何とかベースライン聞こえるようになってきたのでDTMどうよ。と思ってみたんですが、1ドル160円はさすがに厳しいね。ブラックフライデーでもし100ドルとしても16000円だもんね。とにかく最低秋までは保留だね。
最近自転車の部品なんかをアリエクで買ったりします。ラストワンマイルの配送が大抵ヤマトなんですが、連日無訪問で不在扱いにされてしまいます。障害持ちなのでそれほど出かけないのでピンポン聞き逃しもあまりないように思います。恐らく作為的にやってるんだとおもうけど何か理由でもあるんだろうかと思ってしまいます。
勝田さんには転向する旨進路報告していたのですが、ある日同い年で一学年上の既にデビューしていたある人(声優さん)につかまってあんたさぁから始まってガン詰めされてしまいました。自主制作の舞台で1年近く切磋琢磨させて頂きましたが進路が向かないから考え直しなさい的な話でした。どこから情報流出したんだろう(まぁ勝久さんだよね)。名前出すことはこれからもありませんが今でも自分にとってはおっかないお姉ちゃんです。あの時お姉ちゃんの忠告に従って考え直していたら人生変わったんだろうか。
その後週一回が2回になったある日勝田さんから、こんなただの小僧にご相談を頂きました。アフレコ研修するための機材を考えてほしいということでした。工業高生に何かアイデアがあると思って頂いたのでしょうか。当時のレコーディング現場ではオープンリールを使うのが常識だったようで秋葉原に中古機材の物色のお供することになりました。何件か回ったのですがどうも問題解決できる気がしなくてひとまず既存のもので解決できないか方法を考えさせてほしいとお願いしで馬場に戻ることにした。その後特に用事はなかったので事務所に寄らず帰宅しようと思っていたのですが、「ごちそうするからメシ食っていきなよ」と声をかけていただき馬場駅近くの居酒屋に行きました。そこでまたまた人生が変わってしまうくらいのサプライズが用意していただいていたのでした。勝田さんがお疲れと先着されていた声を掛けたお二人は肝付兼太さんとたてかべ和也さんでした。つまりスネ夫とジャイアンです。どうもこのお二方業界で有名なオーディオヲタだったようでここでレコーディングの方法を相談しなさいというのが主旨だったようです。確かにお二人はさすがのベテランで現場の実態を色々教えて頂きました。本人的にはオーディオ云々より目の前の現実にただ舞い上がっていた気がします。これは責任重大になってしまいました。後日こんどは一人で秋葉原を歩き回って調達したのがジャンクの4chミキサーとケーブル類でケーブルは状況にあわせて自作しました。考えた問題解決方法は2台のビデオデッキ(これは教室の備品で既にあった)を用意し1台で映像流しながらアフレコ練習して、もう一台のビデオデッキの映像トラックにダビングしながらミキサー経由の音声を音声トラックに録音するとその場でアフレコした音声と映像が出来上がるというもので自分でも初めてアニメに当てた自分の声を聞きました。こんな声だったのね。おそらくこれが勝田初の実態に近いアフレコ研修だったような愚します。このあとしばらく簡易レコーディングエンジニアとしてお手伝いしました。なぜかちょっと違う方向に実績作ってしまったのですが勝田を離れてある劇団の養成所に転向する準備をしていました。
ちょうど高校入学と同時に門戸を叩いた勝田話法研究所の所長にして、あの鉄腕アトムの御茶ノ水博士の声の持ち主。声優教室の入所には一応オーディションのようなものがあって、会場は現地に行ってから判明したのですが勝田さんのご自宅でややビビり気味でした。この時点では全く知らなかったのですが、先輩には後にある有名IPに出演されることになる
声優の卵(個人的に人生の分岐選択を迫られたおっかないお姉ちゃんに)もいらしゃいました。当日聞かれたことは工業高校って畑違いだよねやら学校と両立できそう?など割と普通な話だけだったような気がします。週4日アルバイトして当初週一回土曜日の通学でした。初年度難関だったのは鼻濁音の発音と外郎売で、当時はまだケータイもインターネットもなかったせいか、特に関西出身の方の語尾流れ(特に う)が治まらない人がボチボチいて大変だなと思っていました。が、勝田さんの方針は「やりたいやつだけやればいい」と切り捨てる感の厳しさだったので脱落者も出てきます。後になっても勝田(後の勝田声優学院)は厳しいと言われていたのにはこんなところがあったからかもしれません。