憲法の意義については、権力の制限、すなわち「法の支配(rule of law)」ということを忘れがちになります。小中学校でもきちんと習った記憶はありません。
フリードリヒ・ハイエクの『隷属への道』によれば、「法の支配」とは、「政府が行なうすべての活動は、明確に決定され前もって公表されているルールに規制される」こととされ、「自由な国家と恣意的な政府の支配下にある国家とを最もはっきりと区別するもの」と説明されています。
「法治主義(rule by law)」と「法の支配」は似ているようですが、大きな違いは、「法律」をつくる立法府(議会)も、「法」の制限を受けるということです。国民主権や民主主義は重要な考え方ではありますが、ハイエクはドイツのヒトラーの例を挙げ、「民主主義は、想像しうる最も完全な専制政治を作り上げることさえできる」と警鐘を鳴らしています。
日本国憲法は、基本的人権の保障と統治機構の規定という、2つの重要な意義に加えて、この憲法の「 条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない (98条)」という「最高法規」であることを鮮明にしています。これは、政府のみならず立法府たる国会、ひいては主権者たる国民(権力者としての意味で)も含めて、すべての権力活動を制限するという「法の支配」の考え方を体現しているわけです。
この憲法について、昨今、改正論議や解釈変更論議が起きています。自由闊達に行われることは結構ですが、基本的には「法の支配」をむしろ強化するということを目標とすべきという注文だけはしたいと思います。
その上で、安倍政権の掲げる、集団的自衛権の容認のための憲法解釈の見直し検討と、9条改正について私見を簡単に申し上げます。
憲法解釈変更による集団的自衛権の容認については、憲法が容認する自衛権について、個別的自衛権と集団的自衛権という所で線を引いて良いのかどうか疑問があります。むしろこの二種類の区分にこだわらず、本来的に憲法上容認されるべき自衛権の範囲を明確にすべきではないかと考えています。
また、根本的に恣意的な解釈の積み重ねから脱却し、法の支配を完全なものとする意味において、憲法9条そのものの規定についても、全面改正又は条文追加が将来的に必要と考えています。今後、自衛隊の存在を明文化するとともに、憲法で制限する範囲と、法律に委ねるべき範囲を真剣に議論しなければならないのではないでしょうか。抽象的に9条の改正の是非だけの議論をすれば良かった時代には、そろそろ終止符を打つべきです。
憲法記念日は自由国家として「法の支配」の意義を再確認し、その観点で憲法議論をすすめる日でありたいと思います。
ゴールデンウィークも少なくなってきました。4日はみどりの日、5日はこどもの日です。良き祝日を!