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日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

『すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる』  ③ 映画『歓びを歌にのせて』   歌と癒し。

2015年02月20日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

映画のあらずじ、ネタばれがありますので

まだ観ていない方は読まないでください。

 

私の楽器の稽古をやめた後の音楽との接し方は

極普通の昭和30年代生まれのものだったと思う。

 

昭和の歌謡曲からはじまり、年齢を重ねるごとに

フォークソング、ニューミュージックと呼ばれた一連のJポップ

カーペンターズや、ジョンデンバー、クィーン、ミッシェルポルナレフ

古典的なロック、ハードロック、プログレッシブロック

やがて、マイケルジャクソンやマドンナなどの80年代のアメリカンポップス

一方で山口百恵さんやキャンディーズなどのアイドルソングを聞きながら、

カッコをつけて洋楽だけを聞いているふりをしているというものだった。

(私は昭和35年生まれなのでビートルズ世代ではない。ビートルズというよりは

ジョンレノンのアルバムをロックのアーティストの一人として聞いた世代だ。

しかし中学の昼休みに決まってかかったのはビートルズかジョンデンバーだったけど)

 

それは音楽を奏でる側ではなく、聞き手になって楽しむという。

誰もがしている趣味の楽しみであった。

 

結婚をして子育てをして忙しく働いてゆく中でも

音楽を聞く楽しみは大いに私の生活を潤わせ助けてくれた。

 

そのうちカラオケなるものが発明されて、

飲み屋や、専用のカラオケ屋ができるようになると

唄う事は私の一番のストレス解消になっていった。

 

 

『歓びを歌にのせて』

2004年スェーデン映画 日本での公開は2005年

 

あらすじは

「音楽で人の心を開きたい」という夢を抱く人気指揮者ダニエル・ダレウスは、公演直後に心筋梗塞を起こし舞台で倒れ

一命は取り留めたが、それを機会に第一線から退いてしまう。

病を押して彼が隠遁の地に選んだのは7歳のときに後にした故郷の村。

酷い虐めにあった苦い思い出の地だ。

転居して早々、ダニエルはスポーツ店主アーンから教会の聖歌隊への助言を求められる。

聖歌隊に関わる村人たちはそれぞれ不満や悩みを抱えていた。

初めは指導をためらっていたダニエルだったが、

音楽の力を信じ、「声を感じあう」という独自の指導を始める。

次第に音楽の歓びに浸っていく村人たちであったが、

教会のスティッグ牧師は変化を嫌って干渉し始める。

村でのコンサートが成功し、アーンが申し込んだコンクールから招待状が届く…。

                               wikiからの引用を要約

 

この合唱をテーマにした音楽映画は

人が歌うという事の原点みたいなものを感じさせてくれた。

 

私はある人に

声は「その人個人の波動を一番ストレートに表現したもの」

と言われた。

言われてみれば、確かにそうだなと思った。

 

カラオケを歌っていて楽しい一番の理由は

自分の声を聞く事ができるからだと私は思っている。

 

それは普段の会話とは格段に大きく

発声する事で体が震え、

スピーカーから伴奏といっしょに流れる声を体に自身が浴びる事で

より一層自己の波動を確認できるからだと感じている。

 

うまい下手は確かにあるが、

自分の存在を十分確認できると共に、何かを自分なりに表現するという

心のベースにある歓びを

カラオケをして感じるられる事が

心をナチュラルな状態に導いてくれると思っている。

 

接待カラオケや、合コンやその他イベントとしてのカラオケの他に

最近一人カラオケが流行ってきているは、

単純にストレス解消と自己ヒーリングの効果が十分にあるからだと

20年以上前から恥ずかしげもなく一人カラオケをしていた私は

遅まきなブームを知り納得している。

 

映画『歓びを歌にのせて』は

「歌う」という

人間が原初の時代から自然と行ってきた本能的な行為のもつ

素晴らしい治癒力と、

合唱をするというハーモニーの原点が

命の根源と繋がっている事を見事に表現した作品であった。

 

私はこの映画を観て

歌う事のより深い力と意味を信じる事ができるようになった。

みなさん

辛くなったらお風呂でもいいからまず好きな歌を歌ってみてください。

ほんの少しですが、心が軽くなると思いますよ。

 

