれのため要領を得ない。そうこうしているうちに、僅差で終電を逃してしまう。大丈夫大丈夫、まだ私には磯子回りという手があるのです。あるじも会社の飲み会だし、そんなに差がつくこともなく帰宅できるはず。
ところが、こんな日に限ってJRは遅れ、電話しようにも携帯電話はただの銀色の塊。ようやく着いた磯子から、タクシーに飛び乗って帰宅。慌てて家の鍵を開けるが、部屋は真っ暗、あるじの姿はなし。
??? いったい何が起こったの? 慌てて携帯を電源につないでみたら、幾度もの着信、何通ものメール。どうやら鍵を忘れたらしい。「Mr.WOOD BAR」で、めそめそ待っているらしい。「おーいおーい 早く帰ってきーてー」の文字が労しい。ごめんなさいよ、おまえさん!!! たいして酔っぱらってもいないのに、こんなことになっちまって。
それにしても、あのとき「泊まっていったら?」の誘いを断っていなかったら、どうなっていたことやら。あな恐ろしや恐ろしや。

ハシゴといっても酒ではない

2007-04-27 | Weblog
GW前の綱渡り仕事から漸う解放されたので、街に出て映画を観ることに。「気づいたその日が公開最終日」という2本を渋谷でハシゴ。

まずは『NARA:奈良美智との旅の記録』をライズXで。どこまでも孤独な作業だった画作が人との交わりで変化する様を、寄り添うように記録した、親密な空気にあふれたドキュメンタリ。奇跡のように美しいシーンがたくさんあった。
彼の、会場内に小屋を仕立てての展覧会は本当に楽しい。秘密を共有するようなワクワクと、決してうち解けられない寂しさが交錯する。いまにして思えば2003年、大阪・中之島で観た『S.M.L.』展が、grafとの初めての共同作業だったのか。2005年の横浜トリエンナーレも観たのになあ。なんで去年、無理をしてでも弘前(吉井酒造煉瓦倉庫で3ヵ月行なわれた『AtoZ』展)に行かなかったのかと後悔しきり。あんな小屋が26個も建ったなんて!
絵柄がキャラクタ的に売れて誤解されているフシもあるが、映画を観ると改めて、真性のアーティストなのだと得心する。小屋をつくるgrafもスバラシイ。ひとつのモノをともにつくり上げる仲間という、強固なつながりにもシビレマシタ。

続いてはユーロスペースに移動し、某所で話題になっているドイツ映画『素粒子』を。観られる私が観ないでどーする!とばかり。
幼くして母に捨てられた異父兄弟が、がんじがらめに縛られ やがて(諸手をあげてバンザイとはとてもいえない状態で)解放される、両極端な性(と生)の物語。この抉られるようなイタさときたら! 私が求める“映画的快楽”とは無縁だったけど満足した。

話は変わるが、行きに真心ブラザーズの桜井秀俊らしき人(←確信もてず)とすれ違い、帰り道では作家の柳 美里(←こちらは確実)と遭遇(敬称略)。渋谷ってなァ有名人が普通に歩いてる街なんだな~と、オノボリさん気分になった一日。


追記)あとで見たら『NARA:奈良美智との旅の記録』は、シネ・ラ・セットに劇場を移して公開中でした。~5月25日。

脳みそにドリル

2007-04-10 | Weblog
こんなに住人に負担を強いるものだったのか、大規模補修工事。
ベランダの荷物を室内に移す必要があるとかで、部屋中が物置みたいになっているのはまだ許容範囲。日光不足で、プランターのローズマリーが細っていくのも仕方ない。この春のいい陽気にカーテン閉切りなのも辛うじて耐えられる。洗濯物が、夜と日曜しか基本的に干せないのも我慢してみせよう。
しかし、この音は。この音だけは。

初期、廊下のコンクリ(?)を剥がす段階でもガリガリ酷かった音。一段落したと思ったら、いまは何の作業なのかドリル、ドリル、ドリル音。それも右から左から、上から、ダブルでトリプルで襲ってくる。脳に直接攻撃を受けているかのようだ。仕事にならない。なのに容赦なく迫る締切り。
昨日はPC抱えて近所のファミレスに逃げてみた。ところが、隣のテーブルの女子の大声でのお喋りを聞きながらの原稿書きは、輪を掛けて無理だと判明。早々に諦める。昼に受けるダメージのせいか、夜は眠気に勝てない。集中力もまったくない。もうダメだ。

イントレと白い紗幕に覆われた、まるで繭の中にいるようなマンションで、いろんな我慢が重なって、知らず知らずのうちに膨れあがるストレス。日々ホワイトボードに書かれる工事責任者のメッセージは相変わらずフレンドリーで、それに対して「バカにしているのか!」と怒る人も出てきて、全体が何となくピリピリしている。友好的に仕事を進めたい彼の思いはわかるけど、この場合はうまくないな。事務的に書いてくれたほうが、たぶん誰の神経にも障らないのに。

心に余裕がありません。工事が終わる6月末まで、もつかしら。
……日記も滞ろうってものです。←言い訳。



ふかふか

2007-04-07 | Weblog
先月打ち直しに出してた布団が戻ってきた。
転居前にやってもらってから3年半。少し早すぎるかなとは思ったけど、耐えられないほど煎餅化していたのだ。なぜか若干少なめだったという敷き布団の綿も足してもらい、厚みを増した布団は ふかふか で幸せ。
この ふかふか が長もちするように、頻繁に干すぞ。と、思ったら。
ダメじゃん、6月末までほとんど日光の差さないわが家。
失敗した。今やることじゃなかったかも。