私の家は両親が大本教の流れを組む新興宗教の信者であった。
特に父は戦争末期昭和19年の一時期出征する前に
その宗教団体の今は焼けて無くなってしまった学生寮に
入寮するほどの熱い信仰の持ち主であった。
しかし父は終戦後に地方公務員の教職に就いたので、
信徒である事を表立って公表せず、退職するまでは家で聖典を読んだり
お経を(神道系なのに祝詞ではなく聖経といっていた。)母とあげたりしていた。
母は父の影響を受けて、深く其の宗教に染まっていた。
故に我が家で子供への宗教の指導役は母であった。
私は四つ違いの兄と二人兄弟であったが、
兄と私はもの心つく前からそのお経を声を出して読むように育てられた。
まあたいがいは寝る前に読むのだが、どんなに速く読んでも
だいたい30分かかり、内容も子供がとても理解できるものではなかった。
当然子供には苦行でしかなく、飛ばし読みしたくても
二人で声をだして読むのでそれも中々出来なかった。
兄は真面目な人だったので飛ばし読みを弟に勧めるような事はしなかった。
兄も私も小学生の3^4年ぐらいまでは真面目に読んでいたように思うが、
段々と書いてある内容がわかってくると、それがいかに突拍子の無い内容で
非科学的な学校の勉強を否定するような意味である事に疑問がわいてきた。
当然母に質問をしたが、論理的な納得のゆくような返事はもらえない。
小学生の頃の父との関係は私たち兄弟は濃いものでなかったので、
兄はどうかは知らないが、私はその疑問を父にぶつける勇気はなかった。
まあ教祖が霊的な啓示をうけて書き留めた内容なので、
子供の思考ではついてゆける訳はなかった。
兄が小学6年の時に、其の宗教の合宿に泊りがけで行かされた。
兄は素直な人だったので、親に従い合宿に行ってきた。
帰ってきた兄に感想を聞くと
「あれほどまずいご飯を食べたのは初めてだった。」という食いしんぼの兄らしい感想であった。
私も小6になって合宿に行くはめになった。さんざん駄々をコネタが駄目であった。
印象が残っているのはやたらと広い場所で大人数で雑魚寝をした事と
兄と同じく物凄くまずいご飯であった。
不思議とお経を読んだり、宗教的な儀式をした記憶はない。
まあ小学生に無理やりそんな事をすればただの宗教嫌いにしかならないから
その辺は宗教団体の上の人も心得ていたのだろう。
合宿が終わって母が向かえにきてくれたのを見つけた時はうれしかった。
まあ兄弟とも中学に入り反抗期に突入にして当然その聖経を読む習慣はなくなった。
子供の頃に新興宗教の家庭で
親からの強制で私と同じような体験をした方はそれなりにいると思われる。
私の両親の入っていた宗教は神道系であり、仏教系の一部の宗教に比べれば
かなり緩いものであったと思う。
しかし、親の願いとは逆に私たち兄弟は神様嫌い、宗教嫌いに育っていった。
特に兄は死ぬまで理系のデーター主義者で
論理的でなかったり科学的でない事は、はなから信用しない人であった。
私は以前「メンドクセーと好奇心」記事に書いたとうり、
高校に入ってある事がきっかけで親の期待から外れる人生を歩む事となった。
その当時まともにコミニュケーションの出来なくなった息子に
両親はもう一度その宗教の教えを読むように言い実行をせまった。
当然それは火に油を注ぐような愚挙となった。
親子はもちろん、人間関係で自分で解決できそうも無い時に
霊的な跳躍理論に縋ろうとするのは
いつの世も人間の弱さの普遍的な一面だと思う。
しかしそれはたいてい失敗に終わる。
人間的な愛情交換がちゃんと出来ていない関係性以上には
愛の力は発動しないものだから。
霊だの神だのに縋って救われると思うのは、
たいていの場合、自分で考えるのを止めさせてもらえるからだ。
教祖が言った。神がいった。仏が言ったと
人間にとって一番大事な価値感を探求して掴み取る事を放棄して
よそからひっぱて来た権威をかさにいくら説得を試みても