音楽は、音を楽しめればそれで十分なのですから。

 

 

 

 

 

 

歓びを歌にのせて [DVD]エイベックス・ピクチャーズ

 


『すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる』      ② 映画 『シャイン』 について

2015年02月20日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

引き続いて音楽について

名作映画のネタバレがあるので

『シャイン』をまだ観ていない方は読まないでください。

シャイン ―デジタル・レストア・バージョン― [Blu-ray]
 
角川書店

 

直前の記事に書いたように

私は幼少時に楽器のお稽古事を母の強い希望でさせられていた。

 

母は趣味としてではなく、

私を〇〇ニストにするレベルの厳しい練習を課していた。

 

それは、母の父親が一流の音楽家が幼少であった頃に指導していた事への

形を変えた復讐のようなものであったのだと、

大人になってから私は知った。

 

母はアカデミックな音楽の教育を受けた事がない人であった。

しかし音楽で成功するという事の果実がどういものであるかを

父親が心血を注いで指導した子供が

やがて想像以上の成長して社会的な成功を収めるのを目の前で見てきていた。

 

そして、母は後に自身に注がれるはずであった父親の愛情を

その人に盗られたと子供の頃に感じていたと言った。

それ故にどうしても音楽での成功を息子たちに夢みたのだと。

 

 

映画『シャイン』は実在のピアニスト、ディビット・ヘルフゴットをモデルにした

1996年に公開された映画だ。

 

私は『シャイン』を観ながら幼少期の辛かった母との練習を思い出して、

映画館で周りのお客さんが引いてしまうほど泣いた。

 

主人公のディビットにとって私の母の役回りは父親であった。

夜暗い部屋で電球の下、父に厳しい指導を受ける主人公を

自身に重ねていたたまれなくなって

途中で映画を観るができなくなりそうだった。

 

そして主人公がバスタブの中で大便をして、父親にプライドをズタズタにされる場面では

練習が厳しすぎて母にトイレに行きたいという事ができず

その場でお漏らしをした事を思い出し

思わず声が出た口を押さえ泣いてしまった。

 

いい歳をしたオッサンが咽び泣くのは異様な光景であっただろう。

 

『シャイン』は私の子供の頃の辛かった記憶を思いださせ

練習になると妥協をゆるさなかった厳しい母の記憶と共に

母の当時の愛情を理解するきっかけを与えてくれた。

 

映画は人生の不思議な出会いとはからい、

そして音楽という芸術の持つ普遍的な力を美しく表現していた。

 

『シャイン』を観終わった後

わたしは心の奥底から癒されたのを感じていた。

 

それは子供の頃に受け、どこかにしまい込んでいた

氷塊のようだった想いが

溶けるように心に沁みこんで

掛け替えのない私の一部になった瞬間であった。

 

 

 

 

 *続編

『すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる』 ④ 続 映画 『シャイン』 親と子  命の合奏(アンサンブル)  


『すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる』    ① 『四月は君の嘘 』 を観ながら。

2015年02月20日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

今日はまるで違うジャンルのお話を

政治や社会のお話に興味がお有りの方はお時間の無駄ですから

スルーしてください。

またアニメがお好きな方はネタバレが含まれるので

読まないでくさい。

名作はマッサラな状態で観て欲しいので。

それでも暇つぶしをしたい方は読んでみて下さい。

 

フジのノイタミナ枠のアニメ『四月は君の嘘』が佳境を迎えようとしている。

私はこのブログに『アニメはいつか世界文化遺産になるか』という記事に書いたとうり

子供の頃からのアニメファンである。

 

鉄腕アトムからはじまり、ジャングル大帝、ディズニー、巨人の星や、あしたのジョー、

もう昭和の熱のあるアニメを子供の頃ライブで観てどはまりした世代だ。

 

大人になりアニメから一旦はなれたが、

子供の誕生と共にまた見始めて、子供の成長とともに深夜アニメにもはまり

以来もうこれは死ぬまでアニメを見てゆく勢いだ。

 

