再スタート趣味記録

病気して趣味をほとんど諦めてしまったので徐々に再スタートです。

勝田久さん①

2024-07-07 22:47:04 | 声優さん
ちょうど高校入学と同時に門戸を叩いた勝田話法研究所の所長にして、あの鉄腕アトムの御茶ノ水博士の声の持ち主。声優教室の入所には一応オーディションのようなものがあって、会場は現地に行ってから判明したのですが勝田さんのご自宅でややビビり気味でした。この時点では全く知らなかったのですが、先輩には後にある有名IPに出演されることになる

声優の卵(個人的に人生の分岐選択を迫られたおっかないお姉ちゃんに)もいらしゃいました。当日聞かれたことは工業高校って畑違いだよねやら学校と両立できそう?など割と普通な話だけだったような気がします。週4日アルバイトして当初週一回土曜日の通学でした。初年度難関だったのは鼻濁音の発音と外郎売で、当時はまだケータイもインターネットもなかったせいか、特に関西出身の方の語尾流れ(特に う)が治まらない人がボチボチいて大変だなと思っていました。が、勝田さんの方針は「やりたいやつだけやればいい」と切り捨てる感の厳しさだったので脱落者も出てきます。後になっても勝田(後の勝田声優学院)は厳しいと言われていたのにはこんなところがあったからかもしれません。

水鳥鉄夫さん

2024-07-07 12:08:53 | 声優さん
高校生の時通った勝田久の声優教室で一番長い時間師匠だった方です。詩に託された表現や所謂芝居に徹底的に拘られる厳しい先生だけど生徒とのコミュニケーションをとても大事にされた方でした。ある週末、声優教室が跳ねたあと高田馬場の喫茶店にお付き合い頂いて、話が盛り上がりすぎて電車の時間が終わってしまいどうしようかと話ししていると「俺んち来いよ」と言って頂き、タクシーでご自宅に連れて行って頂き一晩泊めて頂きました。奥様に紹介して頂き、翌朝朝食も出して頂き悴さん(お父さんにそっくりでした)とたくさん話をしたあと、同行の悪友と何かお礼しようということになり即興で「テツヲ」という歌を作って部屋にあったラジカセに録音しました。とても下らない内容だったのですが喜んて頂けました。その後水鳥さんがお亡くなりになられたと風の噂に聞きました。既に悪友含めて芝居から離れていたのですが、ひとつ約束していただいていたことがあって、いつかやってやるよとおっしゃられた、生「愛の頭突」を見せていただくことが叶わなかったことが残念でした。心よりご冥福をお祈りいたします。「テツヲ」はいつか作り直したいとおもっています。