もう何年も前のことです。
どうしても手放せない現実があって、私は人に、私の「現実の体験」を話したくて仕方がない時がありました。
この時私は「許せない」という感情の波動に触れていました。
ここでいう「現実」とは、三次元の地球でのみ映すことが可能な映像のことです。
私はある時、人に自分が映した三次元の現実を感情を込めて話していました。
すると、プラスチックの透明なプリン容器のヴィジョンが見えてきました。
私はそのヴィジョンにとても興味が湧き、もっとヴィジョンに意識を集中すると、更に見えてきたのは、
私がとても小さなプリンの容器に頭を突っ込み、相手を非難する姿でした。
その真実に私は素直に驚きました。
私たち一人一人は広大な宇宙と同じ大きな存在です。
しかも完璧な存在なのです。
とんでもなく大きく完全な存在である魂の自分が、同じくとんでもなく大きな完全な存在である魂の誰かを非難するなんて所詮無理な話です。
それをする唯一の方法は、自分自信が小さな小さなプリン容器に頭を突っ込み、宇宙から自分を遮りることです。
そうすることで何も分からなくなり、広い視野を断つことで何も見えなくなり、感覚を狭め、局所的な視点になったときに初めて私たちは相手を非難することが可能になるのです。
今は地球で遊ぶために、三次元という低い次元を選んでいるけれども、私たちの魂は広大な宇宙と同じくらい広大で、光に満ちていて、その輝きには一点の曇りもありません。
どんなに悲惨な現実も、認めたくない自分でも、私たちは三次元をただ体験したくて、映像に映しただけなのです。
どんな現実を映したとしても、私たちの魂の光が曇ることはないのです。
宇宙に誕生してからずっと、私たちの魂は限りなく高度に発光し、輝き続けているのです。