そんな中前期と今期の2クールで放映している

『四月は君の嘘』は音楽を題材とした漫画を原作にしたアニメで

私は原作漫画は読んでいないので

このアニメを毎回楽しませて頂いている。

 

簡単なあらすじは

14才の音の聞こえなくなった天才ピアニストの少年が

同じ歳で型破りのバイオリニストの少女に出会った事で

自身の音と音楽を取り戻してゆくというストーリーだ。

 

14才の少年と少女たちの瑞々しい会話や詩的なモノローグが

合わない人にはお薦めしないですが、

私はそういうベタな中二的な表現はどちらかと言うと好きな方なので、

(正直に言えば自分がそういうポエムチックな中二病全開の中学生だったので)

気恥ずかしい気持ちを感じつつ当時の事を思い楽しませてもらっている。

 

「すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる。」

 

19世紀のイギリスの文学者ウォルターペーターの著作の中での言葉ですが

私は歳を重ねるにつれその事を実感した一人です。

 

私と四歳違いの兄は、アニメの少年少女と同じように

物心つく前から楽器のお稽古をさせられていた。

 

当時としてそうとう贅沢な事で恵まれた事であったが、

させられていた本人にとっては苦痛でしかなった。

毎日最低3時間におよぶ練習を、もの心つく前からさせられていた私には

母に1メートルの竹の和裁用の物差しで手を叩かれ

泣きながら練習をを続けなければならない事の理由がさっぱりわからなかった。

 

そして子供にとって一番楽しみな日曜日の夜に

兄と二人だけで先生の授業を受ける為に電車に乗って通わされていた。

 

外遊びの一番楽しい3歳から10歳までの期間

楽器の稽古が中心の生活であった。

しかしその稽古も音楽の文字どうりの『音の楽しさ』を知る以前に

突然終了となった。

 

それは遠くから来てくれていた先生が自動車事故に遭い

私たち兄弟と数人の生徒を見る事が出来なくなってしまったからだった。

 

もともと、母の強い希望で始めた稽古事だったので

中学も3年になっていて、受験もあり片耳が聞こえずらかった兄は

それを区切りにやめる事になった。

 

私は兄より数倍稽古が嫌いだった。

しかし母は才能があるのは私だと先生に言われていたらしく

最後まで私に稽古を続けるように言い続けていた。

 

しかし代わりの良い先生は見つからず、我が家だけでは優秀な先生を招く

経済的な力もなかったので、母は苦し紛れに音楽と勉強とどちらを選ぶかという

子供にとっての究極の選択を私に求めた。

 

それは、どちらをとっても遊べないという。

選ばされる方にとっては、なんともやるせない不公平な選択だった。

 

稽古が嫌いで音楽の楽しさをまだわからなかった私は

迷わず勉強と即答した。

そして残された小学生の時間をオモッイきり外遊びをして

良い少年時代の思い出を作る事が出来た。

 

やがて母の希望で中学受験をさせられ、高校はもちろん

行く大学まで決めれているようなそんな思春期を迎える事となった。

 

思春期の自我の目覚めと共に私は楽器の稽古を選ばずに

勉強を選んだ事を後悔しはじめた。

音楽の楽しさをいろいろな形で知るようになったからだった。

 

しかし、クラスメイトの女の子で真剣に音楽と向き合っている子と出会ってからは

自分の思いが安易な憧れだったと知らされた。

 

彼女は私と違い子供の頃から真剣にピアニストになる事を望み練習を積み重ねてきていた。

コンクールにも出てまさに「四月は君の嘘」に登場する、

多くの少年少女と同じようにひた向きで純粋に音楽と戦っていた。

私はその頃は楽器はもう一切やらなかったが、歌う事が好きであった。

進学校の中学生の男子では珍しく音楽の授業を真剣に受けて

歌う時は人一倍大きな声で歌っていた。

彼女とそんな私は気が合って、音楽の話を放課後にしたりしていた。

 

受験校を決める季節の頃、彼女に「ピアニストを目指すの?」と私は聞いた。

 

職業としてピアニストを目指す事がどれだけ確率の低い事かを

もう十分理解していた私はあえてその問いを彼女にしてみたかった。

 