子供は自然とその言葉を説く人の人格にある愛を直感で見抜くものだ。
日本は昔から素直である事が子供も大人も尊ばれる。
それは、言上げをしない事を良しとする神道、村社会の閉鎖性、
儒教的な年長者に従う武家社会の長きにわたる支配とあいまって
和の根底を流れている日本文化の核に近い要素だと私は思う。
「素直になりなさい。あの子は素直だから伸びた。」
しかし人間生まれも育ちも環境も親もちがう。
平気で子供を虐待したりネグレクトするような親の元に生まれた子供に
教師が素直になれと言ってもなんの意味もないであろう。
素直な子供や大人に育てたいのであるなら、
人を疑うような事や裏切るような事が少ない家庭や
社会環境で育てなければならない。
今の若いゆとり世代も、良い環境に恵まれた人たちは素直に育って、
才能を大いに発揮されていると思う。
しかし多かれ少なかれ親との関係性に問題をかかえ
人を素直に信じ愛する事を受け継ぐ事が出来ない者は
いつの時代でも多いのではないだろうか。
そしてそれは大人になる成長過程で
愛を疑うという作業をしながらも求めるという
泥臭く人間的な努力をしてゆく為の原因になっていると私は思う。
しかしそれは負担ではあるが、愛を知るという意味では地道な近道の一つだと思う。
私の場合は、親子という一番純粋な関係性の間に新興宗教という
子供とって理解し難いどころか邪魔でしかないものが介在した事が
愛を知る努力を生む原因になったと感じている。
しかしまたそれは私にとって宗教的な観念の呪縛が
親の愛を濁らせる恐ろしさを教えてくれた体験でもあった。
私はオウム信者を笑える立場にはない。
子供の頃にそういう体験をしながらもスピリチュアルな体験を求め
多くの歓喜と失意を繰りかえし味わった。
面白かったし楽しみもしたが、
地に足のついた人生を歩んできたとは今でも胸を張っては言えない。
私にとって宗教的な体験や神ごとは、
人生で得た経験による分別を壊し飛び越えるほど魅力的なものではあった。
これは私自身の人生からの一体験的な結論だ。
もしこのブログを読んでいる方がこれから親になる可能性があるなら
子供に宗教的な刷り込みをなるべくしない事をお勧めする。
それは親と子の純粋な愛情の交流のじゃまになるだけだ。
イデオロギーも宗教もこれから力を失ってゆき
言葉ではない波動によるダイレクトな体験が
精神に影響を与える時代に益々なっていくだろう。
親としての社会的な躾は当たり前だが、
親の宗教的な価値観を刷り込むのは、子が大人になった時に生きる道を狭めるだけだし
その事を理由に憎まれる可能性もある事も知っておくべきである。
子は親の所有物でもコワモテの神からの授かりものでもないのだから。
宗教の価値感の違いによって戦争がおきている世界を頭では理解できても
ハートでは理解できない日本人は、その洗脳力と強固な価値感を勉強して
対応の仕方を研究すべきだと思う。
それは、宗教的な洗脳やタブーの少ない文化に生まれた日本人には必要な
知識であり、交渉や外交で後れを取らない為の必須の教養だと私は思う。
私は何度も書いたとおり運命論者だ。
故に私が神道系の新興宗教の家に生まれたのも必然だと思っている。
そして人生で繰り返した行った宗教的な体験の意味を解く作業した事が
今の自分を形作る入り口であったと受けとめている。
まあ両親が望んだ形ではなかったが、
私は神とは何かを問う当ての無い人生を半世紀以上生きたのだから
父もあの世で満足してくれている事だろう。
2016 3 26 追記
親と子の関係性について
子供の頃のもう一つの体験を連作として書いた。
私の偏った体験が
親子関係で悩んでいる方の何がしかの参考になればと思い記しておきます。
2018 4 27 追記
先日改めて親子間での信教の自由について言及した。 ご参考になれば
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