goo blog サービス終了のお知らせ 

日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

『すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる』    ① 『四月は君の嘘 』 を観ながら。

2015年02月20日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

今日はまるで違うジャンルのお話を

政治や社会のお話に興味がお有りの方はお時間の無駄ですから

スルーしてください。

またアニメがお好きな方はネタバレが含まれるので

読まないでくさい。

名作はマッサラな状態で観て欲しいので。

それでも暇つぶしをしたい方は読んでみて下さい。

 

フジのノイタミナ枠のアニメ『四月は君の嘘』が佳境を迎えようとしている。

私はこのブログに『アニメはいつか世界文化遺産になるか』という記事に書いたとうり

子供の頃からのアニメファンである。

 

鉄腕アトムからはじまり、ジャングル大帝、ディズニー、巨人の星や、あしたのジョー、

もう昭和の熱のあるアニメを子供の頃ライブで観てどはまりした世代だ。

 

大人になりアニメから一旦はなれたが、

子供の誕生と共にまた見始めて、子供の成長とともに深夜アニメにもはまり

以来もうこれは死ぬまでアニメを見てゆく勢いだ。

 

そんな中前期と今期の2クールで放映している

『四月は君の嘘』は音楽を題材とした漫画を原作にしたアニメで

私は原作漫画は読んでいないので

このアニメを毎回楽しませて頂いている。

 

簡単なあらすじは

14才の音の聞こえなくなった天才ピアニストの少年が

同じ歳で型破りのバイオリニストの少女に出会った事で

自身の音と音楽を取り戻してゆくというストーリーだ。

 

14才の少年と少女たちの瑞々しい会話や詩的なモノローグが

合わない人にはお薦めしないですが、

私はそういうベタな中二的な表現はどちらかと言うと好きな方なので、

(正直に言えば自分がそういうポエムチックな中二病全開の中学生だったので)

気恥ずかしい気持ちを感じつつ当時の事を思い楽しませてもらっている。

 

「すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる。」

 

19世紀のイギリスの文学者ウォルターペーターの著作の中での言葉ですが

私は歳を重ねるにつれその事を実感した一人です。

 

私と四歳違いの兄は、アニメの少年少女と同じように

物心つく前から楽器のお稽古をさせられていた。

 

当時としてそうとう贅沢な事で恵まれた事であったが、

させられていた本人にとっては苦痛でしかなった。

毎日最低3時間におよぶ練習を、もの心つく前からさせられていた私には

母に1メートルの竹の和裁用の物差しで手を叩かれ

泣きながら練習をを続けなければならない事の理由がさっぱりわからなかった。

 

そして子供にとって一番楽しみな日曜日の夜に

兄と二人だけで先生の授業を受ける為に電車に乗って通わされていた。

 

外遊びの一番楽しい3歳から10歳までの期間

楽器の稽古が中心の生活であった。

しかしその稽古も音楽の文字どうりの『音の楽しさ』を知る以前に

突然終了となった。

 

それは遠くから来てくれていた先生が自動車事故に遭い

私たち兄弟と数人の生徒を見る事が出来なくなってしまったからだった。

 

もともと、母の強い希望で始めた稽古事だったので

中学も3年になっていて、受験もあり片耳が聞こえずらかった兄は

それを区切りにやめる事になった。

 

私は兄より数倍稽古が嫌いだった。

しかし母は才能があるのは私だと先生に言われていたらしく

最後まで私に稽古を続けるように言い続けていた。

 

しかし代わりの良い先生は見つからず、我が家だけでは優秀な先生を招く

経済的な力もなかったので、母は苦し紛れに音楽と勉強とどちらを選ぶかという

子供にとっての究極の選択を私に求めた。

 

それは、どちらをとっても遊べないという。

選ばされる方にとっては、なんともやるせない不公平な選択だった。

 

稽古が嫌いで音楽の楽しさをまだわからなかった私は

迷わず勉強と即答した。

そして残された小学生の時間をオモッイきり外遊びをして

良い少年時代の思い出を作る事が出来た。

 

やがて母の希望で中学受験をさせられ、高校はもちろん

行く大学まで決めれているようなそんな思春期を迎える事となった。

 

思春期の自我の目覚めと共に私は楽器の稽古を選ばずに

勉強を選んだ事を後悔しはじめた。

音楽の楽しさをいろいろな形で知るようになったからだった。

 

しかし、クラスメイトの女の子で真剣に音楽と向き合っている子と出会ってからは

自分の思いが安易な憧れだったと知らされた。

 

彼女は私と違い子供の頃から真剣にピアニストになる事を望み練習を積み重ねてきていた。

コンクールにも出てまさに「四月は君の嘘」に登場する、

多くの少年少女と同じようにひた向きで純粋に音楽と戦っていた。

私はその頃は楽器はもう一切やらなかったが、歌う事が好きであった。

進学校の中学生の男子では珍しく音楽の授業を真剣に受けて

歌う時は人一倍大きな声で歌っていた。

彼女とそんな私は気が合って、音楽の話を放課後にしたりしていた。

 

受験校を決める季節の頃、彼女に「ピアニストを目指すの?」と私は聞いた。

 

職業としてピアニストを目指す事がどれだけ確率の低い事かを

もう十分理解していた私はあえてその問いを彼女にしてみたかった。

 

彼女はしばらく身じろぎもせず前を見たままだったが

やがて私に両手を見せて

「この小さな手では無理だから、私はピアノの先生になるわ」

「そしていつかピアニストを育てられるようになりたい」

と答えてくれた。

 

私はその真摯で純粋な答えに

自身の音楽への憧れの甘さを思いしらされて恥ずかしかった。

 

15才の少女が真剣に音楽に向き合い

出来る事と出来ない事を冷静に判断して自身の人生を生きてゆくのは

別にアニメの世界の話ではなく、

いつの世も芸術に心底魅せられた人々の共通の思いだろう。

 

彼女が指の間を広げる手術を受けるという噂が流れていた。

私は其の事を彼女に聞く勇気をもたなかった。

 

中学生の少女がピアノの為に手にメスを入れるという事を考えるのは

どれだけの葛藤があってのことなのかわからない。

結局彼女はピアニストになる事を諦めて

誰かに音楽を伝える事を15才で選んだのだった。

 

身も心も音楽に捧げている彼女を

私はうらやましかった。

そしていつか私もそういうものに出会いたいと心底願っていた。

 

 

 

 


この記事についてブログを書く
« 前の記事へ | トップ | 『すべての芸術は絶えず音楽... »

音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ」カテゴリの最新記事