彼女はしばらく身じろぎもせず前を見たままだったが

やがて私に両手を見せて

「この小さな手では無理だから、私はピアノの先生になるわ」

「そしていつかピアニストを育てられるようになりたい」

と答えてくれた。

 

私はその真摯で純粋な答えに

自身の音楽への憧れの甘さを思いしらされて恥ずかしかった。

 

15才の少女が真剣に音楽に向き合い

出来る事と出来ない事を冷静に判断して自身の人生を生きてゆくのは

別にアニメの世界の話ではなく、

いつの世も芸術に心底魅せられた人々の共通の思いだろう。

 

彼女が指の間を広げる手術を受けるという噂が流れていた。

私は其の事を彼女に聞く勇気をもたなかった。

 

中学生の少女がピアノの為に手にメスを入れるという事を考えるのは

どれだけの葛藤があってのことなのかわからない。

結局彼女はピアニストになる事を諦めて

誰かに音楽を伝える事を15才で選んだのだった。

 

身も心も音楽に捧げている彼女を

私はうらやましかった。

そしていつか私もそういうものに出会いたいと心底願っていた。

 

 

 

 


ゲラゲラポーの生まれるニッポン

2015年01月05日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

何気なく年末の紅白を見ていて。

妖怪ウォッチのゲラゲラポーの歌を

嵐や多くの出演者たちが合唱するのを見入ってしまった。

 

ラップと演歌とソウルミュージックがシャッフルされたような

独特の中毒性のある曲であった。

振り付けやアニメの影響で子供たちの間で爆発的にはやったのも

わかるような気がする。

 

あんなごった煮のカオスな音楽を、

考えずに感性で受け止めてノレテしまうだけの素養が

今の子供たちにはもちろんの事、

作っている側の日本の大人たちにも有るという事だ。

それはそれで結構すごい事だと私は思う。

 

また紅白の画面に映っていた、出演者の多種多彩な事。

妖怪から梨の妖精、アイドルから演歌歌手、隈取り化粧のJポップやオネエ軍団。

私はこういう何でも有りで、事芸能に関して

どこまでも懐の深い日本が大好きだ。

 

美輪さんの愛の賛歌も

聞いている方の感性を試されているようだった。

 

一緒に見ていた22になる息子が、良くわからないと言ったので、

ブルース・リーではないが、

「考えるな、感じるんだ」と言っておいた。

 

間違いなく、美輪さんは全身全霊で愛を伝えていた。

芸術や芸能は好き嫌いの世界だが、

言葉を超えて伝わる何かに思いがけず

ハートを揺さぶられるものだ。

 

私も歳をとった。 

でもそれで感じる事ができる愛の周波数の幅が広がったのなら

おっさんになるのも悪くはないな。

 

ゲラゲラポーも

美輪さんの愛の賛歌も

とても楽しめた、今年の紅白歌合戦であった。

 

 

 


『午後の曳航』

2014年08月04日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

 『午後の曳航』  

 

私は三島由紀夫文学の傑作の一つだと思っている。

 

 

内容の詳細はここでは書かない。

興味がある方は読む事をおすすめしたい。

 

三島由紀夫(敬称略させていただく)は紛れもなく早熟の天才と呼んでいいと思う。

「花ざかりの森」を改めて読んでみると、この文章を16才で書いた事実に驚かされる。

 

三島と私の父は同世代だ。

大正14年生まれなので歳の数え方が昭和の年代と同じである。

三島の経歴を読むと、父と似たような運命の中を生きていたのだと実感する。

三島も父も昭和19年で徴兵検査をうけている。

三島は第2種乙種で合格している。

父は当時にしては大柄だが近視で痔の経験があって第1種乙種で合格してる。

 

父によれば、平時は甲種のみが現役兵として入隊したのであるが、大戦末期は

第3種乙種までできたので、この段階で兵隊としての入隊が決まり

なんとも言えない気持ちになったと思いを語っている。

しかしここで即入隊ではない。

戦前の若者は通常の場合は20の誕生日の半年前に予めこの徴兵検査を受けたのである。

そして満20才を過ぎたら召集というのが手順であった。

 

三島は誕生日が1月14日であったから

年が明けた20年2月に入営通知がきて遺品を残し、遺書を書いて入営している。

父は招集礼状は赤紙と思いこんでいたが、現役入隊礼状が白い紙であったので拍子抜けがしたらしい。

三島が受けたっとのもたぶん父と同じ白い現役入隊礼状ではないだろうか。

 

しかし、三島はこの時の入隊検査で右肺浸潤と診断され即日帰郷となる。

私の父は同郷の何人かで入隊検査を受け、やはり数名が肺浸潤という診断で即日帰郷になっている。

この頃はまだ肺結核の死亡率も罹患率も高く、肺結核患者を軍隊には置いて置けないので、

少しでも結核が疑われるものは即日帰郷にして入隊を許さなかったのだと推察する。

三島も風邪を誤診されたようであった。

 

父は後に、自分たちの世代にとって出征は今でいう成人式であったと言っていた。

映画やドラマのように、父も多くの人に署名してもらった日の丸や、千人針を持ち、

予備の眼鏡を4つ揃えたそうだ。

また家の前には近所の人が杉の葉を集めて出征門を作ってくれた。

出発の朝、家族との挨拶も今生での最後と思い、思わず目が潤んだが、

家を出て、出征門をくぐる時には涙を決して見せられないと強く思ったという。

そして出征門の前に立ち、「お国の為に元気にいってまいります。」と

型どうりの挨拶をして見送りにきて下さった方々に敬礼をすると、

誰かの音頭により、「〇〇〇〇君万歳」の声が上がり

そして、産土の神をまつる神社に武運長久を祈ってのち

故郷との永遠の別れを覚悟して汽車に乗ったという。

 

 

父も三島も国の命運のかかる最も厳しい時期に満20才を迎えている。

私の想像するのに、三島は名家出身である。まして母方の祖先は有名な武家であり、

三島自身の出征式はかなりの大掛かりなものであったと想像できる。

 

父も「入隊検査に引っかかり即日帰郷になればいい」という思いと

「即帰では日本男子として恥ずかしくてまっすぐに家に帰れない」という

複雑な思いが交錯したといっている。

 

三島は即日帰郷になり心のどこかで安堵はしたではあろうが、

病気が理由とはいえ、自身と家の面目を立てる事がかなわず、

そうとうバツの悪く恥ずかしい思いをした事は想像に難くない。

 

三島があの時入隊できていれば、三島文学の色合いは変わっただろうか。

確かに三島の後半生の政治的な行動は、青年時の屈辱の裏返しを感じる。

 

父は三島の最後の行動に共感をしてなかったように私は感じている。

私は子供頃、三島が市ヶ谷で演説をし割腹自殺をした事件をTVで見ていた。

その感想を父に聴いた記憶があるが、

父は非常に客観的な説明のみで父自身の心情にそった答えは得られなかった。

私のその時の記憶で一番強く残っている事は、

新聞の記事を読んで、この人にも自分と同じような年齢の子供がいる事を知り

子供たちに同情したという事だ。

「お父さんが有名人でいきなりあんな死に方をされればつらいだろうなあ。」と

新聞の記事を読みながら思った。

それが不安で当時ほとんど話しをしなかった父に事件の質問をしたのだろうと、

今思い返すと納得がゆく感じがする。

 

この事件がきっかけで三島由紀夫は

私にとって「人間とは」という問いを発する時に一つの基準となった。

 

今思うと父にとって軍隊での経験は、

三島の行動ようなロマンテックな美学と相容れない、

肉体的にも精神的にもひどい経験であったから、

三島の盾の会の制服や割腹自殺という命を軽視した行動が、

ナルシジズムに酔っている感じがして嫌悪をしていたように推察する。

 

父にとって軍隊とは

生き残る為に通過しなければならなかった現実の地獄であったのだろう。

 

そんな父の子供の私は、中学生の時に小説家三島由紀夫に夢中になった。

中学時代孤独であった私は、自然と本を読んだ。

4才上の兄の書棚には、志賀直哉、芥川龍之介、川端康成、安倍公房、

三島由紀夫、石川達三、太宰治、など

一般教養としても読まねばならなかったたくさんの文庫本がならんでいた。

 

兄も父にて読書家であった。兄は後に建築士になる程の理系の人で無心論者であったが、

青年期の悩みの中多くの小説を読んでいた。

私はその中から三島を借りて読んでいた。

そして書棚に並んでいた本を読み終えまだ読んでない作品を探しては全てを知ろうとした。
 
三島の持つ天才性、簡潔さ、

また伝統や文化芸術にに対する態度や、新しい芸術性を認める感受性にも驚嘆した。

そしてなによりも、人間の深遠の闇や毒、性の根源的な衝動の醜さと美しさを隠す事なく暴きながら、

時には彫刻をほるように描写し、時には絢爛豪華なフレスコ画のような筆致で表現する文体が、

まるで音楽を奏でいるように響くのを感じた。

「世の中にはこんな人がいたんだな」と、すでに死んでいたにもかかわらず

三島は私にとって改めて英雄(ヒーロー)になった。

 

私が、『午後の曳航』を読んだのはそんな中学2年の時だった。

私にとって、この本は口にだしては言えない経験を与えてくれたと思う。

私はこの本との出会いによって、自身の深い部分の毒を見つめる事に目覚めたように思う。

 

父と違って、私は三島の耽美的で肉感的な美学が嫌いではない。

生命や性に対するありとあらゆる表現を、芸術の域にまで高めてしまう表現力に

酔い、打ちのめされた。

 

佐世保の加害少女は本が好きだったという。

彼女の伝聞での話に天才性を感じると共に、

深い闇と狂気をより強く感ぜざるおえない。

 

三島もまたその精神の奥底にそれに似た狂気の闇を秘めながら

父と同じ激動の時代に弄ばれながらも、

精神の深遠で身じろぎもせずじっとその漆黒の闇を見つめて生きてきたのだろう。

それでなければ、『午後の曳航』のような作品を到底書くことは出来なかったと思う。

『午後の曳航』の狂気はどちらかと言えば、神戸の事件の少年の狂気に近いとは思うが、

しかし、それは闇の奥底で加害少女にも繋がっていると私には感じる。

 

私は中学2年の時『午後の曳航』を読み、

自分の自我の中にその狂気の闇が無いか探した。

そして、自身の中にもそれは蠢いている事に気づいて

震え恐れると共に、歓喜した。

 

それは少年期独特の感覚であり、

性の目覚めや本能のホルモンによる支配に益々さらされてゆく絶望感と快感が合わさったような

感覚であった。

 

 

加害少女が抗えなかった衝動が、少年の時の自分の中にも存在し、

そしておそらく少年期の三島の中にもそれぞれ嗜好を変えて存在していたであろうと、

今の私は感じている。

 

三島はその深い闇や狂気や毒を見事に芸術で表現した

天才であった。

 

毒も闇も狂気も人間の中に存在する。

しかし、それをどう表現するかで人間は殺人者にも類まれな芸術家にもなれる。

そしてそれから抜け出す方法は地道な自己鍛錬しか道はなく

それが身に付かないまま

我が子がその恐ろしい闇や狂気で犯されたとしたら、

「親は持てるもの全てをさらけ出し、血を流しながらも

子という重き十字架担ぐべき宿命なのだと」

かつて闇と狂気を抱えた子供であった自分が

どこかで叫んでいる声が今も聞こえる気がする。

 

 

加害少女は確かに特異な存在ではある。

しかし、彼女の狂気や闇の一部は、人間に生まれたら

誰にでもある可能性のあるものだと疑い

自身の少年少女時代の暗闇の最深部を

もう一度見つめ返して欲しい。

 

その狂気のある闇は、

この目映い夏の午後の光のまぶしさに似ていると

手を翳し陽を見つめながら私は思い出している。

 

 

 

 


カワイイと、 日本の音楽

2014年07月25日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

世界は血なまぐさい話題ばかりなので、

全然ジャンル違いの音楽のお話をしてみようと思います。

興味のない方にはどうぞスルーして下さい。

 

 

BABYMETAL(ベービーメタル)

日本の女性アイドルグループです。

アイドルの女の子たちが、ロックのメタル系の音楽にのってJ-POP風の

歌を唄う感じでしょうか。

フランスのライブの映像や、イギリスのロックフェスでのライブ映像も見ましたが、

その違和感たるやハンパナイというのがオッサンの感想です。

 

メロディーも内容も昭和のアイドルが歌っているようなものですし、

(曲名がイジメ、ダメ、ゼッタイですよ。。)

ファションもきゃりーぱみゅぱみゅさんほど尖っていないというか

むしろ古臭い昭和臭がします。

 

正直な感想としてスケバン刑事の3人組が、アイドルソングを

メタルバンドの演奏をバックに唄い踊っている感じとでもいいましょうか。

 

ファンの方が読んだら炎上しそうな感想ですいません。

悪気はないのですよ。オッサンですから仕方ありせん。

 

私の違和感の正体は彼女たちの音楽ではなくて、

パフォーマンスを見て盛り上がっている外国人たちの様子です。

メタルのライブといえばガチムチの筋肉オタクの海賊のような連中が、

刺青ばりばりの手を振り上げて空に拳を突き立てるイメージです。

実際、彼女たちの前でもそのような光景が繰り広げられているのですが、

なんかちょっとカワイイを意識してるような熱狂ぶりなのです。

 

日本びいきのレディガガさんのライブの前座も決定しているようで、

なんか海外で人気というとウソッポイのですが、

映像をみる限りはけっこうメタル好きの外国の方の間でも盛り上がっている様子です。

 

きゃりーぱみゅぱみゅさんもネット越しに外国で人気が有りましたが、

なんとなく、カワイイがまだ通じる人たちに受けていたのではと思えたのですが、

BABYMETALは、一番ハードなもの好きなコアな層にそれなりに受けたというのが、

ビックリという感じです。正直ありえないというのが初見の私の感想です。

 

ボーカロイドの初音ミクさん(ミクさんについてはまた機会があったら書こうと思いますが、)や

キャリーさんが受けるのはなんとなくわかるのです。 カワイイですし、アニメやコスプレ文化の

延長線上にある感じがするので。

しかし私の目から見てもバタ臭い感じがして、昭和文化の直系のようなアイドルのパフォーマンスが

メタルという斬新な組み合わせをしただけで2014年のヨーロッパで受ける事に時代の変化を感じます。

 

もしBABYMETALが80年代や90年代に今と同じようにヨーロッパでライブをしても

絶対に成功しなかったと思います。

やはり地球レベルでより女性的なものに惹かれるように

文化が急激に変化しているようにデンパな私は思ってしまいます。

 

私が頭に浮かぶのはマドンナ、レディガガなどは西洋のアマゾネス的な女性の成熟した表現ですが、

日本の女性アーティストはそれとは真逆の未成熟性の魅力がポイントなっていると感じます。

直球で言うならロリコンです。

 

日本は源氏物語の時代から筋金入りのロリコン文化ですが、

これからは日本のように世界も男性のロリ志向がもっと進むかもしれません。

ウーン!当たって欲しくないけど。

ただ女性は男性の志向とは逆に母性が強くなってゆくので、

それは必然的に地球規模での女性の社会での台頭と

男性文化の衰退を招く事になると予測します。

 

 

wikiによると、彼女たちのグループの活動は2010年からのようで、

2011年のインディーズでの曲はyoutubeで海外では話題になったようです。

地道に約4年間活動してきて去年メジャーデビューして今年大ブレイクしたようです。

サポートバンドの実力は相当高いもので

ギターもドラムもかなりのレベルの方々を揃えているように見受けられます。

ボーカルの娘さんもトレーニングをされているようで、まだまだ歌唱力の伸びしろがある感じで、

これからも大いに期待できます。

(かと言って彼女の声に、漫画BECKの主人公ほどの輝きはまだ私は感じませんが。それは高望みしすぎでしょうか。)

 

おとといも、英のメタル雑誌のオンラインファン投票でBABYMETALが世界一になったと

記事になっていて、その反響も大きいと報じられていました。

これがさらなるビッグウエーブになるか、ただのスマッシュヒットで終わるかは

まだわかりませんが、今後のさらなる活躍を期待したいところです。

 

日本の音楽シーンは今は停滞していると言って良いと思いますが、

きっとまた由紀さおりさんの例もあるとおり

演歌や唱歌ももっと世界に広まってゆくかもしれません。

 

日本語は響きが美しいと世界の人たちは言ってくれています。

アニメのOPやEDの歌を

外国の方々が日本語の歌詞で合唱している動画を見ると

日本語の歌詞の響きが、

その人たちの精神に強く影響を与えているように感じます。

 

日本語の歌が世界に広まる事は、

日本人の根底に流れている波動が世界に広がってゆくことになるのです。

言語と音楽は文化の王様です。 

大事に日本の歌を歌い継いでゆきたいものです。

 

 

 

 

 


アニメはいつか世界文化遺産になるか。

2014年06月11日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

この間、ここ数年で増えた海外の反応の翻訳ブログの記事のひとつに

アニメとハリウッド映画の対比が、

同列にごく自然に述べられていた。

 

まあ、翻訳ブログは意図的に日本の事を

好意的に述べたコメントが多く載せてあるものだが、

それにしても、アニメと同列にハリウッド映画を

少数ではあるが外国の方々が論評しているのを読むと

私の世代としてはなんとも面映い感じと、

居心地の悪い恥ずかしさを感じる。

 

文化的影響をハリウッド映画と同等もしくは、

それ以上に深くに受けているようなコアな感想の述べ方であった。

 

私なんかは、ハリウッド映画とアニメは比べる必要のないもの。

あまりにも違う王道のエンターテイメントと、

東方のサブカルチャーの違いだと思う。

 

手塚治虫という天才から

日本の漫画のカンブリア大爆発が起こり、

その裾野の広さカオスさは、他国が100年かかっても

追いつけない量と種類だろう。

本当にピンからきりで、高尚と下種、毒にも薬にもなる

まさに表現の無法地帯が日本の漫画だろう。

それが、多くのアニメの供給源になった。

それがここ20年くらい前から同人という名のでかすぎる

アングラのようでアングラでなくなってしまっている階層をも

作り出し、相変わらず特異肥大化して成長している。

その様は、環境さえ良ければどこまでも大きく成長する

爬虫類のようだ。

 

漫画やアニメは他の芸術と同じように美しくなりえるが、

反面恐ろしい毒をいつも撒き散らしている。

それゆえに、中毒性が強いのだ。

 

私は普通の人間として、その毒の魅力に

未だに捕らえてれている。

 

鉄腕アトムからアニメを見て、漫画や特撮いろいろな

日本のサブカルチャーで育った私は

子供ができればそれを理由に子供アニメを見、

思春期なった子供が深夜アニメにはまれば

またそれらにはまって、気がつけば

揺りかごから墓場までアニメを見てゆく勢いだ。

 

日本人の需要を満たす為に

ひたすら特化して創ってきた漫画がアニメ化され

なにやらいつの間にか海外に輸出され、

いつのまにか、それを見て育った世代が各国に形成されている。

 

そして今はインターネットによって

日本と世界のアニメファンが時代体験を共有している。

各国の同世代がより大きな人数で同じ体験をし世代が作られている。

 

アニメの文化は生き残る事ができるなら、

後20年もすれば世界文化遺産になるかもしれない。

 

日本でしかこのようなアニメは作れない事が一番の強みで、

底に流れる文化の違いにより、他の砂漠の一神教の国々はあまりにも

タブーが多く日本のような自由な発想なものを生み出す社会的な背景がないので

民族芸術的なもの意外は中々育っていかないだろう。

それも女性の社会的な解放と文化の変化が同時進行してゆけば

より創造的なアニメが外国で作られる時代がやがては到来するだろうが、

まだまだしばらく時間がかかるであろう。

 

それまでは、この貴重な文化の牽引役はひたすら日本という事になる。

何よりもアニメの武器はその中毒性にある。

これからの世代が、日本文化のファンになってくれる事は

アメリカのハリウッドと同じ文化戦略になりえるだろう。

 

あくまでも今のような血は流れているのはわかるが、

どこか得体の知れない

生き物のような文化である事が条件ではあるが。 

 

日本人の表現欲求が限界値を超えるまで、

まだまだこのどんちゃんさわぎのハードな文化は続いてゆくのだろう。

これからも期待して眺めてゆきたい。